《― 微笑みの国カンボジア シェムリアップ市から ―

2004年12月30日〜2005年1月3日                              Menu              1.カンボジア―シェムリアップ市へ(2004年12月30日)              2.シェムリアップ市に着いて              3.アンコールワットへ                                 4.アンコールトムを訪れて              5.タ・プロム(Taprohm)、マーケットを訪れて              6.帰国へ                            【トップページへ】 1.―カンボジア―シェムリアップ市へ―    (2004年12月30日)  予定より10分早い機上となった。VNで約5時間、ベトナムタンソニャット国際空港へ。  トランジットは、比較的簡単に済んだ。  要領順序は以下に記す通りです。    @ トランジットを受ける    A トランジット&トランスファーの部署でイミグレーション    B 待ち合わせロビーにて次のベトナム航空便を待つ と云った手順になる。  そして、約1時間程度でタンソニャット空港からカンボジア国のシェムリアップ国際空港へ向かう。  E/Dカードを記載する時間がなかった。  シャムリアップ国際空港で、大きな間違いをしてしまった様だ。  私の場合はもうすでに国内のツアー会社でVisaを受けているのに空港の係員に言われるがまま再度交付受けることになってしまった。  係員もその旨を言ってくれてもよさそうなのに!  約20ドル損をしてしまったことになった。  ホーチミンまで隣の席に座った女性と話が弾んでしまった。  彼女は、私と1歳下の54歳という。  米国に約30年滞在し、今、ご主人の待つホーチミン市に向かおうとしているところだそうだ。  日本を外部の目で眺めているので、どこか新鮮さを感じた。                         Menuへ 2.―シェムリアップ市に着いて―  シェムリアップ国際空港には約5時30分頃に無事到着した。  Visaの件で少し手間取ったので、空港の外に出た時にはもう暗くなっていた。  タクシーカウンターで、5$を払いアンコールの滞在ホテルに向かった。  滞在するアンコールホテルは、外観中規模のホテルの様だった。  しかし、ボーイ達従業員の教育はよく行き届いている様に見えた。  部屋は、#302.  着替えをしてホテルの外に出てみる。  非常に埃っぽい街だ。舗装があまりなされていない。  細かい赤土の微粒子が目に入り、コンタクト装填している私には少々苦しかった。  シボタ通りのセントラルマーケットの辺りまでぶらつく。  夜は暗く、街の様子にまだ慣れていないので良くわからなかった。   ホテルのレストランで過ごし、今日は外部の探検?はやめておくことにした。  アンコールBeer、ボトルで3$、豚の炒め物ライス付で3$,計6$であった。  明日は、まず、Vietnam AirlineでReconfirmを済ませ?、シェムリアップの街、特にオールドマーケット辺りを探索してみる積りでいる。 Menuへ 3.―アンコールワットへアンコールワット全景  12月31日(金)日本を出発する際に時計を持って出ることを忘れてしまったので時間がはっきり分らない。  携帯の時刻で、時刻を知ることになる。  6時30分頃、ホテルで朝食を摂る。  ビュッフェ形式なので自由に好きな食べ物を選べてよい。  カンボジア料理がどの様なものなのか、まだよく分らなかった。    食後、ホテルから少し歩いた先に前に調べておいたヴェトナムエアーラインに行きレコンファーム(Reconfirm)を済ませることにする。  帰りの搭乗券を持って行ったので、滞在しているホテル名と部屋番号を告げるだけで比較的簡単にレコンファームを済ませることが出来た。    バイクタクシーを利用して、そこからオールドマーケットまで行く。  料金の交渉は、約1$で交渉成立したが、チップ代を含めてとして2$渡してやった。  距離にして3,4Km程度だったと思うが、安く感じた。  ツーリストオフィスに行くが、11時〜2時までクローズとなっていた。  仕方がないので、歩いてアンコールワットまで行ってみようと思って歩き出した。  途中、土産物屋に立ち寄って時間をつぶしたが、やはり、バイクタクシーで行くことにした。  バイクタクシーは公式に認められているかどうかはわからないが、便利な乗り物だ。  アンコールワットは、想像していた以上に素晴らしい建造物(遺跡群)であった。  