大きな街の小さな ろ過池
坑口などの炭鉱施設からは遠く離れた一画から入山する。
施設があっただけあって、
なんとなくの廃道が続く。
やがて人工的な平場が現れる。
周辺を確認しながら、
注意して下る。
森に隠れるように廃墟が存在する。
炭鉱施設のように大きくはなく
しかし時代考証は炭鉱時代に合致する雰囲気だ。
建屋は平屋で大きな窓は壊れている。
斜面の平場に建ち、
おそらく目的の浄水場のようだ。
こちらが玄関のようだ。
水道施設には地下タンクが必ず付随する。
足元に十分注意して進む。
西側は特に苔に覆われている。
しかもかなり厚い苔だ。
内部侵入前にもう少し周囲の状況を確認する。
建屋の南面は苔が全く生えていない。
向きと植生は経験上、
大きく関係があると思う。
内部はモルタルの打ちっぱなしで、
大量の玉砂利が大部分を占める。
窓際には箱のようなものがある。
玉砂利は半円の容器に入っており、
そのドーム型の受け皿には足があり、
床と強固に固定されている。
これは恐らく簡易な ろ過池。
かつては円筒のタンク型で上部から原水を投入し、
玉砂利を通過した清水が下部から排水されたのであろう。
これも簡易な混和地。
つまり、原水に含まれる不純物(にごり)を取り除くために
凝集剤などの薬剤を混ぜる槽だ。
川の水に含まれるプランクトンや微細な不純物を、
硫酸バンドと呼ばれる薬剤を用いて帯電を解き、
集めて固めて沈めるのである。
窓際には薬剤の瓶が残る。
水中で反発しあって浮遊している不純粒子を、
フロック
という塊にして、分離沈殿させるのである。
浄水施設の ろ過装置対面には、
小部屋と地下タンクに通じる、
マンホールがある。
マンホールのふたは無く、
やはりこの建屋自体の下部が地下タンクとなっているようだ。
床に踏み抜きには十分注意して進む。
地下は3m程度の深いタンクで、
バルブも目視できる。
おそらく処理後の浄水を貯める配水池のようだ。
地下水槽と繋がる空洞がある。
メンテナンスのためか、
地下へ下る必要があったのかもしれない。
建屋のすぐ脇には手動開閉台の設置跡らしき部分がある。
地下埋設のバルブやゲートの開閉操作を操作軸を延長することで、
地上部にて開閉操作ができる開度目盛付の装置である。
マウスon 手動開閉台
建物からは100A程度の太い配管が外部に出ている。
エルボを介して、例えば ろ過砂の洗浄水や、
薬液層の廃水などを外部に排出したようだ。
浄水場の下には配管を支える
コンクリート製の架台が残る。
重力をもって町まで配水したのだ。
三井砂川炭鉱が閉山したのは昭和42年(1967)。
炭鉱の現出と共に忽然と山中に現れた街に付随した浄水場。
炭鉱の栄枯盛衰と命運を共にしたのだ。
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