後山先山の連携
厚岸町は釧路から車で約1時間。
カキの養殖で有名な自然の良港だ。
尾幌は少し釧路寄りに存在する。
上尾幌駅は大正6年開業。
「相対式」上下線を挟むように単式ホーム複数が向かい合って設置
と
「島式」1本のホーム両側を上下線が挟む
の2本のホームがある。
かつては運炭軌道が接続していた。
軌道跡の林道を駅から北西へ進む。
周辺は閑散とした風景だ。
締まった林道が続く。
暫く進むと広大な平場がある。
目立った遺構は無いが、
ここが炭鉱跡地のようだ。
中央部には植生の無い小山がある。
どうやらズリ山のようだ。
本坑の特色は目まぐるしく経営母体が変わったことだ。
更に林道を進むと谷あいとなる。
青葉→釧路→丸善→北海鉱山とその経営変更のスパンも短い。
この奥が軌道敷の終点付近だ。
その先の森の奥には巨大なコンクリート建造物が残る。
これは原炭積込用のホッパーのようだ。
昭和30年代までに周辺には四坑が存在した。
積込用のホッパーはその原型をあまり留めていない。
戦前に残った坑道の残炭掘りを40名程度で施工していたという。
進まない機械化が中小炭鉱の常だ。
当時の石炭販路は、
運輸会社、捕鯨会社などを含む、
釧路管内の水産加工場が多かったようだ。
積込施設上流を探索する。
坑口の発見には至らない。
11月の夕暮れは早い。
かなりの時間周辺を探索し、
ようやく数少ない遺構に遭遇する。
機械化が進まないことは切羽労働の旧制が残存していることを意味する。
上流には静かな青い池がある。
つまり、坑道の採炭現場作業はあくまでも人力で先山/後山と言われる、
2名の連携が後期まで色濃く残っていた
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