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2003.6-12

あまりに鈍感 12.30

今の日本の現状はかなり緊迫した状態だと思うのですが、そういう雰囲気はあまり感じられないのは何故でしょうか。
国家財政は大赤字で借金の山。戦争に対する考えも他人事のような白け。
戦争体験のサイトも諦めムードで閑散。
真剣な投稿があっても変な反論で投稿意欲が削がれ低調になってしまいました。
私は自衛隊派遣に掛かる膨大な費用と死者(戦死とは見られず殉職とか)の保険が一億という馬鹿な無駄遣いを政治家の面子を立てるという間違った判断には賛成出来ません。
憲法の勝手な解釈で無理矢理辻褄を合わせなくても「医療や物資など、お金しか出せません」と言えば憲法上筋は通ります。
人の命は如何なる大金にも換えられません。
「公明党」も政権に連綿とせず、ハッキリ派遣中止を「自民党」に進言するべきです。それが「公明党」の存在感を発揮するチャンスでしょう。宗教を基盤としているなら尚更です。
私は「公明党」「創価学会」とは無縁です。
官僚主導の無責任さは「年金基金」からのグリンピアの三千億とかロケット失敗壱千億円の大失敗に誰も責任を取らない事。民間企業だったら株主訴訟で損害賠償の上、業界追放でしょう。
フリーター増加、実務教育不足による職業ミスマッチ、コスト高、能力に相応しくない贅沢な生活レベル、今の侭ではジワジワ真綿で首が絞まってくるばかりではないでしょうか。
戦中戦後の最低生活を経験して生き抜いてきた私には残念ながら身に沁みた経験の無い現世代は、もっと厳しい脂汗の出る知恵を搾り出す真剣な体験をしなければならないと思います。
そうしないと日本は生き抜けません。
「指揮官は後方から命令を発して兵隊を動かしていれば良い」
のではなく、総理も、防衛庁長官も、現地へ視察に行くべきです。本当に国の為を思うならば命を懸けるべきです。
太平洋戦争で三百万の犠牲を払ったのは何だったのかを振り返るべきでしょう。
今や「アメリカ対テロ」ではなく「アメリカ対イラク国民」の様相を呈している実情を認識すべきではないでしょうか。
年明けには「戦争反対集会」に参加します。私にはその義務があると考えます。

光ケーブル 12.19

今、私のネットはケーブルネットで繋がっています。
HP容量は基本10M、増設5M毎¥1000最大20Mまでです。
これでは現在の私のHP容量40Mは対応出来ないのでHP100M無料プロバイダーを利用しています。
これはダイアルアップです。
ADSLならば対象プロバイダーも多く有りますがADSL回線は利用していないので不可です。ADSLが多く普及されていますが上下の速度に弱さがあり今それに変換するよりも光に変えた方が、将来再変換の煩わしさが避けられます。料金は現在よりアップしますが機能は大幅アップします。
ただ現在のケーブルは開設時¥40000程掛けたのが無になります。
わが家は3台のパソコンで、分岐、同時使用することも有りますが特に不自由は感じません。
ケーブルの基本HP10Mは使っていませんから損しています。私のHPを縮小すれば利用できますが使い物になりません。
来春には光ケーブルに変えようと思っていますが上下100Mというのは相当なパワーです。
これを有効に利用するには、それなりの利用者のパワーが無いと宝の持ち腐れになります。
韓国では環境がそのようになっているようですが日本ではブロードバンドと言えばADSLが主流です。コストの低さでは不足無いと言われますが本命は光でしょう。
NTTの接続料¥4500が公取から指摘され交渉中とか。道路の電話線には光用グレークロージャーが有りますが、電灯線には光クロージャーは付いているのかな?。
付いていればサービス開始は時間の問題と思います。
電力系(名古屋市内対応)はNTTより安いので隣接当地での開始を待っています。


