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2004.1-6
間(ま) 6.26

三週間程、・NET(VB)のプログラム入力を本を見ながら200ページやって一通り終わりました。
運動不足で歯が浮き、お腹も消化不良で不調になりました。1字の間違いも許されないコンピュータ言語。
幸い入力ソフトがミスを指摘するので修正はやりやすくなりましたが、曖昧では全く許されない世界です。
今度、アニメで大賞を受賞した「頭山」の作者はCGは使わないで手描きで二年がかりで完成されました。
「コンピュータでは表せない絵と絵の間の「間(ま)」は見る人の想像の世界で実際の絵は要らない」とのインタビューでの話でしたが、これが人間的なアナログというものでしょう。
コンピュータでも圧縮という手法が有りますが、これが同じ手法です。「コンピュータ」は直線的に間引きするので臨機応変ではなく、日本で昔から言われる「間(ま)」とは違います。
「体操」と「踊り」を比較すると判ります。体操は、動作から次の動作へは直線的ですが、踊りには微妙な曲線があります。
これは阿吽(あうん)の呼吸とか「間(ま)」と言われますが、柔軟な動きが求められます。これの習得の為に「お稽古」があります。この「間」(ま)」は「踊り」だけではなく「芸術」「芸能」「文学」などにも必要です。
表面に見えないものを感じ取り、身に付けるのが「稽古」「練習」「修行」などですが、それを「面倒だ」と嫌って、いきなり「思い付き」や「瞬間芸」「コピー」でやっても文字通り、すぐ泡(バブル)と消えます。
「コンピュータ」などのデジタル社会は一つの隙間も許さない「間(ま)」の無い世界です。
これをデリケートな人間の脳は受け入れません。情緒障害になり自律神経失調になります。鬱の原因になり危険です。仕事と趣味(遊び)は両立しません。ハッキリ切り替える手段が必要です。
文字通り「人間」とは「人の間」です。
アメリカは強力で圧倒的なハードの力で世界を制する超大国になれるとの過信で、情け容赦なく人の心を無視し、猛反発を受け泥沼に嵌まっています。
能率と理詰めだけでは人間は納得しないことを考え直す時が来ています。
融通の効かないハードと柔軟なソフトの融合は不可能でしょうから、巧く両立させる手段を考えなければなりません。人間がコンピュータに支配されるSFが空想ではなくなります。
CGを現実と混同し、ターミネーターにならないように気を付けましょう。
既に、かなりの人が携帯電話にコントロールされている気配です。便利さに振り回されないよう注意しましょう。
多くの画像が溢れ、デジタル機器が盗撮やプライバシー侵害に悪用されています。
本来の健全な利用までが妨げられる事の無いように、発生する事件やトラブルが警告を発しています。



オリジナルとコピー 6.17

某電気店が新規開店しました。
開店セールは大混雑。やはりデジタル家電(画像関連と携帯)に集中しています。
目立つのはCDやDVDなどのディスク。テープの時代は終わりかと思えます。
そこで考えられるのは大容量のメディアには何を記録するのかという事。
殆どがTV番組や映画、音楽ではないかと思います。即ちコピーです。
わが家にもパソコン内臓のDVDドライブがありますが、その大容量メディアの用途はCDとは違います。
CDで足りるものをDVDに記録する必要はありません。
大容量が必要なものとしては動画が考えられますが、ビデオの撮影、編集などをやらない人はどう使いこなすのでしょう。
パソコンでビデオキャプチャーをと言われますが、それは家電のDVDレコーダーの方が良いでしょう。
わざわざパソコンを可動してキャプチャーしてもモニターの小さな画面の前で何時間も見てはいられません。
キャプチャーカードにはS端子出力は有りますが、それを家電の大型TVに繋いで見るのも感心しません。
次々、録画したものを見る時間があるのだろうかと思います。
一方、オリジナルは、ビデオ撮影、編集やプログラミングなどは個人の力では限界があります。貧弱な事しか出来ません。
それでも個性やセンスは貴重です。それはハードだけでは表現できません。
ビデオ撮影の場合でも技術だけではない撮影した人の人間性や感覚が表れます。それが編集によって一層強調する事が可能になりました。
但し、相当なエネルギーが必要です。
ビデオも、ただ写っていれば良いという訳には行かなくなりました。これだけカメラが普及すると誰でもある程度は撮れるので珍しくもないし、ダラダラと撮影された物は見たくないし、撮影される側も迷惑な場合があります。やたらと公表すべきでないと思われるものもあります。
いつもコピーや受け売りに終始していては能力アップはありません。少しづつでも前進したいものです。
度々挫折しますが「王道は無い」と言われるとコツコツとやるしかありません。やらなければ進まないので止めたらそこで終わりです。
そうなると本当に手間が掛かった価値のあるオリジナルは簡単にコピ-されないようにしなければなりません。
コピーガード対策が必要になり、その方法も普及してきました。
デジタル放送は「Bキャストカード」で一回のみ録画に限定されます。
これは個人でも同じで、努力を積み重ねて作り上げた作品(ビデオ、プログラムなどのデータ)は保護の必要が有ります。当然だと思います。
知らない所で自分の作品が公開されていたら不気味です。
これはビデオの場合は撮影時点から心がけるべきで、人物撮影は特に注意が必要です。既に展覧会、音楽界、観劇、各種発表会などは撮影禁止です。
知的所有権、著作権、プライバシーの保護は、ますます厳しくなります。
モラルとエチケットに気を付けないと、どこからクレームが来るかもしれないので要注意です。
インターネットや出版物、映画、ビデオなど年少者への影響も真剣に考慮しなければいけません。
野放しになっている状況は目に余ります・
自分の発信する情報が思わぬ影響を人に与える事を心しなければなりません。
今後は、ますます、そういう方向に向かうでしょう。


覚王山から出来町へ 6.10

今回の筒井、出来町天王祭は六日に出掛ける予定が天気予報が雨との事で五日の午後出掛けました。
筒井、出来町の祭礼を見に行く前に、暫く行っていない覚王山の先祖の墓参に行って、そこから古出来町へ歩いて行きました。大体2K(30分)で行ける見当です。
地下鉄が名古屋大学まで開通し「自由ヶ丘」も通る事になったので、駅がどの辺りに有るのかも確かめに行きました。途中の所用で「志賀本通り」から乗車したので¥230、名古屋駅からは3区前の「ナゴヤドーム矢田」までが¥270ですから¥300くらいと思います。名古屋駅から13区有ります。
「一宮」から「名古屋」はJRで11分¥290です。順調なら私の家から20分で行きます。この比較をどう考えるか・・。
今までは東山線「覚王山」から参道を15分くらい自由ヶ丘まで歩いていました。
このコースも、緑が多く、いろいろ、名所、史跡、建築物がありウォーキングコースのバリエーションが楽しめます。
「自由ヶ丘」の駅は名古屋商業高校のすぐ東、案内板に従い西へ少し坂を上がると学校の北が、すぐ覚王山墓苑です。
いつもは日泰寺から東に向かいますが、今回は墓苑の西南の丘陵地の一番上から下ります。ここは中央が凹地で、再び北へ上ります。
その中腹に吾が先祖の墓碑があるので正面から探しやすくなりました。今までは後面から探していましたから迷う事がありました。
墓参を済ませてから、祭りたけなわの古出来町方面へ。

