《インドネシア共和国バリ島へ》
2001年1月2日〜6日Menu 1.バリ島1日目 クタ到着 2.バリ島2日目の市内観光(2001年1月3日) 3.バリ島で思ったこと 4.バリ島3日目 5.出来事 6.シニャックのMoka Caffeで 7.バリでの最後の日を過ごす 【トップページへ】 1.―バリ島 クタ到着― 2001年 1月 2日 インドネシア共和国のバリ島クタに夜6時頃到着する。 機内から出るとやはりむっとする熱気に少し圧倒された。(日本では、冬である) BaggagieのPorterについては、日本で心配思っていたほどのことはなかった。 恐らく悪い印象が高まり、インドネシアの国の方も治安を強化したことの結果であろう。 空港から迎えの車でホテルに向かって移動する。私を含めて3名、そのうちの男女2名は、最近できた ハードロックホテルへ。 そこまでの道路は、非常に混んでいた。 自動車の多い割には道路の整備があまりなされておらず、乱雑を極めていた。 空港内で、1米$につき81ルピー(81RP)で両替する(レートもそこそここの程度だったが、日本円 での両替はできない様であった)。 計算も間違いはなっかた。 日本円1万円を量がいしたので、PR810,000戸いうことになるようだ。 私の宿泊ホテルであるホテルのSAHIDO RAYA BALIは、広い敷地内に2つのプールがある比較的大きなホ テルでした。
ホテル街クタの海岸通り ルーム3449で、この部屋はメインゲート(ロビー)から大分離れていた。 慣れないうちは、迷子になるかもしれないような遠さであった。 夜10時頃、部屋から日本へ無事に着いたと電話をしておく(うまく通じたので一安心だ)。 その後、ボーイに食事のため外部のレストランを尋ねる。 よくわからなかったが、メインゲートの左側の裏ゲートから出て、角に面したレストランに入る。 オープンタイプのレストランで、注文したのはFlesh Tuna SteakとTangy Beer。 合計で、RP17,500(日本円で約216円)。 非常に安く感じた。 味の方もまあまあであった。
ホテルSAHIDO RAYA BALIのロビー 明日は、8時にメインロビーに集合して、Meal Couponを4枚貰うことになる。 これをうまく利用しなければ、と思った。 Menuへ 2.―バリ島2日目の市内観光(2001年1月3日)― バリ島クタでの二日目の朝を迎えた。 今日は、このツアーのサービスとしての半日の市内観光だ。 朝8時にロビーでガイドさんと待ち合わせということで、朝食を済ませ待ち合わせの時間より約15分 程度早めにロビーに行く。 しかし、時間になってもなかなか前日のガイドさんが現れない。 これは、彼が私の顔を見誤り、また、私の方も彼の顔を忘れてしまっていたので現場にいるにもかか わらず、その分時間をロスしてしまった。 彼ガイドさんの名前は、IB ARIANAで人の良さそうな人物と見えた。 彼の兄が日本の白川通り(京都のか?)に住んでいたことがあるとの事で、その関係かどうかわから ないが日本語は、約70〜80%程度理解し、話せる様だった。 後で知ったことだが、"I"が名前の前に付いている。本人に伺ってみたら、これはあだ名と言っていた が、スードラ階級に属するということらしい。 案内されるのは私一人ということで、運転手とARIANAさん含めて3人での出発となった。 博物館を廻り、デンパサールの所謂市場を市内観光した。 博物館は、3つの部門に分かれていた。 屋外劇場、屋内劇場と絵画館だ。 屋内劇場では、9時30分から始まる古代叙事詩「ラーマヤーナ」に材を取ったバロンダンスを鑑賞した。 奏でている音楽といいダンス(ダンスと言っても物語性のある演劇の様な)は、煌びやかな衣装を纏い 素晴らしいの一言に尽きた。
伝統的なバリダンス その音楽は、宿泊しているホテルに常に流れているバックグラウンドミュージックと少し似ている様だ った。 絵画館では細密画風の絵画が展示・購買されていて、1品購入することになった。 市場は、かって訪れたマニラの市場の雰囲気を思い起こさせるようで興味深く感じた。 その後、木彫の村(所謂芸術村)を訪れ、以前から欲しく思っていた面を2品購入してしまった。 定価よりかは安く購入したが、これが安価であるのかどうかは買った本人の満足度次第であると云うこ とになる様だ。
細密画の一部
お面の一部 購入した細密絵画、面2対は、今も私の部屋に飾ってある。 その後、食事のためにDFSに行き、インドネシア料理を食べ、2時頃ホテルに帰る。 Menuへ 3.―バリ島で思ったこと― 私の今までのことで、そんなに「ボラレテイル」と感じたことはなかった。 ガイドのARIANAさんは、仕事に忠実で、所謂ずる賢い悪い人間でないように思えた。 少し、ホテルのプールで過ごした後、街に出ることにした。 バリは、本当に凄い所だ。ハワイではない、マニラでもない(少しはアジア的という点で似ている部分 もある様だが)煩雑さが有る様に感じられた。 インドネシア共和国は、ヒンズーの国である。 いたるところに石像が建ち、そして、常に(朝晩)お供え物(神饌)がなされていた。 信仰心があついのか、それとも単なる習慣になっているのかわからなかった。 しかし、日本人からすれば少しこの行為は異様に感じられた。 ラーマヤーナのヒンズーの神々であろうと思われる像が、旅する我々を眺めていた。
