《 ― メコンの流れ 癒やしの国ラオスへ ― 》
2006年12月29日〜2007年1月3日 Menu 1.ラオス ビエンチャン・ワッタイ国際空港に着いて (2006年12月29日) 2.メコン河岸を歩いて 3.ラオス伝統舞踊の観劇など 4.タラートマーケットにて 5.Happy New Year Party会場で 6.ビエンチャンでの最後の日 【トップページへ】 1.―ラオス ビエンチャン・ワッタイ国際空港に着いて― (2006年12月29日) 2006年12月29日の午前9時頃、ラオス(ラオス人民民主共和国)の首都ビエンチャン・ワッタイ国際空港に着く。 ワッタイ国際空港は、こじんまりした空港で建物も比較的小さく1階ですべての入管処理を終えることが出来た。 EDカードを少し間違って記載したようだが、「日本人」でもあるということなので全く支障なく通関できた。
ラオスの国旗
ワッタイ国際空港 ガイドブックにあるように3階のレストランへ行っていることにした。 そこでは、確かにリーズナブルで、ビュッフェ形式の食事が提供されている様だった。 レストランの横にある展望台広場には、現地の人らしき人達が、自由に飛行機の離発着の様子を見て楽しんでいる様だった。 空港入り口のカウンターでタクシーを頼むことにした。 ガイドブックに記載されていたように市内までは1ポテル(H)一律で6$であった。 滞在するノボテルホテルまでの道路は、多くが工事中であった。 この国が、アセアン諸国の一員としてこれからの発展のため整備されていっている様子が窺がえた。 このノボテルホテルは、ビエンチャン市内の目抜き通りからは少し離れた所に位置していた。 瀟洒な建物で、内庭にはプールやプールサイドにはバー、ジム、食堂が設えられているホテルだった。 ルーム#353で、趣のあるどっしりした部屋で有る様に感じた。 部屋での片付けの後、街内へ出かける。 今日は、ほとんど眠っていない状況だったので、市街をホテル中心に大雑把に見て廻ることにした。 そして、明日からのために訪れたい場所の検討を付けておくことにした。 マーケットに行く。大きなマーケットで1階、2階そしてマーケットの周りには多くの屋台が出て、犇めき合っていた。 ホテルへの帰りの道が分らなくなり、逆方向へ行っている様に感じたので、流しの「ツクツク」に声を掛け、3$でノボテルホテルまで行っ てもらう。 少し距離が有る様に感じた。 ホテルでは、風呂に入りそのまま眠りについてしまった。 Menuへ 2.―メコン河岸を歩いて― 明日12月30日(土)は、自称名所旧跡を見て廻ることにする。 一つの目的であったメコン河にも行って、そこから歩いてみることにする。 朝7時頃起床。日本へ電話を入れ、準備をして1階ロビーのレストランでビュッフェ形式の朝食を済ませる。 メコン河を見るために、メコン河の河岸を歩く。 向こう岸が霞んで見えないぐらいの大きな河だ。 この時期乾期のため流れている水量は少なかった。 しかし、霞んでいて見え難いが、向こう岸は隣国のタイ国になる。 従って、ビエンチャンは、メコン河を挟んで国境の街ということになる様だ。
メコン河の風景 ファーグム通りからダートダムの方へ行く。 そこにあった仏塔を見ていたら日本人に声を掛けられた。 60歳代だと思われる男性で、名古屋から来ているとの事だった。 割安のゲストハウスを中心にして泊まっているということらしい。 ゲストハウスは、1日5$程度で泊まられ、次の街へ行くために今このバスターミナルから移動するところだった様だ。 約10日間でラオスの街々を色々見て歩きの旅ということだ。 この様な旅を続けている様子であった。 本当に羨ましい限りである。 60歳代でこの様な元気な、所謂東南アジアの旅行に嵌っている人に逢ったのは初めてである。 彼とは、再びバスターミナルで会うことになったが、今からバスに乗るところであった。 そして、良い旅をするようにお互いに挨拶を交わし励ましあう。 私は、近くのマーケットでジャム(タマリンドのジャムか?)を見つけて帰りに購入することにした。