祭り見物は、山車が、それぞれ、各氏子町内を運行しているので何処に居るのか見付けるのが大変です。
お囃子が聞こえると、それを頼りに行ったり来たり。山車が出会う場所と時間を知っておけば山車の集合場所が、わかり一度に見る事が出来ます。
11年前、行き始めた頃はインターネットも無く行き当たりばったりで歩き回りました。
今は、ホームページ「尾張の山車祭り」で運行マップを教えて頂けるので大変助かります。
筒井、出来町、西枇杷島の祭りは六月第1土日(一部金曜宵祭り)で同時開催なので大変です。

さて、覚王山通りを歩くのは毎度の事、大曽根へ歩いたことも数度ありますが、今回は、月ヶ丘と南ヶ丘の間を通って天満通りへ出ます。
ここは初めて通る道です。丘というだけあって下りは急坂、きつい所は自転車で上がってくるのはは無理でしょう。雪が降ったらゲレンデ化するでしょう。
緑は一杯、豪邸や高級マンションも見受けられ環境は、なかなか良い所です。
天満通りを横断します。この道路は戦後拡張されたと思いますが、1Kほどの間に末盛通、姫ヶ池通り、天満通り、と名称が変わります。なお南へ行くと田代本通、川原通と3Kほどの間に、次々名称が変わります。
天満通りを横断して上野3へ、ここは商店街ではないですが色々店舗があります。
この南方が、振甫ですが、ここには戦前からの大きなプールがあります。戦後も多くの水泳大会が開催されました。最近、名古屋では水泳大会の話は聞きません。
私は、幼時、このプールへ行った記憶があります。日泰寺から北へ500M程の所ですが交通の便が悪かった当時、葵町からどうして行ったのかわかりません。当時としては珍しい公式プールでしたが親が連れて行ってくれたんでしょう。
上野3を西へ、多少、道は曲がりながらも進むと名古屋電気高校が有ります。新館の南に旧館があります。愛工大付属中、名古屋経済大、市邨高・中、名市大芸術工学部、盲学校、聾学校などが集まる文教地区であり、公務員住宅や、かなり広い千種公園、名工大グラウンドやテニスコートがあり名古屋市内とは思えない雰囲気があります。
交通の手段が少なかった頃は街外れの広大な地域だったのでしょう。
思いがけない風景でした。まだまだ名古屋には知らないところが多くあります。
ここを西に進むと、松軒2、都通りを横切ると、その北方が、祭り囃子が聞こえてくる古出来町です。

出来町山車は町内周りの最中で三社ある天王社はいずれも留守番の長老だけなので、まず今回の目的の「龍神太鼓」と「唐子人形」が二十五年ぶりに里帰りしている出来町「中之切」へ。
留守番の長老方と話が進み、五時の三車出会いまで居ました。「東区生涯学習センター講座」とかで二十人の人が「西之切」綱頭の解説を聞き法被を着ての曳行体験をされました。第5回だそうで、去年は古出来のお囃子の解説を聞かれたようです。
「東区生涯学習センター」は、葵に有り、数年前「東区の空襲を語る会」にOB参加させて頂き体験発表させて頂きました。センターの一本南の道沿い(現文化女子短大)に私達家族は空襲(1945・3月)まで住んでいました。
龍神の様子は別のサイトで紹介します。
「龍神」をビデオ取材、筒井へ行き、西枇へも寄るつもりでしたが予定がずれて宵前の休憩時間になり、筒井の提灯付けを見ながら地下鉄「車道」から帰りました。
筒井、出来町、西枇杷島祭、いずれも行き始めた十一年前は情報も少なく、ビデオ撮影する人も珍しい状況でした。インターネットも無く行き当たりばったりでした。最近は、もっぱら重点的にポイント見物です。
撮り溜めたビデオの整理編集をしなければいけません。祭は大きくは変わりませんが人は変わっていきます。

壁 6.2

某TV局で「バカの壁」を著された養老孟司さんの対談を聞きました。
いろいろな「壁」の質問に対してズバリと即答されました。

「教育の壁」
 教育によって変わる事が有るのは脳の一部の思想だけ。
遺伝(体格、体質、能力など)は、どうしても変えられない壁。無理に変えようと思うと数多くの問題が発生する。
例えば肥満体質を細身に変える事は努力だけでは越えられない。逆も然り。
外観だけでなく内面も同じ。

「養老さんの壁」
  ズバリ寿命、こればかりはどうしようもない「壁」

などなど。

職業や生活環境のミスマッチも越えられない「壁」です。

努力しても悩みが増すばかり。
変えられなければ早く割り切った方が楽になれると思いますが相当に悩む難題です。
割り切って諦めれば楽になりますが、虚しさが拡がります。
それでは生きている意義が無いので目的を持てる事をやらなければ。
それは人によっては「マラソン」であったり「パソコン」であったり「ビデオ」であったり「芸事(これは遅くからは難)」「芸術」であったりします。何れも、すぐ「壁」は現われます。
「何もやらない、やっても仕方が無い」も一つの考えですがこれは?です。
ゼロからの出発は高齢からは難しいので、人それぞれが今迄の能力に応じて考えるしかありません。
加齢と共に体育系も文科系も「壁」は、ますます大きくなります。ノルマが無い代わり「お金」にはなりません。
何もしないで野垂れ死にするよりは壁の前で息絶える方がカッコ良いでしょうか。
死に様までカッコつけるのは良くないですか。

全く、壁の存在など意識しないという人も居るかも知れませんが。



堀川に清流を 5.27

名古屋の堀川を綺麗な清流にしようと「庄内川から導水を」の要望の声に一部導水が始まりました。
毎時、0.5tから始まり、現在は1.0tに増やしています。ところが予想に反して、以前より濁って臭い流れになっているようです。
公募された「堀川1000人調査隊」は2000人を超えた参加が得られ、大勢の人が堀川清流復活の為の調査に携わっています。
庄内川の水を導入し流れを促せば浄化効果が大きいと始まった導水。
ところが導入部に合流している矢田川の水質が極めて悪く、庄内川本流と較べて明らかに黒ずんだ濁水が導入部(黒川樋門)に流入しています。これが想像していなかった悪影響を及ぼしています。
矢田川の悪水は、工業排水、家庭排水の影響が大きいと言われます。名古屋の下水処理は雨水との併合処理という方法も一因と言われます。雨水は道路の舗装前は一旦地下に浸透し、ある程度の自然浄化が有りましたが、今は道路の塵芥を含んだまま下水路に一気に直行してしまうのも一因です。
地下鉄工事中は、自然湧水を流入させた事で顕著に清流が齎されました。現在は有りません。
現在でも名古屋の地下水は豊富でビルの地下には清流が流れています。下水に流れている、それも堀川へと言われます。
あれこれ、問題が複雑ですが、全く振り返られていなかった「堀川に清流を」の願いが真剣に進められている事に希望が持てます。
矢田川流入部では浄化処理工事が始まっています。
庄内川からの導水が止められた以前の、昭和二十年代以前の様子は記録写真によれば子供が水に戯れて遊んだと言われ周辺の老人も、それを伝えます。
私の母の実家の隣に有った瀬戸電「堀川駅」には、当時、東区白壁地区で発展していた陶磁器製品が電車輸送され、景雲橋袂の「堀川港」から艀で名古屋港まで運ばれ輸出されていました。
自動車が無い当時は、堀川が名古屋港からの物資輸送の重要なルートで、沿岸の船着場から市内への物資の流通が図られました。大八車やリヤカーなどの荷車や、普及し始めた自転車などで近隣商業も繁栄しました。
私は、当時の堀川の水の様子は知りませんが「四間道」に連なる土蔵群や円頓寺商店街の賑わいは母との思い出です。名古屋城築城の際、福島正則によって切り拓いた堀川の綺麗な復活を望みます。
名古屋城から若宮に繋がる本町筋に広がる碁盤割りの町の賑わいは「名古屋甚句」に唄われます。
豪華絢爛の東照宮祭が、戦争による空襲で名古屋城と共に建物や山車の焼失より衰退したのは残念の極みです。
私は幼時、その祭りの雰囲気を漠然と記憶しています。
納屋橋の、リバーサイドオープンカフェは、まだ匂いの問題が有り実現していません。
「万博には・・」という声が有りますが、まだまだ越える障害が立ちはだかっています。
名古屋駅周辺の再開発に繋がる納屋橋周辺の再開発が始まっています。
「堀川に清流を」の実現を期待して注目しています。


