聖書のメッセージ


2015年04月05日(日曜)

復活日(イースター)礼拝
北千住教会 持田嗣生牧師

「私が生きるのであなた方も生きる」
聖書 ヨハネ20章1−18節


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   彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」
 彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きまし
 た。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。する
 と、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼
 女にはイエスであることがわからなかった。イエス
 は彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だ
 れを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管
 理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運ん
 だのでしたら、どこに置いたのか言ってください。
 そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言
 われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語
 で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
         ヨハネ20章13−16節 聖書・新改訳
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 主イエスの復活顕現は、マグダラのマリアにとってどのよ
うなことだったのでしょうか。
 マグダラのマリアは、週の初めの日朝早く未だ暗いうちに
墓に来ました。ところが墓の石は取り除けてあり、驚いたマ
リアは、ヘテロと主が愛しておられた弟子の所に走り、「だ
れかが、墓から主を取って行きました、どこにおいたのかわ
たしたちにはわかりません」と訴えました。これを聞いたヘ
テロともうひとりの弟子は墓に駆けつけ、亡骸のないことを
確認しました。しかし彼らは「イエスが死人の中から蘇らな
ければならないという聖書を理解していなかった」とあるよ
うに、主の復活については未だ理解できていませんでした。
 マリアは後に残り泣いていました。墓の中にいる御使いが
泣いている理由を尋ねると、マリアは「だれかが私の主を取
って行きました。何処においたのか、わたしにはわからない
のです」と告げ、主の所在が不明であることです、と言って
います。その後マリアが後ろを振り向くと、そこにイェスが
おられ、「何故泣いているのか。だれを探しているのか」と
言われると、マリアは園の管理人だと思い、「あなたがあの
方を運んだのならどこにおいたのか言ってください。わたし
が引き取ります」と言いました。マリアは主の所在を知り、
自分で主を捉えて生きようとしていたのであります。
 主が「マリア」と呼ばれると、マリアは「先生」と答えま
す。主は「私に鎚り付いてはいけません。わたしの兄弟たち
のところに行って、彼らに『私は、私の父またあなた方の父、
私の神またあなた方の神のもとに上る』と告げなさい、と命
じられました。主はかねてから父なる神のもとに上り、そし
て真理の御霊を遣わし、真理の御霊の働きによって主イエス
並びに父なる神との生きた交わりに生きることを告げておら
れました。今、その時が来たことを告げられたのであります。
 マリアにとって、七つ悪霊の支配の下から解放してくださ
った主イエスは掛け替えのない方でした。しかし主は十字架
につけられ殺され、マリアの心は主の亡骸のおかれているお
墓にありました。主の亡骸の所在が不明になると、マリアは
自分の心の所在を失いました。それで必死に主の所在を捜し、
自分で主を捉えて生きようとしたのでした。
 しかし復活された主は、父なる神のもとに行き、真理の御
霊を遣わし、御霊の働きによってマリアを命(永遠の命)に
生かす時が来たことを告げられたのであります。マリアが主
を捉えて生きるのではなく、主が生きておられ、聖霊の働き
によって永遠の命に生かされることへと導かれたのでありま
す。「私が生きるのであなた方も生きる」(14:19)。