死ぬなかれ 12.7

イラクについては色々議論が有りますが、太平洋戦争で父を失った私が、生涯背負い、次の世代まで影響を受けた実感は伝えなければいけないと思ってきました。
イラク開戦に反対し「イマジンウォーク」にも参加しました。
何もしないでいることは出来ませんでした。それでも米英は国連を無視、占領状態にしています。
アメリカの正義には裏目的が有る事は明白です。イラク国民はそれを見抜いて反感を抱き協力はしません。イスラム社会を異文化に変えるなど出来る訳がありません。利権も、ありあり見えます。
戦争で死ぬ事はハッキリ言って「死に損」です。
一時、美辞麗句を並べて称えられても、すぐ忘れ去られます。
形式的な処理が終われば過去の事として忘れ去られます。
遺族は永い将来に亙り苦しみを受け続けなければなりません。
太平洋戦争での生死を分けた人達と、その家族の、その後の人生がどれほど違ったかを私は見聞き体験して来ました。
かっての戦争は強制徴兵で逃げられませんでした。
今は違います。死ぬのが嫌なら「自衛隊」を辞める自由は有ります。公務員であろうが大企業の社員であろうが辞める自由は自分で決められます。
何れにせよ犠牲が出るのは前線の兵であり社員です。上官はデスクで命令、立場が不利になると逃げます。過去の日本軍の終末がそうでした。多くの兵士が置き去りになり餓死しました。
自爆テロは、かっての日本の「神風特攻隊」です。問答無用で力で抑える対策は無限地獄です。パレスチナが証明しています。
単純無策な現米政権が再選されるとは思えないものに追随する事は共に心中する積もりかと思いますが、その為に犠牲になる者は「死に損」です。
大きな声で言います。
「死ぬなかれ」と。


トラブル慣れ 11.21


私のパソコンは何時もどこかで、おかしくなっています。
どうしても直さなければいけないなら直すべきですが、何とか動いていれば変に弄ると全体がおかしくなるのでよく分かってから手を付けないと混乱します。店や知人に直して貰えば、その場は解決しますが原因が理解出来なければ又同じ事の繰り返しです。これはパソコンばかりではありません。
あまりにも全自動(オートマチック)など、便利で楽な日常に慣れてしまったので面倒な事や難しい事から逃げるようになったのは確かです。物事を探求し、訓練する気持ちが乏しくなったのも確かです。
大学を卒業しても60%の就職率とか、日本の企業の設備投資が遅れ最新機器は中国に輸出、安い人件費で低コストの製品が世界市場を席捲する様相です。
政府が鳴り物入りで行った「IT講習」が殆ど役立つ効果が無かったと言うように、そんな簡単な物ではありません。やればやるほど難しくなります。
ハードは随分低価格になり望むシステムは手に入ります。
ただ、それをコントロールする技術と、その基になるソフトウェアを理解するのは困難です。
ですがコンピュータ使用が必須であれば、ビジネス用の大型システムは専門技術者が必要ですが、自分のパソコンの管理の基本的な事は承知していなければいけないでしょう。
パソコンショップにも素人の質問に答えられる者が少なく、質問に的確に対応するのも苦労な事です。
パソコン教室のPRが盛んですが、高い教授料と難しさに挫折する事が多いようです。教えるほうは時間が掛かるほど利益になるので構いませんが・・。
私の知る人に多いのはマニュアルなどを見ない事です。システムをセットしたら付属類と共に段ボール箱と共に押入れの中です。確かにマニュアルは読み難いし、基本しか書かれていません。
関連図書は本屋に溢れています。そういう本も持っていません。それでは無理です。
「教えて・」と言われて、分からないながらも助けに行ったことはありますが解決はしても理解は出来ません。その場限りです。
一度に時間を掛けて、あれこれやっても駄目で二時間が限度です。その時間内で一つでも理解できば上出来と思うべきでしょう。
「折角来て貰ったんだから、あれもこれも」と言われても無理だと思います。
自分も、今でもそうですがコツコツ積み重ねていくしかありません。「やめずに続ける事」しかないでしょう。買ったが理解出来ず読みきれない高価な本が本棚に並んでいます。
今、又も¥3.500の本を買おうと思っています。いつまでも続く課題です。そいうもんだと思います。


双葉御殿
 11.16


「双葉御殿」と言うのは名古屋市東区に大正九年頃創建され、「福沢桃介と川上貞奴」が住み、中部日本の各界の要人達との交流の場とされた和洋折衷の近代建築です。
福沢桃介没後、貞奴によって大幅な改築がなされ、二年程前、名古屋市に寄贈され解体、現在は「名古屋ドーム」に部材が保管されています。
解体前の様子は、当HP「文化のみち」に紹介しています。
この度、創建当時の姿に復元、場所は撞木町に移転、平成十六年完成予定です。
この件については只今コーナー工事中です。かなり資料が多いので、しばらく掛かります。
VB・NETプログラミングにも取りかかっていますがこれは「亀さん」なので辿り着くのは何時の事やら・・。
更新も「亀さん」になりますので宜しくです。