セーフティモードで 5.23

コンピュータ起動中に突然画面がブラックになってエラーチェック画面が起動する。メモリーエラーらしい。
たびたび、なったのでコメント(英文)をユックリ辿ると(理解力怪しげ)起動時にF8を押し続けてセーフティモードで立ち上げるようにという。
市販解説書(WinXP完全制覇)で要領を納得した上、再起動。一応正常になりました。
XPはハングアップしてしまう事は殆ど無いので復旧は容易と言われています。
HDDの使用期間が長いので、ぼつぼつ怪しい気配も有ります。
自作の場合はパーツの使い回しが出来るので新旧取り混ぜたパーツ構成になっています。
最近、知人がメーカー製パソコンのコンボドライブ故障修理で¥30.000近く掛かりました。
低価格パソコン(それでもパワーは上)なら、もう¥10.000出せば買えます。メーカー純正はメンテナンスはコスト高です。
ウイルスの攻撃は激しいですが、絶えずアップデートとウイルス対応ソフトで防御しています。煩わしい程、絶えずチェックが起動します。
おかしくなる理由は不明ですが、多分、90分から60分へなどののビデオ編集作業の影響だろうと思います。
メモリーは256M搭載していますが、ビデオ編集には512M欲しい所です。この所、少し安定しましたがメモリーの価格が大幅に高騰しました。
ビデオ編集はCPUも酷使します。キャプチャーカード(ハードエンコード)を導入すれば負担は大幅に減少します。
¥50.000以上していたカードの価格は¥20.000位まで下がりましたが、ハードをいじりだすと芋蔓式に泥沼に嵌まります。CPUのパワーアップ(Athron64)を図ると対応したマザーボードへの変更。HDDも大容量にと限りがありません。
パワーだけアップしても、使いこなすのは、私個人の能力次第、それが生易しい事ではありません。


雨ばかり 5.19

四月の天気が良すぎたのか五月に入ってから雨ばかり。
名古屋駅トピアのパレードが、一日辛うじて行われ柳橋の山車三輌の、どんてん、からくり披露やブラスバンドなどのパレードが行われましたが、その他の土日の各地の祭りやイベントは、雨で殆どが不完全挙行で行きませんでした。
その為、全く取材活動はしていません。
パソコン、ビデオなども動いていないのでゼロ状態です。
ビデオはサポーターの方の取材した「さくら道マラソン」の簡易編集を二日ほどやりましたが再編集する気も無いので、そこまでです。
やはり、ドキュメンタリーは、自ら現場に居なければと思いますが、これには体力、気力、集中力、そして構成するプランを考えなければなりません。
写真と違って、ビデオは動きが継続しているので持続力と、アングル構成が重要ですが体力に限界があります。長丁場になると如何にブランクの休養を取るかのスタミナ配分を考えなければ身体が持ちません。
「ウルトラマラソン」は準備段階から終了までが五十時間位ですから一人では無理です。
昨年、NHKが「ウルトラマラソン270Kの挑戦(30分)」を放送しましたが、取材対象のランナーに「携帯電話」を持って貰い、270K間の現在位置を確認しながら撮影しました。ビデオ撮影のチーム取材の場合は、それも必要でしょう。
同じ場所に、ズラリとカメラを並べて集中撮影するのは前時代の方法です。
ビデオも、ここまで普及するとカメラマン複数の場合は、場所、時間差などの計画取材など総合プロデュースが必要になります。
所詮、アマチュアですからプロのようなクレーンなどは使えませんからマンパワーのみです。
ただ、あくまでも周囲の迷惑にならないようにする事と危険な取材はいけません。
営業では無いのですから・・。


町並み保存の難しさ 5.10

名古屋市東区「文化のみち」移築中の「双葉御殿」を見てきました。
最近の建築現場は、シートや仮屋根に覆われ工事の進行状況が窺えません。
屋根の一角が少し見えました。レンガ色の洋館屋根が出ていました。建築当時の姿に復元されるので解体前の姿とはとは違った感じになるようです。殆ど新しい材料での仕様でしょうからイメージは変わると思います。
調度品やステンドグラス、照明器具などは補修や復元されて要所には使われるという事です。
場所の移転で、南、西に道路がある角地になりました。以前の場所は広い道路からは一本中で建物の北は地形が急傾斜になる丘状だったので北からの眺めは遠くに見上げる御殿という風景でした。
絵画としても一幅の情景画として残されています。
今、建築中の場所は撞木町の平地で、そういった雰囲気は望めないかもしれません。
元々の利用目的(福沢桃介、貞奴の社交サロン)の復元は望めませんから、一般の人には神秘性があった風情は復活できないでしょう。これは望む方が無理です。時代、思想、人、総てが全く変わってしまったのですから。
建築されているのは文化施設としての再建ですから、それぞれの人が当時にワープしてイメージの世界に浸ることになります。
「文化のみち」の建物は、現在、殆どが建築当時の利用目的とは全く変わってしまいましたから、応用に苦慮されています。
かっては陶磁器産業の商社、経営者の自宅兼社交の場でしたが、陶磁器産業は消滅し、その使用目的は、今は皆無です。
その場所で現代の生活は出来ません。それが難題です。現在、一部は、レストランや料理旅館です。
時折、美術展示や会合だけに使われる所も有ります。百年近い建物は維持の限界に来ています。
そのままの町並み保存は私有者には負担ばかりで堪えられません。ロマンだけでは許されない所に来ています。
長〜い屋根神様のある長屋がありますが、数年前は住んでおられたのですが、今は一軒だけが外装を変えて住んでおられますが、他は空家になっています。現実に住めなくなったのです。
貼り紙がしてあります。
「相談して下さい」保存を望む人の声ですが難しい問題です。
 「諸行無常」 残念ながら世に永遠は有りません。