パトゥーサイ
タート・ルアン やはり歩いてバトゥーサイに行くことにした。 バトゥーサイを中心に公園となっていて、多くの人が、年末の休日を楽しんでいる様であった。 トイレに、使用料として2000Kipを入り口近くにいた子供に支払う。 次にタートルアンを訪れる。 Menuへ 3.―ラオス伝統舞踊の観劇など― 5,000Kipとガイドブックには出ていたが、特に要らない様であった。 マーケットは、特に変わらない様であった。 以前フィリッピン・マニラを訪れた時のあの初めての「驚き」は無くなった。 しかし日本では味わえない様な魅力的な形状には変わりはなかった。 欲しいものはたくさんあったが、荷物になるので止めておくことにした。 ツクツクでタラーサカオまで2$で帰る。 昨日探し見つけておいたタマリンドのジャムを13,000Kipで購入する。 そして、やはり昨日食事をしたレストラン コーンチャイドゥで食事、Beer Laoのスモールボトル2本と今日はピッザーにする。 レストラン コーンチャイドゥを出て、メコン河沿いに元来た道を通り、ノボテルホテルに戻る。 3時頃からホテルのプールで過ごすことにした。 プールには私を含めて5人しかいない、それも中年以上の客筋であったので落ち着いた雰囲気であった。 ここで少し時間を過ごして、夜にラオスの伝統舞踊でも観に行く積りでいる。 6時30分頃、伝統舞踊を見せてくれるクアラーオに行く。 8品セットで10$で、Beer Lao1本をさらに注文する。 予め予約していなかったので、舞台があまり見えない様な席になってしまった。 しかし、食事内容は充分であった。 7時30分頃からショーは始まった。 その前に、日本人ツアーで予約席が埋まってしまう様な活況であった。 舞踊内容は、私には良く分らなかったが、まだまだショーとは言えない様な内容だと思えた。 アルコールが少し入っているせいか、また道に迷ってしまった。 日本人ツアーのガイドに聞いて、ようやく分かったという体たらくであった。 これくらいの範囲であれば道に迷うことは無いのだが・・・・ 夜は街灯がなくて道が暗く、ノボテルホテルまでの道が少々不安になる。 ホテルに着いて、少し早いが眠ってしまった。 明日は、タラート巡りをする積りである。 Menuへ 4.―タラートマーケットにて― 2006年12月31日(日) ビエンチャンの各店も諸々と趣向を凝らして、元旦とは言わないと思うが年始に向けての準備に忙しそうだ。 ノボテルホテルでもHappy New Year Partyということで招待を受けていたので断れきれず、そのパーティーに参加する ことにした。 朝、朝食後ホテルを出てタイ航空へ。しかし、日曜日ということで休みであった。 そこで、タラート・トカトントンの方に歩いていくことにした。 このマーケットはガイドブックによると、食料が中心の内容らしい。 東南アジアのマーケットは、その商品の豊富さに常に驚かされる。 そして、そこにいる人々の元気で活気に満ちている様子が活写されている。 素晴らしいことだと思った。この活気さがある限り東南アジアには、未来があると思えた。 (この最貧国と云われているラオスでさえ・・・どこが最貧国なのだろうか?)