永遠のテーマ 11. 8


「ホームページ」や「ビデオ編集」などのアプリケーション操作は、誰でも或る程度までは、こなせるようになります。
「プログラミング」一般的ではない全く別のテーマです。
「プログラミング」は具体的な結果を得るまでには、かなりの道程が掛かります。
外向きなアッピールを発揮するまでには、時間と学習、そして経験が必要です。ですから一般の人は折する事が殆どでしょう。それほど地道で実りが少ない仕事です。
コンピュータの進化が進む限り終わりはありません。そう言う点では「挑戦」すると言うような気負いで取り掛かっても忽ち挫折する事になります。私も、その繰り返しで、ななか結果が得られていません。
再び「挑戦!」する事は駄目なような気がするので、今度は結果を急がずに一歩一歩前進する事にし果てしない彼方へ歩いて行こうかなと思います。果てしの無い「永遠のテーマ」なので、これからも退屈な人生を送らないで済むかなと妙な安心をしています。
「VisualStudio.NET」ですが、正規版は高価なので「Bata2(Enterprise)」が手元にあるので、やれる所までやります。一通りは動作しますがヘルプが英語なので市販書籍とインターネットダウンロードを利用します。
プログラミングは内向的な作業なので全く正反対の外向きの事もしないと「鬱」や「心身症」に取り付かれる危険あり。
メンタルヘルスは難しい・・。


一段落 10.29

いろいろな事を一応やって来ました。
取り敢えず、一区切りしようと思います。
ホームページは、'99年春頃スタートしたとメモにありました。
カウンターは暫く経過した後、始めましたが、数は参考にするだけで、どういう方がご覧になっているのか判りません。最近は更新をあまりしていませんが容量は40M近くなっています。
日付の古いファイルは一度、整理しなければと思います。
ビデオの編集は一応の段階に達しました。
案外使い易いソフトが何と「ムービーメーカー2」です。
これは、WinXP対応のマイクロソフト無料ダウンロードソフトです。編集の方法は、数多く有る、市販ソフトと同じようなタイムライン編集です。但し、タイトルやエフェクトなど切替効果機能は貧弱です。この部分は他のソフトで作っておいてリンクすればOKです。音声ラインは1本です。BGM、ナレーション何れか一つとなりますが1本あれば一応良いと思います。
ソフト編集で問題の多いのがコマ落ちです。これには今迄随分悩まされました。CPU、メモリーの強化をしても起こります。他のソフトは直接書出しが始まりますが、ここでコマ落ちが起こり易いのです。
「ムービーメーカー」は、一旦、圧縮保存した後、書き出しになります。その為、二倍の時間が掛かります。圧縮効果の効用か、コマ落ちが発生する事は稀です。
撮影ソースのノイズによるエラー、これのカットは止むを得ません。
「ムービーメーカー2」と「市販ソフト」の組み合わせで一応、かなりのビデオ編集は出来ます。
¥50.000前後の編集、或いはキャプチャーカードを導入すれば高度なビデオ作業は出来ますが、そこまで進むと、それなりの素材と学習が必要になります。アマチュアとしては上級マニアになりますが、そこまでやるかどうかは、その人次第です。
私はそこまでやろうとは、今は思っていません。
随分、試行錯誤して来ましたが、やっと取り敢えずエラー無くスムーズに編集出来るようになったので一旦満足しています。
ハードの強化か、或いは断念かと思いましたが、思わぬ所に便利な物が有り思い直しました。「Me」にも簡易版が有りますから「ビデオ編集初心者」は一度試してみると良いでしょう。
Win2000にはAV機能は無いと思います。問題の多いXPですが、何れにせよ多用途に活用しようと思えば移行せざるを得ないでしょう。
そういう事で今迄のランクは一段落し、次なる道へ再スタートしようと思います。