何度目かの曲がり角 5.8

今年になって、今迄やってきたことの大部分が区切りを迎えました。
十年、六年、或いは、それ以前から続けてきた事が、自分の気持ち、体力などの条件も含めて終了完結の状況です。
今迄の資料の整理と後進に引き継べき事は伝達する時です。順次、その作業は進めています。
ここ数年の周囲の環境の変化は顕著です。ビデオの撮影、編集などはパソコンの高機能化で全く変化しました。それに加えて携帯電話やデジタルカメラの普及でイベントや祭礼では異様な程の光景も見られます。
最近の私のビデオ撮影の機会は激減しました。目的がある程度達成した事もありますが、周囲への配慮を考えなければいけないと思うようになったからです。それと体力、集中力を継続する自信が薄くなったからです。
これは他の事も同じです。側面協力とか、今迄の経験からのアドバイスは出来ますが自ら実践する事は控える所に来ていると思います。これは同年配の者も同じようです。
既にそうしている者も多く居ます。自分は他人より余計な事をやり過ぎて来たかなと思う事もあります。
高齢になっても能力開発を怠らない方も、おいでですが年齢は承知していなければいけないと思います。
長嶋茂雄さんの発病は同年配の人には、かなりショックを与えています。
高齢社会の活性といっても、青壮年とは役目が違う事を自覚すべきでしょう。謙虚さが必要です。出過ぎると老害になります。
高齢者の割合が大きくなるほど、その役割を考えなければ歪んだ社会構造になります。
自分はこれから、どういう存在であれば良いのか、必要な人でいられるのか、自分では五十才から生きてきた何度目かの曲がり角の二十年が間もなく終わり、七十才からの次の曲がりを間もなく前にして、考えている日々です。
何度かの角を曲がってきましたが、この角を曲がれば最終ゴールが見えてくるのかも知れません。
今迄、所属してきた組織から一旦離れています。一つ残っている地域の公職も今年度で退任します。
メインからサイドへシフトします。
肩肘から力を抜いて側面協力出来ればそれで良いと思います。

さくら道 4.22

二十四日「さくら道国際ネイチャーラン250K」が開催されます。
前日のオリエンテーションの後、24日AM6.00から5分間隔で80人(当初予定)の内外ランナーが名古屋城佐藤桜をスタート金沢兼六園佐藤桜タッチゴールに36時間制限で走ります。私はNHK「北陸東海桜紀行(もう一つの道)」を昭和五十九年1984、放送時から佐藤さんの(昭和52年.1977死去)意志に大きな感動を受け身近に有る佐藤桜の事を機会が有る度に伝えてきました。なかなか標識設置などの理解が得られず現在のプレート表示が限界でした。
「さくら道ネイチャーラン」が白鳥町によって開催されるようになったのは平成6年1994からです。
このレースはそれまでの実績に基づく厳しい選抜によるランナーによって行われます。選ばれるだけでも大きな名誉です。
今年は第11回です。さすがに第1回からの連続出場は3〜4人になりました。この方達は超人でしょう。常識では理解できません。
私は第1回から、休まずランナーの皆さんを出迎え見送って来ました。
私が出迎えるのはスタートから17K地点の一宮裁判所佐藤桜前です。
第2回は土砂降りでした。その後は一度小雨が有りましたが悪天候は有りませんでした。
まだ、この地点ではランナーは元気です。25Kの木曽川辺りから体調不良の方は影響が現われて来ます。
木曽川橋までビデオ取材をした事もありますが、ここから白鳥町(夕方頃)が後半を左右するるようです。
ここからは、夜の蛭ヶ野峠越え、荘川桜経由、闇と気温の急変などの悪条件を乗り越え五箇山峠やトンネル通過などがあります。一昼夜プラス十二時間のゴールは二十五日夕です。
体調万全で迎えられないランナーも中にはおられます。止む無く不参加の方や、急な事情で辞退される方もおいでです。選ばれたランナーの皆さんの心身のプレッシャーは相当なものだと馴染みになったランナーの方から聞いています。
「頑張らなければ」というランナーのプライドと体調のコントロールは本人のみが知る世界です。
「さくら道」は、スポーツだけがテーマではありません。佐藤良二さんの「太平洋と日本海を桜で結ぼう」というロマンがあります。この事は「パトリックマック」さんがインタビューで語られました。
私はランナーではありませんが、このレースの応援と「さくら道ウルトラマラソン270K」のエイドサポートを続けて来たのは佐藤良二さんの心を伝えたかったからです。
ランナーの方は成績を重視されるでしょうが「さくら道」の心を意識の片隅に持ち続けて欲しいと思います。
レースは苦しいと思いますが「さくら道」というテーマがあるという事を意識されれば心の安らぎになるのでないかと思います。
「さくら道」は、そういう所が他のレースとは一味違うと思います。
横断幕に付けておきます。
「楽しく走って元気にゴール」


命の価値 4.13

イラク(ファルージャ)で米人四人が殺され引きずり回された事件。忌まわしい事です。
然し、その報復で情け容赦ない攻撃、四百人とも六百人とも言われる子供をも含むイラク人が殺されています。
イラク戦争が始まって以来五百人以上の連合軍(と言えるかどうかも疑問)兵士が死亡と伝えられますが、イラク人の死者の数はその数倍或いは数十倍と思われますが曖昧な情報で、うやむやです。
命の価値が、このように極端に評価されて良いのでしょうか。
かって太平洋戦争では、日本本土はヒロシマ、ナガサキの原爆による抹殺を含め、全土を無差別爆撃され九十五万人と言われる人が犠牲になりました。
日本軍もアジア諸国などで虐殺行為を行いました。これが戦争です。
簡単に戦争に加担してはなりません。イラク戦争は民主化と言いながらも、石油利権が大きく絡んでいる事は衆知の通りです。目茶目茶破壊しておいて復興事業で荒稼ぎしようとする米企業(副大統領が元代表)。
背景には石油利権が有ります。
だからイラク国民は反発するのです。その上、イスラム文化に全く理解を示さない横柄な武力行使が受け入れられる訳がありません。
アメリカ人が、すべてこういう人達だとは決して思いません。夢とロマンに溢れた人達が大勢いる筈です。
ファンタジー溢れた作品を作るスピルバーグも「シンドラーのリスト」「プライベイトライアン」のような反戦映画で戦争批判をはっきり主張します。
今のアメリカ政府はあまりにも酷すぎます。
それに何の批判もせず無条件に何でも迎合する小泉首相の冷酷な単純さには言葉が出ません。靖国参拝も憲法違反と言われても構わず参拝すると言う神経は私には理解できません。
今回の「人質事件」にしろ「北朝鮮拉致」にしろ何の行動も起こしません。「私の仕事ではない」と言う始末。
日本の政治家、官僚には融通性が全く無いとなると、国民はどう行動しても聞き入れられないと立ち上がる気迫を殺がれます。これは恐ろしい事です。国民がおとなしいから何をやっても構わないと暴走しかねません。
選挙しか意志が反映されないならば、次の選挙には鉄墜を加えなければなりません。
このままでは国が滅びます。アメリカの大統領選挙には側近に良いように操られている単純無能なブッシュ氏が惨敗し、勘違い英ブレア首相と共に国際社会から去る事を私は望みます。単純に同調し国民を不安に陥れた小泉首相も、この一年間に世界中を不安に陥れた責任を共に負うべきです。
イラク戦争が始まってからの、この一年は人間のヒューマニズムが全く無視された悲しい時でした。
戦争体験者の私は発言を抑えて来ましたが、あまりの無責任、独善、横暴に対する気持ちで一杯です。
この意見は私の一方的な個人意見です。反論が有っても返事はしません。
議論する気は全く有りません。自分の体験(父戦死、空襲被災)に基ずく意見です。何れの組織にも属していません。私を含め戦争体験者は間もなく居なくなります。聞いておいて下さい。
「戦争は無くならないもの」と諦めてはいけません。体験しなければわからないというのは虚しい意見です。
家族が失われれば、例え、一つの命でも換えがたいものです。真剣に考えましょう。


