ゴールド・コースト観光旅行記




2000年1月1日

  午後21時20分 関空離陸   一路オーストラリア・ブリスベン空港へ   約8時間30分程度の飛行機の旅だ。   しかし、時差が1時間−−−夏時間なので、実際は2時間の時差だが、これは体調的に楽である。

2000年1月2日

  2日6時過ぎ、現地ブリスベンに到着。   半日市内観光の末、午後2時30分頃、ANA GOLD COAST Hotelに着く。   滞在ホテルは、ゴールド・コーストの中心繁華街であるサーファズパラダイスの北の端に位置していた。   半日市内観光は、次の通りでした。     @市内目抜き通りをバスにて見学      Aコアラ、カンガルーの見学      B羊の毛刈りショー       8匹の羊の紹介の後、羊の毛刈りショーを見学した。       ここで、羊にもいろいろその用途によって、品種改良がなされていることを知った。         ・Merino種 −−−−暑く乾いた気候に順応し、羊毛の質もよい         ・Border Leicester種 −−−−食肉用の羊         ・Corriedale種 −−−−質のよい羊毛と食肉用         ・Dorset Horn種 −−−−食肉用の羊、角の構造に問題         ・”X”Bred種 −−−−交配種で、色の付いた羊毛を生産する         ・Suffolk種 −−−−1番の重量級で食肉用の羊         ・Lincoln種 −−−−世界で一番古い羊で、自然のオイルであるラノリンを生産         ・Tukidale種 −−−−カーペットに使用されるウール専用     C牧羊犬のショー      簡単な昼食とコアラを抱きながらの写真撮影、この写真は無料であった。     DDFSでのショッピング   ゴールド・コーストは、ほぼ1年中ほとんどが快晴という土地柄、まぶしい太陽と南太平洋のどこまでも続く青い海、  そして白く輝く砂浜が印象的なビーチが南北約42Kmにわたって続いている。    DFSで、土産物を買ってしまう。   この日は、これのみで終了。   ブリスベンへの飛行中は、あまり眠っていなかったのですぐ寝入ってしまう。

2000年1月3日

  7時46分から、1日オージ体験ツアーのオプションに参加する。   行程は、次の通りであった。     @海岸通 Burleigh Headsで記念写真撮り     AショッピングセンターRobina Town Centreでショッピング      巨大な集合ショッピングセンターといった所。     B市内郊外を走っている電車にて、ロビーナ駅からヘレンズベール駅まで     Cマウント・タンバリンワイナリーでワイン工場を見学     Dカントリーガーデンカフェで昼食      高原の別荘地といった雰囲気の所で、洒落た山小屋風のレストラン兼土産物屋が立ち並んでいた。      工芸品を製造販売しているようだ。     E運河沿いの高級住宅の見学とその住宅が当たる宝くじ(Prize Home)     F水陸両用バスにて、ゴールドコーストの海からの観光     Gオパールの店の見学      高価なオパールを母親に買われてしまう。      店の店員である中国人(華僑)は、商売が上手だ。   その後、街をぶらつく。   パラダイスセンターは、いわゆる集合ショッピングセンターのようなものだと感じた。   以前に訪れたフィリピンマニラにも似たような集合ショッピングセンターがあった。   このような集合ショッピングセンターが、最近目に付くようになってきた。   日本にも、この兆しがあるように思う。   夜、中華料理を食べに行く。   ANA Hotelのすぐ近く、ゴールドコーストハイウェーに面し、ガイドブックにも紹介されていたシャーク・フィン&  シーフードに行く。   その後、私1人で、ホテルのピアノバーで、カクテルを2杯注文。   確か17オーストラリア$、日本円で約1500円程度。   ゴールド・コーストのサーファズパラダイスは、5つの通りの名前を覚えれば、事足りるようだ。   一つは運河沿い側にあるGOLD COAST Hwy、二つ目は海岸通りに面したEsplanade、三つ目はElkhon Avenue、四つ目はパラダイ  スセンターからANAホテルにかけてのOrchid Avenue、そして、五つ目はパラダイスセンターに面して一番の繁華街である  Cavill Avenueだ。   パラダイスセンター前には、オープンテラスのレストランが建ち並び、土産物屋で人混みが絶えなかった。   オージーたちは、陽気で、気さくで、また親切であった。   土産物屋で働いている若者は、本当に陽気で、すぐに話しかけてくるような雰囲気を漂わせていた。   特に、若い女の子は、西洋人特有の鼻の先がツンととんがったような顔立ちをしていて可愛らしかった。   夜の海岸通は、少し治安がよくないということのようだが、それは夜の繁華街によくあるようなお酒に酔った上でのことのように  思えた。