吉例顔見世歌舞伎 10.22

御園座十月興行吉例顔見世に行ってきました。今回は二代目中村魁春襲名披露。
昼の部、出し物は「佐々木高綱」「積恋雪関扉」「良弁杉由来(二月堂)」の三本。
「佐々木高綱」は、岡本綺堂作の昭和初期作の新歌舞伎。
源氏の闘将、高綱が出家するまでの心の葛藤を描く会話劇です。
「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」は、常磐津の舞踊劇。天明四年(1784)江戸桐座初演という名作で五十分に亙る、魁春、吉衛門の絡みに雁治郎が花を添えます。
「良弁杉由来」は、二月堂の舞台装置が超豪華、初めは幕に描いてあるのかなと思いましたが、欄干を巡らした回廊に、仁左衛門の、良弁大僧正始め、袈裟懸けの僧侶がずらりと並んだ様は一大絵巻。動きは少ないのですが絵を見るような舞台です。
今回の中心は、やはり二代目魁春ですが女形(亡き歌右衛門の子息)さんですから「荒事」の好きな私には少し物足りなさを感じました。
歌舞伎見物は、興行全体が他の演劇興行とは違うので総合的に楽しむ事が必要です。
開幕前に下座音楽が流れ披露幕が引かれます。「魁春披露幕」には、梅の花が描かれています。
披露が終わって開演前には緞帳披露があります。御園座には五枚の緞帳があり作者と贔屓筋(寄贈スポンサー)の紹介があります。地元有力企業(デパート、私鉄など)BROTHER、Panasonic、三菱などが寄贈している豪華な緞帳です。
「佐々木高綱」は、会話劇ですから判り易いのですが歌舞伎フアンには多少不足です。
「関の扉」は、常磐津連中が途中で入れ替わります。詳しくは紹介できませんが「六歌仙」の伝説に謡曲「墨染桜」を併せて作られたという幻想的で奇想天外な話で如何にも歌舞伎らしい筋立てが展開されます。いうなれば「精とお化け」の踊りによる絡みが見所です。
「良弁杉」義太夫浄瑠璃物、今回は、二月堂一幕ですが、これには前の話があるのですが、二月堂での良弁大僧正と乞食に、やつれた老母との再会が見せ場です。
今回は、どちらかと言えば、のんびり見るお芝居でした。
月曜昼という事で、客席は、まだ余裕が有りましたが、驚いたのは三階席が満員だった事。
高齢者が多いようでしたが、1等¥20.000、2等は¥12.500、3等は低価格とはいえ¥6.500円。
数少ない歌舞伎公演を楽しみたい歌舞伎フアンが増えている事を感じました。
三階最上部まで行って見ましたが充分楽しめます。勾配を強くして舞台との距離を近くしてありますから、やたらと馬鹿でかい市民会館などより近く舞台が見え声も良く聞こえます。
一時期、大きな公共施設が多く作られましたが、定員に達する公演は稀で音楽会などは音が拡散してブラスバンドのような大音響なものでなければ音楽公演は無理を感じます。
独奏(ピアノ、バイオリン、独唱など)は本当の魅力が伝わって来ません。残念な事です。
若い時には友人に学生証を借りて三階席からよく見ていましたが改めて三階席の良さを見直しました。
結構、人気が有りそうなので、これは見たい演目は要チェックで対応する事にしようと思いました。


カメラマンにうんざり 10.14


イベントがあって出掛けると最前列にカメラマンがずらり。
重そうなカメラをリュックを背負い、ポケットびっしりのカメラマンベスト、二台、三台、付属の三脚や望遠レンズなど首や肩に掛ける(と言うより担ぐ)。さぞかし重いだろうと思う。
私には出来ません。
ビデオカメラ一台でも手首が疲れるし、カットが長くなると腕が痙攣を始めます。
ビデオ仲間では、なまじっか高性能なカメラを持ったが為、手持ちは痙攣して耐えられないので三脚必須だと言います。機動性は無くなります。しかもカメラ位置が限定されるのでギャラリーの最前列に陣取ります。ギャラリーにとっては邪魔な存在です。
高齢者はビデオカメラは苦手なようで少数です。何故か女性が多いです。これは子供の撮影が多いからでしょう。ヤングパパは知らん顔が多いです。運動会でも、もっぱら飲み食いに励んでいます。
スチールカメラマンには中年以上の男性が目立ちます。パワーが凄まじく、危険も何のその、なりふり構わず迫ります。カメラも高性能になったので、それほど突進しなくても充分撮影出来ると思うのですが、よくわかりません。
私も、かっては、そういう事も有ったでしょうが、最近は、そんなにムキにならなくても望遠も利くし手ブレ防止も付いているので人波を押し退け、お邪魔虫にならなくても自然な情景が撮影出来ます。
私が嫌なのはカメラ目線を向けられる事です。これは作為的なので意識して避けます。
作品を見る時、撮影しているカメラマンの存在を見る人が意識しない自然さが良いと私は思います。
押し付けがましさを感じる作品は一部の芸術家で良いので、アマチュアは見て気分が良ければそれで良いと思います。
そういう事で、最近は至近距離撮影はしません。気付かれないよう、そ知らぬ顔で邪魔にならない遠い所から撮影ランプ(赤)も点かないようにして撮影しています。