マーケットの風景 方々にあるマッサージをしてくれるという店に行ってみた。 約1時間程度で、3$とは安い。 だから、2つの店も回ってしまった。 サウナもあり、7,000Kipで、2回目に入った店は、地元の人が中心で、日本で云うところの銭湯の様なものと思えた。 若者も入っていて、とても楽しく感じられた。 約2時間程度ゆっくり入り、楽しむ。 ラオ族の青年と話し合うことが出来たが、残念ながら約30%程度しか通じなかった様だ。 それにしても、訛りの強い英語だとは思うが、よく勉強している様にみえた。 英語力は、絶対に必要であるということをここラオスでも実感させられた。 Menuへ 6.―Happy New Year Party会場で― 夜7時20分頃、プールを通り、テニス場横に設えられたホテルのパーティー会場に赴く。 私の席は最後列であったが、私を含めて7人のグループ席であった。 オーストラリアご夫婦、イタリア人等国籍はバラバラであった。 彼等は、夫婦間では自国語で話している様だったが、グループでの話になると英語が話されている様だった。 このパーティーは、参加者が200名程度集まり、盛大に催された。 ラオス、タイの伝統的な舞踊で始まり、現代の若者風の舞踊ショーもあり、料金30$では値打ちがあった。 ステージを前にしてファションショーに出た女の子達とダンスに興じるのは、開放感があり、実に楽しく充実したNew Year Party であった。 また、グループのある夫人にダンスのお相手をしてもらうことが出来てたいへん楽しく過ごすことが出来た。 11時59分頃からカウントダウンが始まり、2007年が明けるとパンチカードが打ち鳴らされ新しく新年を迎えて全員お互いに大いに祝 福しあった。 約2時頃まで続き、その後部屋に帰った。 7.―ビエンチャンでの最後の日― 2007年1月1日(月)ビエンチャンにて ラオスでのfull last dayとなった。 初日に出逢った日本人は、ビエンチャンは小さな街なので見るべき場所は少なくすぐに終わってしまうだろうと言っていたが、なかなかそん なことでは済まされないだろうと思った。 ノボテルホテルを出てメコン河に沿って歩き、途中でタラート・トンカンカンに行く。 マーケット、特に東南アジアのマーケットは、私にとっては非常に魅力的な場所だ。 マーケットの周りを含めて、狭く入り組んだ路地いっぱいに店が並んでいる その中を荷物を積んだリヤカーやバイクが行きかい、非常に喧噪した賑やかさがある。 種類の異なった店がグループ化している様だ。 この状況は他の東南アジア諸国でも同様であった。 果物、野菜、衣類、そして土産物と云った風に。 トンカンカンを出て、マッサージ店の前を通り、バトゥーサイに向かって歩く。 Lane Xang通りを下り、タラート・サオへ。 学校で司書をしている原さんに、カラーの布を購入する(約束していたので)。 その後、一旦ホテルに戻る。 3時頃、昨日訪れたサウナへ行くが、1日クローズしているということなので、パパイヤマッサージ&サウナへ行くことにした。 欧米人、恐らくフランス人の家族とドイツ系の男性が入っていた。 私は昨日訪れて今日休みになっているサウナの方が、自分的には合っているなーと感じた。 そこを出て、暗くなりかけてきたのでメコン河沿いの屋台で食事を摂る。 メコン河の上に屋台を組んで店にしている所を選んだ。 メコン河上で食事をするのも一興かと思った。 店主らしい男性に、「向こうに見える明かりはタイ国か?」と聞くと、「そうだ」と答えてくれた。 国境のすぐ隣にいることに、日本人の私としては凄く感慨深い思いをした。 ラオスは、今は、戦況状態ではないが、ベトナムやタイとは国境付近で混乱があったように聞いている。 しかし、今は全く平和そのものの様に思われた。 ラオスでタイのバーツや米国のドルが自由に自国の通貨と共に使われているのがその証拠であるように思った。 ノボテルホテルのすぐ近くのKaraoke&Diskoに行ってみる。 客は若者が中心のDiskoで、10,000Kip入場料で、one drink freeであった。 内容的には、日本や欧米と比較してまだまだシステム化されていない様に感じて、早々にその店を出ることにした。 そして、明日(1月2日)は帰国となる。 数多く歩いた通りの名前は以下の通りです。 ・Fa Ngum Rd. メコン河沿いのファンガム通り ・Sethathilat Rd. セーターティラート通り ・Samsetha Rd. サムセンタイ通り ・Thong Khankan Rd. ・Lane Xang Rd. ・その他細々した路地 Menuへ 『Reference book』