祭りの二極化 4.7

年々盛んになる祭りと、寂れていく祭りの二極化が一層ハッキリして来ました。
色々理由は有りますが基本になるものは関わる「人」そのものだと思います。
いくら豊富な資金や文化財が有っても、それを活かす知恵と気迫が無ければ寂れるばかりです。それに少子化と高齢化が拍車を掛けました。子供は少なくなりましたが、好奇心とやる気は今も昔も変わっていません。やる気が無いのは大人の方です。
老齢化が進み、次世代への継承が捗らず、高中年(40〜60年代)の活動を阻んでいます。
細かい枝葉や一つの事にこだわり行事の運営を妨げます。一種の老害です。
盛んになる祭りは世代交代が行われます。(半ば強制的らしいが)
私も本年度で一線を退きますが、自分が気が付かないうちに次世代の進出の芽の妨げになる事への思いからです。つい煽てられて居座る老人の弊害を体験しています。
年齢より能力だという意見も有りますが、それでは歯止めがつきません。
その為に企業では定年を定めています。後進を育てる為です。勇退とは良い言葉です。潔い言葉です。
それにしても中高年世代の元気の無さが心配です。これで日本の将来は大丈夫なのだろうかと本当に心配です。健康を損ねている人も多いです。それが完治不能の症状が多いので困った事です。
ストレス、暴飲暴食、喫煙、健康管理の不徹底が原因でしょうが社会構造から改めないと簡単には正常にならないと思います。
祭りやイベントですが、その土地に合った歴史と人材をさておいて、流行やコピーなどの寄せ集めや企画会社に丸投げするようなものでは続きません。ブームに乗った一過性のものは文字通りバブルとして消え継承されません。
特に「祭り」は、地元の人々の伝承と知恵が無ければ継続しません。時代や他人のせいにしていては解決しません。
大人の都合ばかりで考えてはいけません。
子供は大人に期待しています。大人はそれに応える責任があります。それが将来の資産になります。
楽しい「思い出」が心に残る事は大きな糧になるでしょう。


祭り前後 4.6

祭りの準備から後片付けまで、何となく、どたばたとしていました。
大した祭りではない筈なのに次々仕事があって今まで落ち着かず、休憩しているとウトウト、レポが出来ませんでした。
その前から、某雑誌社(RVアウトドアとか)から「さくら道」についての問い合わが有り応対していました。
発行が十日という事で今、音信は途切れていますが追い込みで忙しいのだろうと想像しています。
「さくら道」は佐藤良二さんの植樹をプロローグに多くの「ドラマ、エピソード」が広がりました。
二つの「ウルトラマラソン」が、一層、その輪を拡げました。
単に「太平洋と日本海をつなぐ桜」の話だけではない事が多くの人に伝われば佐藤良二さんの夢は達成されるでしょう。
「祭り」や「イベント」についての思いは、又次にします。


祭りです 4.1

「大した祭りではない」とは言っても、今年は年行司なので今日から祭り準備です。
今日は「祭り宿」への飾り付けと町内の提灯飾り付け。
段取りの一部始終は承知している積りですが、それでも、終日、行ったり来たりで忙しく脚立などで移動作業。
慣れない事で肩が痛くなりました。明日は午前は雨ながら午後からは回復という朗報。
子供獅子は神社の親獅子とのご対面です。
三日は「桃花祭本祭」終日行事に追われます。私は若殿の後見で裃で行列に参加します。
昨日(三十一日)は、名古屋で「名フィル」の演奏会鑑賞。帰路、名古屋城周囲を一周。那古野神社、東照宮の桜も見物して来ました。満開寸前、露天や出店もびっしりで週末の来客を手ぐすねひいて待っています。
どこを歩いても「さくら・さくら・さくら」。
やはり春は良いですね。
満喫しましょう。


暖かくなった 3.31

やっと暖房しなくても寒さを感じなくなりました。
この冬は、やたら冷えが身に沁みました。手足が氷のように冷たくなりキーボードを打つ時以外は手袋を嵌めていましたが、それでも耐えられず、腹の具合もおかしくなり余程「精密検査かな」と思いましたが気温が上がってきたら、それも消えたので止めました。身体は正直で調子が良くなれば気持ちも積極的になります。
ややこしい難しい事もやる気になります。北や日本海側の人は大変だなと思います。ですから「祭り」や「民謡(踊り)」の宝庫で憂さ晴らしの激しく派手なものが多いです。南の方はノンビリしたのが多いです。悪く言えばデレッとしてます。
土地柄や人間性にも当然違いがあります。人は同じではありません。同じにしようと思うと争いが起こります。
冬のストレスからも開放されたので「カルチャーショック」を求めて出歩く事にします。


私が空襲に遭った日 3.19

今日は、私が名古屋で五十九年前、空襲に襲われ、数多い思い出と共に総てを灰にされた日です。
詳しくはHP「名古屋大空襲」に書きました。
イラク開戦が明日で一周年です。相変わらずテロを挑発する発言を繰り返す米大統領です。
日本でも、何時何処でテロが発生するかわかりません。
テロを100%抑え付けることは不可能です。
テロを受ける事が無いような対応の知恵が考えられないのでしょうか。
テロに屈するのではなくテロを受けないような協調の手段を考えて下さい。
それが国の指導者の義務です。その自信が無いなら潔く退くべきです。