名古屋城お堀端 10.7

この所、孫の運動会ビデオ撮影などに出掛ける為、名古屋城近辺をよく歩きます。
瀬戸電と言われる、名古屋栄から瀬戸迄の路線は、栄乗り入れ以前はお堀電車として「土居下」からは「堀川」まで、お堀の中を走っていました。
今は東大手手前から地下に入ります。東大手駅は地下になり地下鉄栄駅乗り入れになりました。
東大手は名古屋城東大手門を指します。
名古屋城外堀は、この辺りから始まり、お城の外周を巡り堀川に至ります。水は無い空掘です。
清水橋、久屋橋、を経て、大津橋、本町橋、御園橋が架かっています。その中を電車が走っていました。
この辺りを歩くと、今は堀を埋めるばかりの雑木林草木が繁り、夏は姫蛍が乱舞します。
瀬戸電や堀川については関連HPが多く有りますから検索されると良いでしょう。
終戦間際まで母の実家が住んだ堀川駅隣の家の想い出など「私の夢の跡」の風景です。
歴史探訪を目的とした「堀川文化探索隊」(主宰沢井鈴一氏)に参加しようと思います。
私は脇目も振らず歩く記録重視のスポーツウォークは目的が違うので、今まで参加していません。


回想 9.29

28日、カウントが30.000を超えました。
朝、自らカウントを踏みました。HP開設はいつだったか、もう記憶に有りませんが、途中で一度クリアしていますから正確ではありません。
開設当時はモデム回線のみで今は懐かしい「テレジョーズ」で、冬は寒いのに早朝から七時迄、受信やアップでした。
24時間接続が、アッという間に普及したのはまだほんの2,3年の事ですから世の中、全くわかりません。当HPも当初の目的は一通り達成しました。状況は大きく変わりました。
「町歩き探訪」は、訪ねる度に、閉鎖、取り壊し、目的変更で景観が変わって行きます。消えた所に何が有ったのか過去のビデオで確認しています。撮影を逸した場合、二度と見る事が出来ないので記録が貴重な事をつくづく思います。
二つの「さくら道ウルトラマラソン」は、一つが一旦完結しました。
「祭り」取材は行っていない所はまだまだ沢山ありますが重複日程の中、新しい視点を見付けようと思います。
とにかく、過去が永く将来は限られている立場をどうして行くかを考えなければなりません。
HP管理も自己活動が衰えればエネルギーが無くなります。内容のクリア更新を始めます。
辞めるのは簡単ですが、折角、始めたのですから、内容をリフレッシュしながら、自然消滅するまで、ゆっくり行きます。