クタの浜辺1
クタの浜辺2 ウブドという所を訪れたのだが、日本の農村を思わせる様なところであるが、所謂まだ芸術村とまでは いかないが、職人村といった趣きだった。 ガンポピー?1,2の通り(路地風)は、レストランや土産物屋が立ち並んだ凄い所だ。 また、レギャン通りも日本では考えられない様な煩雑さがあり面白い所だ。 9時頃にホテルに戻り、ホテルのラウンジでカクテルを飲みながら生演奏を聴く。 カクテル(何をオーダーしたのか忘れたが)2杯とおつまみのピーナッツで、しめてPR105,000(日本円 に直して1,296円)。これは安い。 バリから、カードを使って日本の自宅へ電話する。 以下の要領でできた。 @ 001-803−281 A 2-4980-0314-3121-7166# B 0806# C 75-531-2541# Menuへ 4.―バリ島3日目― バリ島クタ3日目を迎え全くのフリーとなった。 旅の中でこの感覚が重要なのだと思う。 自分の都合で、自分の足で気の向くままにウォキングできることになる。 朝食後、シニャックの方へ、JL.レギャンの通りを北に向かう。 昨日見つけておいたこの通りに面した焼き魚屋で今日は夕食をするつもりでいる。 ガイドブックに載っていたgoa21及びThe Jaba Restrant?も見当がついた。 しかし、通りに面した土産物屋には、まだなかなか入れていない状態だ。 アンティークな興味をそそられる様な店が多い。 バリ島クタの街が、この様なリゾート地であるとは思わなかった。 帰りにスーパーマーケット?、Bali high BeerとMilk及びCoffee beansを購入する。 これだけでRP10,000を超えないのだから日本円に直すと約1,000円未満という計算になる。 物価は非常に安いことになる。 レートで1,2円違ったところで問題にならないと思った。 だが、しっかり信用のおける両替屋で両替した方がよいことにはかわりがない。 今、この文書はホテルのプールサイドで”ロングブーム”読みながら綴っている。 このホテルのプールは、広々としていてハワイのプールの様に利用している人は少ない様だ。 日本人はほとんど見かけない。 インドネシア人及び欧米人のみが利用している様だ。 JL.レギャンを歩いていて気が付くことは、前述した様に必ず店の前や奥まった路地、そして少しの家と 家の隙間に石像を伴った石の祠存在する。 そして、その祠の前には、小さな笹で編まれた籠に、ご飯(米)、花そして線香が盛られ供わっていた。 このことが、ヒンズー教徒の毎日の仕来りのように見受けられた。 時折見かけるが自動車のサイドミラーやナンバープレートに日本のお正月のおける様な飾(しめ飾り)が 付いていることがあった。 全てヒンズー教の信仰によるものだろう。 外部から眺めていると仕来りは仕来りとして、それが本当に生活全般の中で生きているのだろうか。
レギャン周辺 日本や米国は、今冬休みだが、ここバリでは学校で授業がある様だ。 小学校と中学校は義務教育らしい。 制服を着た子供たちを時折目にした。 街の中に学校らしき建物を見かけない。 これは、観光街のみを歩いているからだろうが、少ないように思えた。 高等学校へ通っている生徒は少ない様に見受けられた。 高校に通うよりも店の手伝いをしている若者の方が多いのだろう。 Menuへ 5.―出来事― 今日の朝、朝食の後、部屋に帰って気が付いたことがあった。 封筒の中に入れて部屋のデスクの引き出しの中に入れておいた日本円紙幣が、2万円ほど見当たらない。 5千円札と千円札3枚、そしてパスポートは残っていた。 1万円札2,3枚あるはずだったのが無いのである。間違いなくあったはずなのにないと気がついて、非常 に残念で悔しい思いをした。 外国旅行で現金を盗まれるとは思いも思っていなかった。こんなことは初めての経験だった。 後で聞いたことだが、外国でのホテルの部屋は、通りの状態と思っていていいらしい。 いくら、部屋のデスクの中に入れておいても、同じことらしい。 やはり、キーの付いた金庫に入れておくか、または、ロックの掛かったケースでそのケースも持ち出さ れないようにしておくぐらいの用心さが必要であると思った。 パスポートが盗まれずに残っていて、現金がまだ8千円ばかりあったのは、少々幸いだったと思い知ら された。 外国旅行では、こういったことに気を付けなければいけないと痛感した。 現金2,3万円ばかり盗まれてしまったが、気を取り戻して残された後のバリでの日数を楽しむことにする。 盗まれた現金は、もう戻ってこない。 高い教訓代を払ったと思うことにして、今後はこの様なことがない様に気を付けよう。 Menuへ 6.