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尾張津島秋まつり
市制50周年記念 山車、郷土芸能など総出演
駅前広場に山車16両勢揃い 七福神踊り
山車を囲んで,いざ祭の始まり 石採車 北部車 鉦と太鼓を打ち鳴らす
山車と石採車の競演 石採車 お兄さん、お姐さん
神武天皇の金鵄の後光のデザイン
津島神社鳥居をくぐる山車の列 石採車 南部車 須佐之男命
津島神社 御神木 大銀杏の前を行く 石採車 中部車 竹に虎
秋祭り・津島と上街道
10月5日
=津島市政五十周年・秋祭り=

参加者:後藤泰子 柴田良成

10時11分、名鉄津島線弥富行きに乗り込む。降り立つ津島駅のコンコースからは駅前に集合していた各町内からの山車が一望に出来、出囃子の音声が聞き取れ、祭り気分がいやが上にも高まる。
11時に今回、初出演となった神守の山車三基。今年は津島市政五十年と成ることを記念して,
例年になく盛大に執り行なわれると聞き今回の探険学に決定した次第。
津島の町は戦災を逃れ古くから伝えられた山車が多く残されていると聞く。
天気は最高の祭り日和。津島市上げての祭りと成り、これ程の勢揃いは今後見られないのでは。
今回は,ぜひ山車や催し物を,この目でじっくり見つめたい。
11時に集合した山車は2時30分まで順次桟敷を正面に,各地域の人達の舞い、謡、山車からくり、等々を披露して津島神社へと向かう。
途中交差点などで何度か山車を傾け山車廻しを繰り返しながら練り歩く。
全体的にまつりとしては、おとなしい感がする。
石取り車の鐘の音以外は車力など整然と祭り自身を楽しんでいる様子。
石取祭りといえば、この地方では結構、有名な桑名の祭りは二昼夜を徹しての強行な祭りで、酒飲み風景があちこちで見られたが、ここでは女性、子供達の参加が目立つ。各町内の役割、分業をつつがなくこなしている様子が伺える。
山車は全て金箔が新しく、彫刻など細工ものは亀崎の山車とは些か異なる。
しかし、からくりは多種多様で変化に富んでいて結構楽しませてくれた。
郷土芸能の3題の祭事は、鬼まつり、七福神、くつわ踊り
、この地方に受け継がれた民芸の行列と踊りを披露していく。
津島神社の横に位置する堀田家
過去何度か訪れはしたが、中には入れず。
今日は特別公開しており、祭り最中に訪れる事にした。
堀田家:重要文化財指定
初代、福島正則の中小姓、芸州広島の国替時に故郷、津島に戻り祢宣町に家を建てる。 酒造業、金融業、新田開発、尾張藩の寺社奉行所御用達を務め、苗字帯刀を許された。
戦国期、津島十五家の士豪集団(地侍・国衆・士豪名主)の一家。 津鳥神社の神官の系譜をひく旧家・一族
堀囲家住宅
江戸中期・正徳年間(1711年)に創設されたものを明和2年(1765年)に改修され、さらに寛政元年(1789年)に座敷、茶室が増築されたものと言われる。
昭和48年(西へ60mに移転)約623坪の敷地を津島市が購入、建物を譲渡された。(平成8年3月)
屋根は片流造銅板、部屋内は当時の調度品や日常用品が置かれている。

文と撮影 柴田良成

木村レポート

柴田さんとは、この年、四月に、一宮今伊勢石刀神社で初めて会いました。
神社境内で、いろいろ見聞されていました。宮司さんの話を一緒に同席、抹茶を頂きながら伺いました。
その時は、それで別れましたが、この津島祭で又、出会ったので、それから交流しています。縁は異なもので、この間は笠寺へ同行しました。
さて、私の見聞録。津島へは、この時、初めて行きました。一宮からは尾西線ですが、これが祖父江町経由の単線なのです。
名古屋からの津島線にリンクしていますが、こちらは特急もあり名古屋からの方が便利だと思います。
私が津島駅に降りた時、山車など既に集合していました。山車16両の整列は見事な眺めです。
名古屋、犬山型よりは小振りな感じです。重量は2トンと聞きましたが名古屋型の半分です。屋根の形も様々。破風が四方にある小中切車は珍しい。
車切(山車の後輪を軸に前輪を浮かせてクルクル廻す)をやるのですが軽々廻します。各、山車が、からくり披露をした後、3両ずつ、お囃子に乗って車切を披露。順次、1K程先の津島神社へ道行きをします。途中、辻で車切を披露、神社前へ集結します。
今回は市制50周年記念大集合で石採祭車3両、郷土芸能、鬼まつり、七福神踊り、くつわ踊りが参加。
駅前広場で披露されました。私は初めて見るものばかりでした。これほど沢山の祭を持つ津島は美濃路では津島衆という豪商の集まる意気込みが感じられます。しかし、この年、27年ぶりに復活した大中切車は、この時、修理に約2000万円の修理代がかかり、町内も7世帯という小町内の為、祭の続行が難しいという難題を抱えているといいます。
ビデオ撮影は人混みが凄いので、液晶画面を下に向け、両手バンザイで撮影しました。