外濠の南西門から長い道を北上してアンコールワットに至る。  外壁にはマハーバーラタやラマーヤーナの叙事詩を基にしたレリーフが施されたいた。  クメール文化の最高傑作であることがよくわかる。  日本の援助によって採掘・調査されているということで、誇りを感じた。  この石造建築の偉大な寺院アンコールワット(Angkor Wat)の前に立って、いったいこの建物は。「だれが」、「いつ」、「どのような目 的」で建立してたのだろうかという疑問がまず湧いてくる。    アンコールワット   寺院本殿  資料によると、12世紀前半、スーリャヴァルマン2世が、ヒンズー教(ヴィシュヌ派)の基で建立ということらしい。  表参道は石畳みで敷詰められていて、長さは入口から大門まで約190m、大門から寺院本殿まで約350m、その道幅は約12m程であった。  表参道突端のテラス?の上り口には日本の神社でよく見かける狛犬によく似たライオンの石像が両脇に置かれている。  また、参道の両側には、高さ1m程度の欄干が設けられていて、その手すりにはコブラを様式化したナーガと呼ばれる大蛇が造られていた。  外濠を渡りきると西大門に達し、ここから中央部には本殿の五基の塔と同じような形の三基の塔が築かれていた。  大門の左右には回廊が伸び、その先には境内に通じる2基の「象の門」と呼ばれている門となっている。  そして、「象の門」の両翼は、ラテライトで築かれた外壁が続き、この外壁によってこの寺院全体が大城郭の様に囲まれている。  回廊内部の壁面レリーフは、ヴィシュヌ紳をはじめヒンズー教の神々の逸話・伝説及び建造者とされているスーリャヴァルマン2世の功績を  讃える歴史物語を描いたものである。    外壁レリーフ    ナーガ  中央本殿を上るためには、第二回廊から高さ13mの急な上りにくい石段を上ることになる  中央本殿は、高くそびえ立つ中央塔が中心になり南東、北東、南西、北西の角に中央塔を囲む様に築かれた4基の塔と、それらの塔を結んで いる第三回廊からなっていた。  最上段の第三回廊から周囲を見渡すと、眼下には第二回廊、第一回廊、経蔵等が見下ろせ、参道の参道が白く帯の様に大門を貫き、そのかな たには見渡す限りのジャングルが緑の樹海を形成していた。  ただ、裏側には崩れかかった石が無造作に放置され、改修を待っているかの様であった。 Menuへ 4.―アンコールトムを訪れて―               2005年1月1日(土)  日本では今日は元旦になる。今、私は、カンボジア、シェムリアップにいる。  カメラの具合がどうもよくない。  近くにあったカメラ屋で電池を交換する。  その足で、アンコールトムを訪れることにした。  アンコールトムは、アンコール遺跡群の一つでアンコールワット以上に素晴らしい遺跡であると感じた。  トム(Thom)とはカンボジア語で「大きい」という形容詞の一つだそうだ。  今回は、バイヨンのみしか見られないようだ。(時間の関係で)  このアンコールトム遺跡は、1日フルで十分見るに値する広さと壮大さを持っていた。  このアンコールトムはアンコールワットから北へ約2Km行くと、アンコールトムの城壁の南門に達する。1辺約3Km高さ8mのラテライト の城壁で囲まれた遺跡で、バイヨン寺院をはじめバプーオン寺院、王宮、象のテラス、籟王のテラスなど数々の遺跡で成り立っている。  一般のカンボジア人は、アンコールワットを小アンコールと言い、アンコールワットのことを大アンコールと言って大都市国家を意味している 様だ。  バイヨン寺院1 バイヨン寺院2 バイヨン寺院3    アンコールトムの大城壁には五つの巨大な城門が設けられており、バイヨン寺院を中心に城壁の東西南北に築かれた四つの城門、王宮正面に達 する東側城壁に設けられた勝利の門である。  バイヨン(Bayon)は、アンコールトムの中心として、東西南北の各大門から1Km半の所に位置している。  岩石を山のように築き上げた壮大な寺院である。  この寺院は、仏教を信仰したジャーヤヴァルマン7世により中心寺院として建立された。  王の最も崇拝した観世音菩薩像の巨大な4面象が、聳え立つ多数の塔に刻まれたいる。  そして、この刻まれた観世音菩薩像の面は、全部で196面あり、中心塔の高さは約45mに達するそうだ。  (資料による)  そのお顔は、少しずつ違っており、にこやかにほほ笑まれている様に感じた。  「象のテラス」は、王宮前広場に面した長さ約350m、高さ約4mで、テラスの壁一面に象の彫刻(レリーフ様)が施されている。  辺りは広場となっていた様に思う。  