始め有れば終わり有り 9.24

来年は色々な事が一区切りします。
「さくら道ウルトラマラソン270K」が、今年10年を以って一旦終了しました。
運営組織が別の形になり再発足するかどうかは不明です。
三年目から設営して来た「一宮裁判所佐藤桜前私設エイド」は、好天に恵まれ、一度の中止も無く実施出来ました。
ランナー300人の大規模になり、スタート日、午前中、ランナーを出迎え見送りました。
来年は、任意の「勝手ランナー」が、かなり走る事になるかもしれません。
「ネイチャーラン」は、既に応募が始まっていますが、こちらはエリートの選抜レースですから横断幕を掲げ、見送りと声援を送ります。
多くのランナーと賑やかに交流出来た「ウルトラ270K」が無くなる事には淋しさを感じます。
「名古屋山車祭」見物は来年十年目です。私の取材範囲は限られていますが楽しく見物してきました。
見物より参加したいのですが、それは叶わず、拝見していて運営の苦労が大変な事がよくわかりました。
社会変化の激しい中、伝統存続の苦心は並々でない努力です。
私事では六年続けてきた、名古屋の孫の幼稚園ビデオ取材が今期で終了します。
学校になると幼稚園(七夕、運動会、ゆうぎ会など)程、行事は無く「お出かけ」は激減します。
六年間一度も休み無く記録してきましたが終了します。
地域の役員も懸案は総て処理したので、問題なく後進にバトンタッチできます。
他にも所属している公的組織はありますが、組織の旧態化で存在意義も失われているので、退会し、少人数でもレベルアップした組織の再編を考えています。
「ビデオ編集」もアマチュアとしては、ある程度の目的迄達成したので、まず一段落します。
「インターネット」も、動画迄は、まだ先の事だと思うので、これからどう方向転換しようかと思案中です。
とにかく、色々な事が曲がり角に来ているので、これからどういう方向に行こうかと考えています


消え行く日本建築 9.16


名古屋市東部丘陵地帯にある、親類で昭和六年(1931)建築の家を取り壊す事になったのでビデオ撮影させて貰いました。
二、三度、訪ねた事があり、かって、私が空襲迄住んでいた葵町の思い出に重なる所が沢山感じられ懐かしさを感じるお宅でした。
「もし、将来、壊されるような事があったら、是非、全体の造りや周囲をジックリ見せて下さい」
と、お願いしてあったので取り壊し二日前に撮影させて貰いました。
しっかりした数奇屋造りで亡くなられた先代の想いが、そこここに感じられました。
殆ど狂いも無く、造作も丁寧で最近のモルタルやサイディング貼りの味気ない造りとは違います。
周辺の環境変化と増築改造などの結果、全体がアンバランスになり本家も消滅の運命となりました。
新築時から七十年以上経過していますが、手入れをすれば、まだ三十年、つまり百年は大丈夫と思います。
今では都会マンションが立ち並ぶ高級住宅地に変貌した周囲の環境で消えて行く事になりました。
欄間、縁側の明り取りや、階段周り、玄関明かり窓などの指物仕事などアルミサッシが殆どになった今では再び見る事は出来ません。
農村部でごく稀にしか見る事が出来なくなった日本建築は普通の人では住みたくても叶わない世界になりました。
イメージを復元して画いている空襲で焼失した幼時の家と重ね合わせながら、壊され消えていく思いの深い家に惜別の想いを感じます。


記録は誰の為 9.9

ビデオ歴は、かなり長いんですが、かなり貴重だと(自分では)思う画像が沢山あります。
ただ、祭り当事者の了解を得て撮影した物ではない(言うなれば盗撮)ので、やたらと公表してはいかんのではないかという気持が有ります。
祭りはオープンなものと割り切ってしまえば、それで良いのですが、かなりリアルな場面では写っている人の肖像権など無視して良いのだろうかと気になります。
祭り当事者は撮影どころではない人が殆どで、自分達の様子を知りたい人も居られると思います。
改まって撮影依頼をすると出来町の「オレンジおじさん」のように優先権を振り回すような事になります。これも如何かと思います。
NHKが、かって「ふるさとの映像」として全国の民俗芸能を詳しく製作しましたが著作権があり自由には見れません(放送時に、かなり録画)。
毎年必ず行われる祭りは、五〜六年通えば一通り目的は達せられますが「那古野御輿」のように、雨天中止、日曜駄目、人不足駄目、平日、などの制限が有ると四年掛かってやっと大御輿が取材出来るという運任せの取材になります。こういう画像は貴重だと思いますがどう扱うべきかと思います。
大雑把な編集しか出来ませんが「那古野神社」に提出し、記録保存の一助になるかなと思います。
十才まで名古屋育ち、旧那古野氏子(上長者町出生戸籍)という全く無関係な人間でもないものですから・・。
自分も地区祭りや盆踊りをやりますが案外撮影して貰えません。
アマチュアの殆どは「ガタガタ画面で下手だから人には見せられない」と撮影しても門外不出が殆どです。
折角、一生懸命やるのですから、自分が参加している祭りなどの記録があれば、見たいと思うのですが、祭りなど、やってる皆さんどうなんでしょうか。