地獄・極楽 3.18

春の、お彼岸です。
表題の「地獄極楽」ですが「極楽」より「地獄」を先に言うのは語呂だけではなく「地獄」の方が辛いからでしょう。
「地獄」の話を先にした方が良いのかも知れませんが辛い話は後にして「極楽」の話にします。
「極楽」は寝そべって「棚からボタ餅」が落ちてくるのを待っていても、まず滅多に来ません。
その内に、ネズミかカラスが浚って行きます。
「極楽」は作らなければ来ないと思います。他人が作ってくれた「イベント」に乗っかるのも良いですが、矢張り自分で作り上げる事は小さなことでも無限の喜びが得られます。
春の祭りが始まります。犬山では制作から二百三十年経ち、老朽した山車に乗る「からくり人形」が九百八十万円の大金を掛けて修復されました。津島の「だんじり船」も、来年の愛知万博出展もあり修復が進んでいます。
万博には当地周辺の山車百輌が集結展示という企画があります。ただ並べるだけではありません。お囃子と、からくり実演、山車の「どんてん(引き回し)」などのマンパワーパフォーマンスが展開されます。
巨額の資金とエネルギーを費やしてまで、こういう世界を展開しようというのは現世に「極楽」を作ろうという望みからです。
これらは大型の「極楽浄土」ですが、個人の生活にも「極楽」はあります。
人の一生は「重荷を背負って歩くもの」という意見も有りますがそうばかりではありません。
「極楽」探しも、度が過ぎれば「道楽」と言われますが人任せでは喜びや感動は得られません。
子供や孫の成長、結婚や誕生など家族の冠婚祭のイベントも他人任せではいけません。
色々アイデアを考えて、何か特技が有ればそれを発揮してオリジナルな思い出を残したいものです。
一過性のイベントや情報が溢れていますがそれに押し流されてはいけません。
やたらとスペクタクルやグルメなど、その場限りの娯楽は却って虚しさが残ります。
貧しく苦しい時代でも忘れられない「映画」「音楽」「旅行」などは数十年経った今でも心に残っています。
悪条件の中でも小さな「極楽」を求め続ける努力を続ける事です。
これは個人それぞれ違います。自分自分で見付ける事です。
私には出来ませんが、ウルトラマラソンランナーが、暑さ、寒さ、暗闇、痛みなどを克服しながら目的に向かうのも「極楽」探しなんでしょう。走らない私も、ランナーの明るい姿と「太平洋と日本海を結ぶさくら」を毎日眺め、それを辿るランナーに接しることが出来た巡り合わせに「極楽」を共有しています。
これは一つの例です。他にも「極楽」探しは幾らでも有ります。
誰かが持って来てくれるのを待っていても望みは少ないでしょう。
「地獄」にも遭遇しました。幼時、自分には何の憶えも無いのに向こうからやって来ました。
これは「病気」「戦争」でした。「戦争」は、今も現実の世界です。悲しい事です。
又、次の機会にしましょう。


年齢・健康 3.9

年齢と健康とは比例しません。
健康でも年は取ります。「あんた元気だから」と、煽てに乗せられて調子に乗ると思わぬ所に落とし穴があります。
長嶋さんが脳梗塞で倒れました。報道を見ていると、とても軽いとは思えません。
梗塞の範囲がどれほどなのかによっては100%の復活は難しいと思います。一茂君の言うように「無理はして欲しくない」と思います。車椅子や杖の姿にならない事を切に祈ります。
周囲の過度の期待は家族にストレスを与えるだけです。思い遣りの気持ちで見守ってあげるのが本当のフアンでしょう。アテネの野球の成績より個人を尊重すべきです。
長嶋さんは、私と同年同月、私の二十数日後の生まれです。
以前から自分と比較して、励まされたり、或いは「老けたな」と思ったりしていました。頭髪や皮膚の様子を鏡を見るように比較しています。
性格は共通点が多く有ります。あの人のように明るくは振舞えませんが、煽てに乗せられると張り切りがちです。何でも、やりたがりです。
私には残念ながら、スタミナもパワーも有りませんから倒れる所まで行く前にバテます。
時には「これは・・・・」と思う事が度々有りますが何とか、かわして来ました。そんなもんです。ですから尻切れトンボが多いです。
情けないですが、それが安全弁になっているのかも知れません。
ですから、やれることはシッカリやりますが、やれないと思う事はサッサと断ります。それも責任感の一つだと思います。
お世辞に乗って、何とか、やれるからと後継者の能力の是非を理由に交代の時期を逸してはいけません。
残念ながら加齢と共に総合力は自分が気が付かなくても衰退している事を自覚すべきです。
長嶋さんに代わる人材が居ないからといっても「長嶋さんは永遠に不滅」では無いのですからサポート出来る体制を整えるべきでしょう。人材が不足でも、それは仕方の無い事です。それでやるしかないでしょう。
世代交代をスムースに図り断絶しないようなバランスの取れた世代構成が整う事を望みます。
「長嶋さん」の病気が、それを考えるきっかけになればと思います。

黙せず語る 3.3

一時期、私は自分の体験に基づき戦争について発言してきましたが、如何せん、平和な暮らしに慣れてしまった現在の日本人に伝える事の難しさに発言を止めていました。
平和が続けば何も過ぎ去った事を敢えて訴える事はありません。
然し、ここ数年の出来事は異常です。平和を守る為に武力による解決を用いるというのは余りにも知恵の無い短絡単純な手段です。これでは争いの火に油を注ぐようなものです。こんな一方的で暴力的な政治家は一刻も早く退いて欲しいものです。
やっと、そういう手段が駄目だという空気が起こってきました。
危険な争いを実感として感じない世代は無菌室に居るようなものです。
抵抗力の無い人に妙な細菌で汚すような行為は危険極まりない事です。その時の感情に駆られて正確な判断も無い政治家が国を動かせば取り返しがつきません。
失敗を認めず、取り繕いや言い訳に終始すれば解決が停滞し行き詰まります。
あまりにも不条理な押し付けが破綻し始め、やっと正常な意見が出始めた事に少し安堵しています。
戦争体験のサイトも、妙な意見が、まことしやかにのさばり真実を伝える意見が暫く沈黙していました。
体験者の発言は実感を、そのまま伝えるものであり、その苦しみが二度と無い事を願って語るものです。そのまま受け止めればいいので反論や攻撃をするものでありません。それぞれ自分自分で考える事です。
第二次世界大戦が終結し、平和と希望が開かれ「アメリカンドリーム」など夢が実現できる時代が開かれましたが、それを破壊し、殺戮と恨みが一気に充満した根源を齎したは米英の指導者であり、短絡に同調した日本の指導者です。
この不安で重苦しい空気を一掃し早く明るい世界に戻ってほしいものです。
一部の人間の、利益とエゴの為に世界中が不安になっては、たまったものではありません。
アジア諸国の感情を逆撫でしながら、協力だけを要求するような勝手な事は受け入れられる訳も無いのに、シャアシャアしている無神経さにも呆れます。
政治家が道を誤れば行く先は闇です。かって数百万の命と資産を失った経験を今は現役からは退いた世代が、黙する事無く、衰えた体力気力を振り絞って次世代に伝えなければなりません。
そんな事をしなくても静かで落ち着いた暮らしが出来れば良いと思っていたのですが、そういう訳にはいかないとは残念な事だと思います