「象のテラス」と並んで、壁面にたくさんの彫像を刻み込み独立したテラスが有る。  これが、「籟王のテラス」と呼ばれているもので、籟王の彫像は高さ1mの坐像でインド風の口髭をはやし、衣服をまとわず、全くの裸身で、 性器を欠いている。  このことから、籟病患者の王の象として名付けられたらしいが、この像が誰を指しているのかはよく解っていないらしい。  なんといっても圧巻は、バイヨン寺院の岩石に刻まれた観世音菩薩像だ。  もっとゆっくりと眺めていたかった。  そして、再度カンボジアを訪れる機会があるときは、充分に勉強・調べてから訪れようと思った。  カンボジア・シェムリアップでのマーケットにも興味はあり面白いが、なんといってもアンコールワット・トム及びその周辺に散らばっている 数多くの遺跡群が際立っていると思った。               さすがに、世界遺産だけのことはあると思った。 Menuへ 5.―タ・プロム(Taprohm)、マーケットを訪れて―               2005年1月2日(日)  折角撮ったアンコールトムでの写真フィルムをダメにしてしまった。  仕方がないので再度アンコールトムを訪れる。  しかし、フィルムはコンビニエンスストアーで買ったが、肝心のカメラが云うことを聞いてくれない。   インスタントカメラを購入して、これで間に合わせることにした。  アンコールトムから少し離れた所にある森林の浸食により遺跡が樹木(ガシュマロの樹か?)で覆われているかの有名な「タプロム(Tap rohm)遺跡」を訪れた。  これも、バイクタクシーを利用した。  ここも日本では想像もつかないような光景を見せてくれた。  タ・プロム1   タ・プロム2(樹根で覆われた遺跡)  巨大な樹木の根が、寺院を飲み込んでいる有様を如実に目の当たりにして驚かされた。  仏像が根に囲まれている景観を期待していたが、それは見られなかった。  しかし、ジャングルの中に眠っていたこの寺院が現在の世に目を覚まして我々に見せてくれているこの光景は、自然の力の巨大さ・脅威をさま ざまと見せつけている。  そして、再度訪れたい気持ちがさらに強まった。    タ・プロムからバイクタクシーを利用して、まずはホテルに戻ることにした。  相当距離が有る様に思えた。  4$で交渉成立したが、5$渡しておいた(チップ込ということで)。  シャワーを浴びてからブサーバー?にやはりバイクタクシー(1$を支払う)を使って訪れた。  ここは、カンボジアの一般庶民がよく利用するマーケットだけあり、規模も大きく凄まじい様相を見せていた。  マニラ、ベトナムホーチミン以上の凄まじさ・活気があった。  熱帯産フルーツのドリアンにしろランブータン、マンゴースチン、竜眼、ドラゴンフルーツ、ティェツバーラン(ジャックフルーツか?)、ス イカ(アゥラック)、タマリンドそしてサポジラ(ロモット)等々が山積みの状態で店頭を飾っていた。  シャカトウ(シュガーフルーツ)は、3,4月頃出回るということで、当日は見当たらなかった。  バイクタクシーのドライバーは片言の英語は話せる様だ。  私にはまだ馴れないせいか、彼等の話し言葉がよく理解できなかった。  しかし、馴れてくると徐々に分ってくるし、片言の英語は話せるようになるものだ。  語学の習得は、このことが大事であると思った。  アンコールトムでの屋台で土産物を売りに来る幼い女の子(10歳くらいだろうか?)と値段の交渉で話していると本当に面白い。  彼女らは、糧を稼ぐことで必死なのだろう。  そして、彼女等にしてもこの様な普段の生活の中から、見よう見真似で片言の英語を覚え、また、片言の日本語も話せるようになるのだろう。  振り返って、日本においてはそんなことはまずないだろう。  経験がものを言うということが良く分る。    明日は、日本への帰国となる。  最後まで気を引き締めて、最後のシェムリアップの夜を有意義に過ごすことにする。                          Menuへ 6.―帰国へ―               2005年1月3日(月)  ホテルの土産物屋で、カンボジアの伝統音楽のCDとTシャツを購入する。  CD1枚6$から5$へ、Tシャツ1枚4$を2枚で6$に値引き交渉成立。                        Menuへ 『Reference book』 1.アンコールの遺跡・カンボジアの文化と芸術、今川幸雄 川瀬生郎 山田基久共著、霞が関出版、1969/3/20

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