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 城山八幡宮 昭和塾堂(末盛城二の丸跡 
(現、愛知学院大学歯学部研究棟)

名古屋市千種区城山町 2.90


掲示板)の表示文
「昭和三年、愛知県により青年教育、社会教育を目的とし「人づくりの殿堂」として建設されたものである。
四階建てのを中心に下部には二階建て鉄筋コンクリ−ト造りの本館が三方に伸び「人づくり」を表現するものとして真上からも横からも「人」文字形に見えるようされたものである。
現在は県より移管を受けた八幡宮の施設として管理保存されている。
又ここは末盛城二の丸跡でもある。」


昭和塾堂は信長の父信秀が築城、弟信行が居城とした末森城跡の老松、椎、アベマキが繁る森の一角に建てられました。
城山と名付けられた、この地に昭和十一年、春里町から楠八幡社が遷座。城山八幡宮と名を変えました。
境内の左奥に「縁結び連理木」があります。この連理木アベマキは途中で二幹に分かれ、又一木になっています。
塾堂は「国力充実は青年の社会教育から」と県が昭和改元事業の意味も込めて建てました。

戦時中、一時軍隊に接収されるまで、多くの青年が、ここで講習を受けました。
戦後は、名古屋大学医学部、県教育文化研究所、県職員研修所として利用されました。

1966(昭和41年) 城山八幡宮が県から買い取り、管理保有しています。
老朽化が激しく、板張りの廊下、壁、屋根の銅版も剥がれています。

望楼風の四階建て高塔は、末盛通り周辺から、木立の中に眺められエキゾチックな風景を醸しています。

昭和塾堂

現在は人の出入りも少なく周辺に車が駐車してあります。
建物、施設とも老朽化して利用はあまり無い様子です。城山公園整備計画があるようですが用途を変えるなどして存続をして欲しいものです。
幼時、東山動物園に向かう市電の窓から眺めたエキゾチックな風景は今も変わっていません。