火薬庫の扉




海抜約40m付近に位置する豊浦町 噴火湾展望公園。
近代的な展望塔からは駒ヶ岳・室蘭白鳥大橋など360°の展望が広がる。
眼下の豊浦町市街地は内浦湾に面した漁業・農業中心の街だ。 噴火湾展望公園

道央自動車道 豊浦ICと金山トンネルの間、
沢口川橋付近が、今回の探索の起点となる。
元となる資料は「北海道地下資源調査資料 第76号 (昭和37年3月)」。 道央道


資料の「大岸地域の銅・鉛・亜鉛鉱床」によると、
大黒坑・南大黒坑・大岸坑・鉛坑・朝日坑と五坑の記載がある。
まずは沢口川橋の対岸から南へ廃林道を歩く。 金山林道


林道眼下の谷筋に存在したはずの大黒坑付近。
11月初旬とはいえ、藪が激しく発見には至らない。
延長は160mと深いだけに、残念である。 然別川


湿地と化した足元には自然のなめ茸が群生している。
ツバアブラシメジと呼ばれるトドマツ・エゾマツ付近に多い食用キノコだ。
探索アタック中のため、これらには目もくれず上流の南大黒坑を目指す。 なめ茸


そして未発見の大黒坑から250m程遡った地点で発見した坑口、南大黒坑である。
沢からは少し上部の崖に存在するが、
平場が無く、引いた写真さえ撮影できない。 南大黒坑


それでは入坑する。
足首付近まで水没しているが、異臭もなく環境は良い。
資料による延長は50mとのことだが、どこまで進めるか酸素濃度の確認を行いながら進む。 坑道"


少し進んでも水没は変わらず、坑内面にはカビの繁殖が見られる。
高輝度ライトの照らす先はどうやら坑内分岐だ。
鉱脈幅は70cm程度とのことだがこの先の風景は・・・。 坑内



右坑には謎の扉である。
これは珍しい。一瞬の緊張が走る。
まずは左の本坑を進もう。 坑内分岐


約10m程度進むと坑道は水没を免れる。
幅は1800mm程度で、鉱車の片側0.3m以上、反対側0.75mの間隔を保持する規定なので、
鉱車が運用されていたとすれば、その幅は750mmと言うこととなる。 坑道



無支柱坑道は更に続く。
金銀銅山とは言え、溶岩流にプロピライト(=co2により変質した安山岩)を含み、
黒っぽい岩石に白い石英が混合する。 溶岩流


その先では坑道内にレイルが横たわる。
やはり運搬用の軌条が存在したのだ。
恐らくこの坑内幅なら24”(610mm)〜20”(508mm)のゲージ(レイル内幅間隔)だったと思われる。 レール


その先では再び2枚目の謎の扉である。
右手には崩れた跡があり、
少しは入坑できそうだ。 扉


埋没ヶ所の先はすぐに掘削が終端を迎えている。
坑口から約60m。
資料とも合致するが、果たしてその扉の向こうは何なのか。 終端


扉は施錠されていたようだが、その鍵は扉の前に破損し落下している。
扉は亜鉛鍍金の薄板で腐食し固着している。
扉を開けようとすると、周囲の鋼板まで揺れる。 鍵


ようやく開いた扉の向こうに坑道は続かない。
内部は崩れた木材の棚があり、
施錠の意味からも、「火薬庫」で間違いないだろう。 火薬庫


扉上部の亜鉛鋼板には「104」との文字が・・・。
火薬庫には万一の爆発に備え、安全地帯の設置や、
飛散物に対しての保安距離が規定されているが本坑ではどうだったのであろう。 104


さて、折り返して1枚目の謎の扉へ向かう。
坑道の単位断面積(1u)あたりの爆薬穿孔数は2〜4本を必要とする。
切羽面に削岩機で穴をあけ、空孔と装薬孔を適時配列する「バーンカット発破法」が適用されたようだ。 帰路


一枚目の扉前には再び水没したレイルが横たわる。
バーンカット発破法は一発破で2〜3m進行するので掘進速度はかなり大きい。
再び謎の扉を開けてみよう。 レイル


こちらも同様に腐敗した木材の棚があり、
坑道が続く訳ではない。
内部は荒れて、甘い腐食した木の匂いが漂う。 火薬庫


水没した坑口付近に戻る。
やはり水没坑道は乾燥坑道より環境が良いようだ。
狭い坑口から下界へ向かう。 坑口


入坑時は気づかなかったが、坑口付近にコウモリである。
いつものように逃げるわけでもなく、
外部からの珍客に驚くことなく、熟睡しているようだ。 コウモリ


沢口川橋に戻り、旧鉱山事務所に最も近接していた朝日坑へ向かう。
資料でも埋没の文字があり、結論から言って未発見となってしまった。
付近の物理探査は自然電位法と比抵抗法が用いられ、これは測線・起点ごとに電位差・抵抗を計測する。 朝日坑


新富を経て蘭越に向かう林道脇の鉛坑である。
それらしい坑口は発見できたが確証は得られない。
鉱体に黄鉄鉱が多量に含まれれば、自然電位分布に兆候が表れる。 鉛坑


小鉾岸川上流の大岸鉱床を目指す。
開発当初は4か所の坑道掘削が行われた。
自然電位分布に合わせて抵抗値の負の異常帯から鉱床を推論するのが物理探査である。 鉛坑


最上流付近にも人工物があり、鉱床として機能してたことが想像される。
しかし時間的制約もあり、15時以降からの入山は控えているのでここで探索終了と判断した。
昭和35〜36年度の物理探査において、鉱床の幅が狭く鉱量の確認、精査が必要との判断になったのは
未来を予見してのことかもしれない。 鉛坑







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坑内分岐
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