冷え疲れ 2.25

例年、正月までは元気なのですが、二月から三月は体調がおかしくなります。
インフルエンザが流行する時は、その時期にやられます。「これはヤバイ」と思った事もあります。
衆知の通り、私は六十代後半ですから、二年程前から「特例予防注射対象者」なので「予防注射」を射つようになりました。今年も早目に済ませて、かわせたかなと思います。一昨年は三月に入ってから酷くやられました。一週間飲まず食わずでした。四月三日の「桃花祭」や「さくら道マラソン」の応援サポートも不安な状態でした。
今年も流感は免れたようですが、一月になってからの冷え込みで消化器系が不調になりました。余程、検査が必要かと思いましたが暖かさを感じるようになってきて良くなってきたようなので様子を見ています。
一月三日に名古屋市内ウォークを三時間程やってから、ずっと運動をやっていませんでしたが、先週三日ほど続けて、120分、60分、90分と近くを歩きましたが足は何ともないのですがスッキリしません。
これは、どうも歩くだけでは運動が偏っているのではないかと思います。
時間が掛かる割りには動作が単調で効率が悪いと思い、再び、踊り「端唄(日本舞踊の内)、民踊」など、全身を使って時間が短く効率のよい運動が必要かと思い、曲をCDに纏める作業をしています。これなら30分でもかなり全身運動になりますから良いかなと思います。民踊にも「徹夜踊り」というウルトラもありますが、これをやるには全力投球ではなく呼吸を合わせる要領が必要です。
世間には「ソフトエアロビクス」とか「太極拳」など諸々有りますが、今から新規に始める気は無いし、体育系は記録重視で遊びの面白さが無いので楽しいとは思えません。体育系の人がやると盆踊りもマスゲームになってしまいます。これは仕方がないことです。体育大と芸大とは目的も考えもが全く違うのと同じで融合しません。水と油です。それぞれ、向き不向きがありますからお好みでしょう。
最近は「盆踊り」も曲の大量生産大量消費の使い捨てが多いので三年と続けず困った事です。
食生活と同じで食べ残してはゴミにしていくのはやめて欲しいと思います。
どうも冬は嫌いですが来年は何とか考えておかなければ・・・。


音声認識 2.17


「Office」に音声認識機能が有る事に気が付きませんでした。(愚か!)
今は有るかどうか知りませんが過去にIBMの「Voice・・・」というソフトが有り、かなり認識率が高いと聞いていましたが試用したことはありません。
同人誌編集者の方と話をしていてそれを思い出し「Office」で、音声読み上げ機能が有ったように思い「ツール」を開いたところ「音声」機能が有りました。
マイクを繋ぎ、トレーニングで音声を認識させ、その後、話しかけるとるとディスプレイに文字がズラズラッと出て来ます。
が、誤認識も当然あります。案外長文の方が正確な認識率は高いようですが修正はかなり必要です。
改行は(カイギョウ)。は(マル)と読み上げます。他にも有るでしょう。
実用になるかどうかは疑問です。ブラインドタッチが出来る人はその方が遥かに速いです。
ゲーム感覚で「お遊び」気分で試して見てトレーニング効果が進み認識率が高まれば使えるようになるかもしれません。
同じようにスキャナーによる「文字認識」も、しばらくやっていませんが、かなりレベルアップしたのでしょうか。
英語に弱い私は「翻訳ツール」にも関心がありますが、これもピンからキリまでレベルが多彩なようです。
「Office」では「Word」「Excel」に音声ツールが有りますが、入力後、テキストにするには変換する必要があります。
いずれにしても機械万能ではないので人間の学習訓練は怠らない心構えは必要です。


ビデオ編集ソフト 2.12

「UleadVideoStudio」が色々出来そうなので(事実出来ます)かなり進めて来ました。
画像の編集は、まあ他の物と同じようなものです。タイムラインのトラックはビデオ、オーバーレイ、タイトル、ボイス、ミュージックと有ります。
思いがけなかったのはボイス(ナレーション)、ミュージックが別個で作られる事。画像とは後から同調させなければなりません。画像を見ながらアフレコ出来ません(現在)。もう少しやってみます。
ムービーメーカーなどは画像の進行を見ながらアフレコ出来ます。これは意外でした。
ムービーメーカーはサブトラックは一本ですからナレーションとBGMの両方は出来ません。
やって見ませんがBGMを入れた画像を再読み込みしてナレーションを被せる事は可能かと思います。
二重手間になりますがトラック二本でもそれぞれの作業は必要ですから案外別個に作業した方が巧く行くかもしれません。音量は一定に固定です。
ビデオデッキで編集した時、ダビング時、音声ミキサー経由ででBGMとナレーションの音量バランスを手動でやりましたが(手が三本欲しい)、そういった微調整(アナログ作業)はパソコンデジタル作業では、もう一つ上級レベルのシステムが必要かもしれません。
どうせアマチュアですから年に何本も作るわけでも無し、むきにならずボツボツ行けば良いでしょう。
いずれにしてもビデオ編集は手間の掛かる作業です。やる気のある人は挑戦して下さい。
沢山あるアナログ画像には再取材不能の貴重な断片があるので、アナデジ変換カードの入手を考慮しています。


又、ビデオ編集 2.7

DVDRAMドライブにバンドルで付いてきた「UreadVideoStudio7」が多機能なので試しているのですが中々判り難い。
ファイルの切り繋ぎが、今迄使ってきた数種類のソフトは簡単にブツブツ切り刻めたのに,
どうも扱い難い。
オンラインマニュアルが2種類あって分かり易く説明はしてありますが一癖ある仕様。
書店へ行けば解説書は有りますが同じなので難点をクリアすればと向かっています。
編集ソフトも日進月歩、多少のノイズなどは通してくれるので今迄の様に作業が立ち止まる事は無いようです。
一旦、クリアすれば要領は判るので、しつこく挑んでいます。
・NETプログラミングも次の段階ですが、私にはビデオ撮影編集など「文科系(と言えるかどうか)」の方が面白いのですが・・。


掛け持ち不可 2.3


最近、「ながら・・」は出来ません。
気が散って集中出来ません。今も静寂の中で書いています。
BGMを掛けたり、テレビを何となくチラチラ横目で見ながらという事が出来なくなりました。
それだけ物事に集中出来るようになったのか、或いは、そういう、ながら能力(パワー)が失われたのか分かりませんがスタミナが無くなった事は確かです。
本を読んでいても一つの「読み物」を読むと、次には行かず読んだ内容を考え直します。文体の奥にある物を考察します。特に「ドキュメント」は読み流す事は出来ません。
今、「観覧舎マガジン(Gウルトラが満載)」を読んでいます。これは「さくら道ウルトラマラソン」などウルトラマラソンのランナーの完走、リタイア、身体故障レポなどがギッシリ詰まったB5版約150Pの同人誌と言える本です。
編集者は一人の女性で経済面でも悪戦苦闘の模様ですが頑張っておられます。
私は、二つの「さくら道ウルトラマラソン」を、近くに「佐藤桜」が有る環境から、第一回以来、声援と「エイドステーション」で僅か乍ら関わって来ました。そのランナーとのコミニュケーション体験で実感がひしひしと伝わります。
私はランナーではありませんから、身体での体験が無いだけに「なぜ、ああまでして走るのか?」というランナーの心理までは分かりませんでした。
世話役の方から、その都度頂く「さくら道ウルトラ270K完走記」は読んで来ましたが、道程の記録としては判っても、その前後や後日談を知る事は数人のランナーの「ホームページ」で知る事は有っても「ウルトラマラソン270K」で出迎えた三百人近いランナーが普段どういう暮らしをして居られるかはわかりません。
ですから、一つの体験記を読むと、一年に一度、数分しか出会わず、話もしないで見送った人達はどうしておられるのだろうかと思い巡らします。
「ウルトラ270K」は昨年で一旦完結、今年は有りません。任意のランナーが、かなり走ると言う事を聞いています
そういう訳で「三十話」近くの項目を「一話」ずつ読んでは暫く考えるのでまだ読み終わっていません。
以前は「速読の達人」と言われる「本読み」でしたが、最近は違います。物分かりが悪くなったのか、奥深く読むようになったのか自分ではわかりません。
これは他の本でも同じです。特にコンピューターの本(プログラム、アプリやハードのマニュアル)は何度(何十度)読み直すことか。図書館で同じ本を反復借り続けます。
読み捨てが多い「ベストセラー」には興味は有りません。
TV番組もハッキリしてきて興味の無いものは見ないので早寝が定着してしまいました。
遅く見たい番組は録画して暇な時にジックリ集中して見ます。
本と同じく正体を見抜く意気で見ますから、後、疲れますが、それ位気を入れなければ作った人にも悪いと思います。ですから、いい加減と思われる番組は見ません。
残り少ない人生を無駄に使っては勿体無いと思います。
掛け持ち出来ないだけに、尚更、考えながら時間を使うようにしています。