―シニャックのMoka Caffeで― ガイドブックに載っていて多くの旅行者が訪れるというシニャックのMoka Caffeに行ってみる。 フランス様式で冷房が良く効いたCaffeということらしい。 注文したのは、バリコーヒーと水で税込みでPR7,700、日本円で100円程度。 これも非常に安く感じた。 Caffeの主人らしき人は、親切そうにみえた。 日本人らしき旅行者は一人もいなかった。 Caffeの客筋は、バリに長期滞在する欧米人が中心の様であった。 確かに、このCaffeで各自が必要な情報のやり取りをしているのだろう。 いたるところにインターネットカフェがあり、情報は世界的規模で手に入ることになる。 前にも記したが、いたる所に石像を伴った祠が祭ってあった。 このCaffeの奥は、ヒンズーの神を祭ってある奥座敷の様であった。 その石像には供え物の「神饌」が必ず供わっていた。 日本でよく店の玄関の両脇に「塩」を置いておくような風情があった。 このことが、私には異様に感じられた。 当たり前のことだが、言葉は英語ではなくインドネシア語で、新聞も路上で売り子が売っていたが、字は アルファベットであるようだが、英語ではない様だった。 例えば、「Police」も「Polisi」という様に。 こういった環境が、私には新鮮に感じた。 今日で3日目になって、ようやくバリの環境に慣れてきた様に思えた。 ただ、この「慣れ」を一番注意しなければならないということを肝に銘じてくべきなのだろう。 実際、後残すところ1日となった。 また、持ち日本円8,000円では両替もし難く、あと手持ちPR500,000となった。 この状況で、お土産と食事をしなければならない。 今の時期は雨期に当たるそうだが、ここバリは全く雨が降らない。 乾期の様にも思える。 気温は、私の体感温度で30℃以上は有る様に思われた。 JL.レギャンを歩いていると、汗が常に滲み出てくる。 木陰に入ってもやはり暑い。 これが熱帯性気候というものなんだろう(バリは、赤道と南回帰線の中間に位置している)。 SAHIDO RAYA BALIのプールサイドにて。 Menuへ 7.―バリでの最後の日を過ごす― バリ島2日に着いた日の夜に食事に行ったレストランの場所がやっとわかった。 このレストランが面した通りは、ガン・ポォーズ2という名前で、昼間にあえて見てみるとオープンエアー の鄙びたレストランであることが分かった。 ホテルの裏門が、このガン・ポピーズ2に通じているとは思わなかった。 朝食を済ませて徒歩で、GALLALIA DFSに行く。 ここにはもう少し前に訪れておくべきであった。 DFSで、PATIKの衣服(上下)と土産物の猫が6対並んだ置物を購入する。 インドネシアでありながらドル立ての定価で示されていた。 これでは、いくらDFSであっても、その国に対して失礼ではないかと思った。 しかし、グローバル化という観点からすると普通なのかもしれない(観光客にとっては便利なのだが)。 帰りは送迎バスを利用した。 私は、常に、出来るだけ通りを歩いているので、この送迎バスがどう走っているのか、この通りがどこに通 じているのかがよくわかった。 あと、手持ちの現金はRP120,000程度。 JL.ギャランの土産物店でもチェックアウトの時間まで少しひやかしておこうと思う。 バリに訪れて初めてシャワーに遭った。約1時間程度で降りやんだが、大粒の雨であった。 しかし、私が思っていた程の激しい降りではなかった。 この様な雨が、5,6日を周期にして降るのであろう。 日本で云う所の「夕立三日」の様なものであろう。 雨が止むのをまって、クタの中心地にあるデパートでアラックを買う。 このアラックというお酒は、ヤシの果実からできた約アルコール度40%の蒸留酒だ。 ホテルを6時にチェックアウトして、10時30分まで時間を持て余すことになる。 どうして過ごそうか?持ち現金は、RP40,000のみ。 チェックアウト後、JL.ギャランに時間待ちのために行ってみる。 その間、クタの浜辺を見ていた。 波が、幾度となく恐らく東シナ海からだろうか、押し寄せていた。 そんなに大きな波とは思えなかった。 遠くに沈む夕日は、海を橙色に染めていて美しかった。 JL.ギャランのガン・ポピーズ2の角で自動車、バイク、そして行きかう人々を眺めていたら、困ったことに コンタクトレンズを落としてしまった。 ホテルに戻り、目の中を探してみたが見つからないので落としてしまったのだろう。 取って返して探してみたが見つからなかった。 失敗は続くものだ。 10時10分頃、到着時のガイドさんとは別の人が迎えに来た。 一家族3名と私の4名で、グラティ空港へ。 DFSの前のバイパスを通り、夜の街をかけ空港に着く。 荷物の検査を受け、JLの窓口へ。 そこで、搭乗チケットを受け取り荷物を預ける。 空港利用税RP50000を払い、搭乗検査を受け、空港の待ち合わせルームへ入る。 あとは、JL2714便に搭乗するだけだ。 次の朝、関西国際空港に着いているだろう。 これで、初めてのバリ一人旅は終わる。 Menuへ