買鉱鉱山成れの果て




上川町は石狩川上流域を占める林業の街。
明治28年(1895)に宮城県から移住したのが始まり。
大雪山、層雲峡、そして三浦綾子『氷点』の舞台である。 上川町


石北本線天幕駅は、
平成13年(2001)7月に廃止された。
かつては駅舎も残存していたが今はルピナスだけが群生する。 石北本線

鉄道路線調査のために当地に入った道庁鉄道部長が、
天幕氏という人物に世話になったことから、
駅名にこの名が付いたという。 石北本線

駅前は舗装された道だが、
家屋は少なく、 閑散とした雰囲気だ。 林道

途中には旭川-北見間 第二電話中継所の跡がある。
かつては圧縮されたマイクロ波で電話音声が中継送信されていたが、
光ケーブル網の普及により無用の長物となってしまった。 電話中継所


付近には住人の姿は見えず、
林業関係などのヤードがあるだけだ。
かつては製錬所に向けての軌道もあったという。 マウスon



広大な敷地と石碑だけが残る天幕小学校跡地。
昭和25年に近隣へ移転したようだが、
昭和14年に105名もの児童が在籍していたとは信じがたい。 天幕小学校


砂防ダムには立ち枯れた木々が残る。
幻想的な風景だ。 マウスon

所々には土砂崩れの跡がある。
林道の地盤は悪いようだ。
付近に熊鈴の音だけが響く。 土砂崩れ

森には大木がある。
原生林ならではの光景だ。
樹齢はどれぐらいなのであろう。 大木

森を進み、さらに山中へ。
精錬用の元鉱は社内鉱として美笛・永泰鉱山より受鉱し、
社外鉱として北の王他北見地方の諸鉱山から買鉱した。 森


川幅は狭まり、上流らしくなってきた。
雪融けで水は少し濁っている。 ウエンナイ川


残雪の中にドラム缶が残る。
鉱業所跡付近に接近している。 坑内

名も無い滝がある。
標高が高くなったのか、気温が少し低くなった。 滝

藪の奥には建物の土台跡のような遺構がある。
基礎の立ち上がり部分が残っている。
他の遺構も探してみよう。 遺構

危険庫のようなRC製の大きな立方の遺構がある。
付近は精錬後の積出施設のようだ。
選鉱の施設ではない。 遺構

壁の両側に旗丁番の金具がある。
かつては重厚な扉があったのだろう。
他にも廃祉は散発する。 廃祉


これは索道か軌道の施設の一部のようだ。
ピットのように窪んでおり、
上部に建屋があったようだ。 廃墟


付近でもっとも大きな廃墟。
下部は空洞に配管が通っていたようだ。
他の地域では見たことのない形状だ。 廃墟

精錬所と天幕駅間には、
鉄索が架設され、鉱石の搬入搬出に使用された。
並行してガソリン機関車軌道も存在したという。 鉱山跡


更に森を進む。
推論した製錬所跡地は2か所、
最も擬定される斜面に向かう。 山中


斜面に人工的な段差がある。
もしやカスケードに施工された精錬区域では。
さらに奥へ進む。 製錬所


すぐにブロック積の廃祉が現れた。
事務所か制御室、
または計量や検査の部署があったのかもしれない。 ブロック


そして閉山から80年、
ベールを脱いだ天龍鉱業所 青化精錬所だ。
青酸(シアン)が金属と結びつきやすいことを流用して選鉱を行う。 青化精錬所


付近は泥状鉱石とシアンを撹拌した後の、
メリルクロー工程、つまり結合した金とシアンを分離するために、
亜鉛粉を投入して金銀合金を析出させる工程だ。 オリバー


下部にはいくつもの深い水槽がある。
これは尾鉱と呼ばれる選鉱後の不要鉱石部分を、
泡を用いた浮遊選鉱で分離させる工程だ。 尾鉱


シアンと金の溶解撹拌は2昼夜に及び、
温度湿度を調整した上、
アジテーターと呼ばれる撹拌機に投入される。 アジテーター


金とシアンの結合、
そして浮遊選鉱に酸素は不可欠で、
コンプレッサーによって新鮮な空気を送り続ける必要があった。 コンプレッサ



シアン(CN-)は酸性下で水素イオン(H+)と結合し、
猛毒のシアン化水素ガス(HCN)が発生する。
アルカリ性にしてガスの発生を抑えるため、消石灰(Cu(OH)2)は不可欠である。 製錬所


雨上がりの精錬施設にカタツムリがいる。
付近が恐らく砕いた鉱石とシアンを溶解させる、
リーチングの工程だ。 製錬施設


製錬施設から選鉱施設へ登る。
ここでは化学反応前段階として、
鉱石を砕き磨り潰し泥状にする工程だ。 選鉱所


破砕工程ではグリズリと呼ばれる、
鉱石を供給しながらふるい分けする装置で、
粉・粒・塊などに分粒する。 選鉱


各施設は苔むし、年代の経過を感じさせる。
受け入れた鉱石は洗浄、手選を経て、
破砕磨鉱工程に流される。 フィーダー


育った木の根がコンクリートを破砕し、
そして鉄筋の間を縫って伸びている。
この上4段程度選鉱所は続く。 根


城壁のようにそびえる選鉱施設。
生産は9年間、そのうち本格稼働は5年間と言われる。
鉱石採掘に至らなかった鉱業所は山奥で語る。 城壁








戻る

鉱山跡
トップページへ

トップページへ