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桃 花 祭 その壱

尾張一宮 真清田神社 御祭神 天火明命 御例祭 四月三日(本来は三月三日 雛の節句)


真清田大神祭礼絵図
(内藤東甫)


二日は、車楽(だんじり)を境内の東西に配し試楽を行いました。
夜から祭車の囃子が行われました。西車は三明神、東車は本宮です。
屋根の上、中央に四本の柱で支えた小さな屋根を設け、前後には造花を立て、神霊を入れた人形を据えます。神酒、洗米を供え、中段では楽囃子を行います。
肩衣を着た太鼓(少年十歳くらい)一人。赤鬘を被った獅子(少年七歳くらい)。折烏帽子を被り造花を挟み袴の上に腰鼓をつけ桴を頭に差した稚児(四歳くらい)二人。
この他、付け太鼓、一人、横笛二人、小鼓四〜五人、太鼓一人が七回半、演奏をします。
上に乗っている人形の如何でその年の豊凶を占う風習もあったといわれます。
祭車の行事は西車を先に行う事になっていました。祭車は戦前は市中を練行し、児の舞、獅子の曲、太鼓の曲を演奏したといわれますが今はありません。祭車には一台に一人の頭人があり付属する氏子は約二百戸(代々住む家)。
頭人は、この中から獅子、稚児などを選び三月二十六日から練習をしたといいます。
この地方では、社寺に飾り馬を献馬する馬之
塔が流行り、各町内、部落から、多くの献馬がありました。
その豪華な馬道具は空襲で多くが失われました。

献馬には、若者が女の長襦袢を着け、化粧などをしてお旅所に集合。夕暮れまで揉み合いました。
献馬の押えとして、殿町は若殿、奴おどりを努め、終点、地蔵寺に帰る頃は、夕闇が迫っていました。
現在は、それも途絶え、祭りは三時過ぎには終わります。

尾張名所図会の桃花祭(小田切春江)
   尾張年中絵抄行事 ヤブサメ 馬之頭

かって組み上げられた西祭車
これを参考に東祭車が復活
された。
平成十三年、再び組み上げられ
東西の祭車が並んだ。引回しは行われない。
車楽 尾張年中行事絵抄

駄志馬は氏子の答各町内より、桃花祭に御用馬としてひき出すもので、いつのころから始
まったのか、よくわからないが、天正(1573)の頃にはすでに百数十頭の馬が揃った という。
享保(1716)の頃には数十頭が神領地より献馬されている。

戦前は試楽の日(四月二日)神社に参拝して本殿を右側より左側に一周し、馬繋場に馬 をつなぎ、馬具を神社の高塀の一部屋ごとに飾り立て、拝観したものである。
また翌三日は
午後二時までに御旅所に集合して神輿に供奉して神社にくり込んだ
〔資料・山車馬行列次第)

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