石採祭車
大正4年、天皇即位記念の頃から始まったといわれる
南部車天幕は猩々緋に須佐之男命が八頭大蛇退治の有り様が金糸色糸で縫ってある。
中部車天幕は青緑地に金糸色糸で竹に虎が縫ってある。
北部車天幕は白地に神武天皇の(ゆはずに、やた烏)が止まっている有り様を金糸色糸で縫ってある
知る人は知る、日本一やかまししい祭。鉦と太鼓を打ち鳴らす。この鉦が、ばかでかい。祭囃子の鉦は、手に持って小さな槌で刻みますがこの祭の鉦は直径50センチは、ゆうにあり太鼓に合わせて四個の鉦を叩くのですから耳をつんざく音です。
ウオーーンとエコーもかかって凄まじい。それぞれの披露の後、三両の競演。
ど派手な衣装と、カラフルなヘアーを振り乱してのパワーでした。本家、桑名では数十両あるようですから一見の価値あります。
祭車は刺繍の天幕、万灯柱、行灯のついた三輪の高欄の付いた漆塗りの立派な曳山です。

郷土芸能
鬼まつり 七福神踊り 埋田町 くつわ踊り
鬼まつり上河原町 車切り大会。三輌の競演 くつわ踊り 豆拾いの子供
鬼まつり
鬼まつりは、加藤清正が子供の頃、当地の叔父の家に寄寓していたが、賊を追い払うのに用いたという鬼面をかぶった親鬼を中心にして行う。大江山鬼退治を、祭りで親鬼は猩々緋のどてらを着け黒のビロードの丸帯を締めて大ぶくら(高げた)をはきます。

行列は鬼と花嫁(これが男)それに留袖の付き添い(これも男)、縦縞の男衆、子供が葛篭を背負う。
町衆が法螺貝を吹きながら行列。
七福神踊り
七福神踊りは二百年程前、地主、大橋武衛門が寄付した七福神を、村の蔵の中に祭ったのが始まりで、後に、村の若い衆が自費で面や衣装を作り踊り始めたといわれています。
鉦と太鼓を鳴らし踊る。布袋和尚は被り物で3メートル程の背。祝儀のご挨拶をする。
くつわ踊り
くつわ踊りの起源は、織田信長が四百余年前、津島神社に参拝の折に踊った「津島おどり」に発するといい、又、古くから津島神社の神霞流着岸に伴う懸け踊りとして奉納されたようであります。

唄に合わせ(浦島太郎がなんとか・・・)、朱塗りのおんば日傘に錦の布を三枚下げ、紫のたっつけ袴に白の上衣、たすき掛けの踊り手が四人傘を回す。他の四人は首にかけた紅白の紐についた轡を手に踊る。
八人の間を子供(豆拾い)がタンバリンのような物を手に駈け回ります。
なにか、おっとりした平安朝のような雰囲気があります。

山車に乗るからくり

今市場の山車 小中切車 住吉明神、変じて社殿となり、又、明神にもどる
大土社(今市場町の祭礼に引かれた
天明年間(1781〜1789)頃からといわれる。
大中切車 翁と唐子遊び
朝日町車 湯立神子(ゆだちみこ)
向島の山車 中之町車 唐子の文字書き
居森社(神明町)の祭礼に引かれたもので
寛政年間(1789〜1801)頃からといわれる
馬場町車 大黒の打ち出の小槌が割れて唐子が出て遊ぶ
上之町車 唐子の飛び付き
神守の山車 上町車 関羽(かんう)
穂歳神社、憶感神社(神守町)の祭礼に引かれた
文化年間(1804〜1818)頃からといわれる
中町車 林和靖(りんなせい)
南町車 寿老人
七切の山車 米之座車 高砂と神主が宝船に変わる
市神社(米町)の祭礼に引かれたもの
正徳年間(1711年)笹に提灯を付け傘鉾を出した
のに始まるという
高屋敷車 猩々で頭を前後に振り手を左右上下する
布屋町車 蛭子大黒の舞
麩屋町車 湯取り神子(ゆとりみこ)
池町車 唐子遊び
小之座車 獅子舞と唐冠の太閤さん
北町車 唐子遊び

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