2000年1月4日

  ゴールド・コーストの魅力は、なんと言っても、約42Kmまで延々と続く、その白い砂浜にあると思う。   砂は、非常にキレイで、粒子が細かく、サラサラしている。   日本でよく言われる「鳴き砂」、ここゴールドコーストのこの砂は、正に「鳴き砂」であった。   その規模が日本と比較して、桁外れに違うことが思い知らされた。   そのキレイな砂浜が、42Kmも続いているのである。   波は、サーファーズ・パラダイスと言うだけあって、少し高いようだ。だから、あまり、いわゆる、日本で言う「海水浴」の情景は、  見られなかった。   僕が行った時期は、よく紹介本に記載されているような紫外線のきつさは、感じられなかった。   夏とは言っても、日本で言うカラッとした初夏のような陽気に思えた。   地元の人に言わせると異常気象なのだそうだ。   また、ゴールド・コーストは、亜熱帯性気候に属する様なのだが、その雰囲気は、僕には感じられなかった。   海岸通は、その砂浜に沿って、ジョギングコースが設えてあった。   思い思いに走るなり、歩くなりを楽しんでいるようだった。   僕もその仲間に入ったが、早朝であり、南太平洋から昇ってくる朝日を満面に浴びて、ジョギングしたことはすばらしい  想い出になることだろう。   ジョギングをしている人は、ほとんどが白人であり、東洋人は見受けられなかった。   また、そのジョギングコースに、思い思いに体操が出来るように木製の器具が設置されていて、これも良いアイデアである   と思った。   夕食は中華料理にした。   前回訪れた中華料理店にした。ゴールド・コーストハイウェー沿いの、ANAホテル前の本格的広東料理の店シャークス・  フィン&シーフードである。380席の広いフロアーで味も日本人好みの薄味であった。   社長自らがウェイターをしており、また、僕のテーブル担当になったウェイターは、フィリピン出身者で、上品で親切であり、  また、値段も手頃であるように思えた。

2000年1月5日

  この日は、観光客があまり行かないような所を歩いてみることにした。   ホテルからElkorn Avenueをまっすぐ進み、ファニーアベニューを横断して、運河の一つと思われるネラング川を渡る。   その川沿いには、川に面して、やはりちょっと気が利いたオープンレストランがここ彼処にあった。   また、繁華街には見あたらなかった、樹木と芝生で出来ているこぢんまりした公園が点在していた。   Goldcoast HywとBeach Roadが交差している付近には、いわゆる中華街を思わせる町並みが続き、バックパッカーがよく利用  するような安価な三流程度の宿(ホテル、Inn)が多く見受けられた。   1日バス・トイレ・シャワー付きで18$(日本円で約1500円程度)という手頃な値段であり、そのホテルの近辺には、  また彼らがよく利用するような食堂も見られた。   僕は、大学時代、非常に残念だったが、バックパッカーという「言葉」すら知らなかった。   ほんの少しの旅費と自由に豊富に使える時間と、なによりもまして「知的興味と好奇心」という精神を持って、海外に飛び出  すということは、若者の特権であった。   その「特権」を僕は使用しなかったし、その意識も全く皆無であった。   僕の友人の一人は、約1年をかけて、アメリカを横断した。   その経験が、今の彼の生活の中に色濃く反映しているようだ−−−僕には、それが無かった。   今となって、本当に口惜しい。   また、一軒の居酒屋に入ったが、そこで働いていた日本人の若者は、いわゆるワーキングホリデーでオーストラリアに来ていた。   語学(なかなか当初の目的は、果たせていないようであったが)やサーフィンをしに来ているようだった。   他でも述べたと思うが、日本人はもっと海外に飛び出すべきだ−−−それも、若いうちに。   日本列島というちっちゃな井の中から世界を目指すべきである。   自己閉塞の世界から、広い自由な世界を歩くべきである。   映画「イージーライダー」の中で、ある人物が「閉塞している世界の中で、一番恐れられるのは、自由を単に口にするだけの者で  はなく、その自由をなに食わぬ顔をして、実際に行使する人物である」と言うようなせりふを述べる場面がある。   私たちは、この「自由」を行使するには、何かしらの代価を払わなければならないかもしれないが、そのことを恐れずに、「なに  食わぬ顔をして」行使すべきであると思った。
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