ダビング、編集、圧縮 1.19

ダビングというのは、ご承知の様に元テープをそのまま移すものですから同じ時間が掛かります。
高速ダビングという術を使えばそれより速くダビング出来ます。
それに較べて編集というのはタイトルやテロップなど補足や効果などが加わり追加削除などの作業も加されます。簡単な切り繋ぎだけでもレンダリングという変換作業がコンピュータ側で行われます。
圧縮(Mpegなど)の作業も同じように変換作業に時間が掛かります。
これがパソコンの性能によってかなりの差が有りますがその為に多くの時間を費やします。
ですから、大量に溜まったライブラリーを整理してDVDに圧縮整理してサッパリしようと思っても膨大な時間が掛かります。二時間の物を作るのに一日(10時間として)の多くが掛かるとしたら整理が完了するのは何時の日でしょうか。
作業中はパソコンが勝手にやってくれるので終わるまで待っているだけですから時間の見当が付けば他の仕事をしていれば良いのですが一仕事終わるのにかなりの時間を費やします。ほったらかしにしておいて外出も出来ます。
それこれを思うと過去は過去としてソットしておいて、これからの物を優先し余裕が有ったらボツボツやるしかないと思います(なかば諦め気味)。
メディアもあっという間に変わってしまうし、前向きに考えるべきでしょう。CD−Rが早くも過去の物になりつつあります。メディア変換が簡単に出来るハードの登場が有るかも知れません。
随分先行投資をして浪費した諸氏を見ているので「反面教師」として見習っています。
骨を折っただけ得る物も有りますが、余り過去のシステムにこだわっているのと前に進めないので考え物です。
DVDレコーダーが囃されていますが、まだ一部問題も有りそうで急がなければ次に出てくる「何物か」を見極める事も一つかなと「いたちごっこ」の状態です。
それはそれとして「・NET」が中々進まないので「毎日一時間でも続けてやらねばいかんなあ」と思います。


過去と未来の狭間 1.11

正月三日、腹ごなしとウォーク兼ねて名古屋市中川区と、中区境界近辺から、大須、名古屋駅迄、四時間近く歩きました。目的は、中区正木の「闇の森八幡社」と中川区「松重閘門」。
金山から歩こうと思ってJR一宮駅へ行ったら快速のドアが閉まったところ。次発は普通、電車に乗ってから地図を見直した所、普通が止まる金山の一駅前の「尾頭橋」が近い事が分かり下車。降車口が西だったので、そちらに歩いたのが間違いでUターン。
その道筋に戦前からと思われる大きな料理屋さん(料亭ではない)が並んで二軒ありました。
唐破風構えの玄関に板看板、玄関擦りガラスにも名前入り。二階は細工の凝った手摺りを巡らした大座敷が道路に面して眺められます。ただ、営業は止めてしまっているような感じでした。
さぞかし繁盛した時は、煌々と明かりが点り、三味線や歌声、歓声が外にも聞こえたであろうと思われます。
近くに元ドラゴンズホームグランドの「ナゴヤ球場」がありますが、それは戦後の事ですから、戦前から、この辺りに遊ぶ所が有ったのかなと思いました。「尾頭橋松竹」という映画館はよく耳にしましたが、繁華街がその辺りに有るんでしょうか。この辺りの事は知りません。
少し離れて掘り川沿いに材木問屋が沢山有りますから、その旦那衆や商売接待が盛んだった事も想像されます。
都市では、ご多分に漏れず、何処も建て替えマンション化が進みます。
今度行ったら消えているということも考えられます。
今一度行って話しも聞いて見たいと思います。
道を間違え偶然にも出合った情景は印象に残りました。
「過去を追うのはやめよう、未来志向へ」と、気持ちを前向きにしていますが、私の年代は過去と未来の狭間に生きている世代なので、その役目も忘れてはいけないなと思い返している新年です。


暮らし良し良し 1.5

今年も「後ずさり」無く、一歩踏み出す気持ちを保ちたいと思います。
時間は貴重で体力も省エネで成果が上がる事を考えなければなりません。
聖路加病院の日野原先生の御意見は分かりますが実行は難しい事です。
今迄の実績が大きな自信になるバックボーンに有るでしょう。
三日は「腹ごなし」にと、一度訪ねようと思っていた名古屋市中区正木にある「闇(くらがり)の森八幡社」へ行って来ました。
この神社の事は別項に書きます。神様の話では無く名古屋の芸能(常磐津)に関わるエピソードです。
ここは、かってのドラゴンズホームグラウンド「ナゴヤ球場」の近くですが、ここからグルッと遠回りして大須経由パソコンショップを数軒回って名古屋駅まで四時間程歩いてきました。
「古い町並み歩き」も面白いですが、さすがに戦前の家はもう限界です。
大須も昔の面影は消えて行きますが賑わいは復活しました。肩が触れ合う混雑でした。
アーケードも明るく完成し大型商業ビルもオープン。
「尾上松禄お練り」の時は工事中で折角の行列は半分トンネル状態で残念でしたが、今年は多分、十月顔見世は「海老蔵襲名」でしょうから「お練り行列」が有るでしょうから、さぞ映える事でしょう。
変わり無くという訳には行きませんが「日々是好日」であれば良し良しと行きたいものです。


今日 1.1


いろいろ問題は有っても昭和二十年前後の事を思えば恵まれた時代です。
問題を起こすのは普通でない事を企む結果が多いでしょう。人間は普通では満足出来ず変な理屈を考えて迷路を彷徨う事が多いのではないでしょうか。
理論を組み立てて巧く結論が出ればそれで良しと言うのが学者ですが現実はそうは行きません。
人間という理論を超えた不思議な生き物は想像も付かない行動をします。
十人十様、全く同じ人間は居ません。クローン人間が出来たとしても環境と経験で変わってしまうでしょう。
それを一つの標準に強制すれば闘争が起きます。多民族多思想が有って当然と認めなければ争いは尽きません。
一国主義を強要しない争いの無い世界が早く実現する事を念ずるばかりです。
個人的には、同級生でも昭和十年生まれは七十才(数え年)だと指折って示します。
私は十一年生まれですから、まだ実感は有りませんが、かなり意識している友人(医師)がいます。
この年齢辺りになると、あまり違いは無いと思いますが「今日」は重要です。
好体調と好天候が一致するのは少ない貴重な機会なので、その「今日」を逃さないようにしないと後悔する事になります。
過去の「あの時」が、今思うと二度と無かったチャンスだったと思う事が数多く有りました。
二度と無い「あの日あの時」を逃さないように心掛けようと一層思いを強くするこの頃です。