俯瞰図 9.5

先だって少し書きましたが、妹尾河童さんの俯瞰図。
これが中々奥が深い。微妙に角度を考えないと変な形になります。
確かに立体感が出て、リアルな感じが表現出来ます。
言って居られるように寸法を、しっかり確かめるのが原則です。
想像だけで書くと矛盾だらけになります。それと小さい物は書けません。
よほど微細な物を書く能力のある人はともかく普通は書けませんから大きく書いて縮小という術はあります。
俯瞰図だけでなく外観図も書いていますが、建築図など書いた事は無いので、古い家並みを探してビデオに撮り屋根や軒の造りなどをスケッチします。
間取りなども記憶を辿って並べて行くと合わない所が続出。
ボール紙で、畳数や廊下などのパーツを作って並べて行きます。これはパズルです。
そこへ記憶にある家具や物を置いて行きますが、さすがに十才に満たない脳裏には押入れの場所や家具の総てまでは有りません。
記憶に有る物だけ書いて、後は思い出したら書くか、聞いて見る(もう聞く人は居ませんが)などで追々追記します。それにしてもかなり面倒な作業ですが、やりだすとハマります。
今は実在しない世界を再現する一つの手段ではあります。


ど真ん中祭り 9.1

今年で五回目。大津通りパレードは三年目ですが参加チームが増えて、PM1.15〜6.00と、昨年より75分長くなったので、とても全部は付き合い切れず、久屋メイン会場へ行ったり、若宮高速の集合場所へ行ったり。
参加チームも、あちこち移動が大変だったでしょう。
JRステージと御園会場も立ち寄りましたが、それぞれ精一杯の演舞と会場運営の大変さを感じました。ビデオは第一回から、しっかり撮っているので最近は隙間取材をしています。
今回は五時間居ましたが撮影は20分です。
メインはTV局が中継しているので同じ事をする必要は無いので、そこはアマチュアの機動性を活かして自由自在なアングル取材が出来ます。これはアマチュアの大きな利点です。
「観客動員0」というキャッチフレーズは浸透したようで、その気がある人は「踊り手」になったようです。見物人は今更踊れない高齢者か頭の硬い不器用な人みたいな様相。
「祭り」は矢張り参加しなければ駄目です。組織が作れなければフリー参加でもしたらいいでしょう。
私は、かなり難しい年齢になりましたが、取材は、かなり出来たので、これからは身軽にランダム参加出来るような態勢にしようかなと考えております。
それにしても物事は六十五才までにやっておく事です。世のシニアの皆さん今から心掛けを怠り無く。
情けない老後にならない為に・・。


御坊さま 8.27

この語韻は幼時に聞いた懐かしさがありました。
名古屋の東別院の別名通称です。今の私の家は西山浄土宗なので本願寺へ行く事はありません。
生家は本願寺さんだったんでしょう。縁日に親と行ったんだと思います。御坊さまは大須の南、金山との中間点で大須からの道筋には仏壇、仏具の店が町並を成しています。
戦後、一度行ったことはありましたが何の用で行ったかは憶えていません。
幼時のノスタルジーの確認もあり、「御坊夏祭り」で盆踊りも有るというので、どんな様子か行って来ました。
模擬店が沢山出て賑わっていました。主催真宗大谷派名古屋別院、名古屋教区坊守会や地元四学区町内会などの協力、名古屋テレビなども協力して、かなりの賑わいでした。
露天商の屋台は有りません。最近は「盆踊り」だけでは盛り上がらないようでコンサートや花火などアトラクションも取り混ぜての構成が多いようです。
「盆踊り」は、どこも、さほど変わりは無いようです。
私は地元の「盆踊り」に協力して来て、どの程度のレベルが良いのかと思っていましたが伝統保存会が
ある地域以外は横並びのようです。
TVではマレーシアが「盆踊りブーム」だそうで、在留日本人主催ながら万人規模の大掛かりなイベントになっています。曲は「東京音頭」や「相馬盆唄」などだそうで・・。
姿は大きく変わったのでしょうが「縁日」の雰囲気は有りました。
幼時の想い出は生涯残ります。親は子供に楽しい想い出を作ってやる事を考えましょう。
私は親と暮らしたのは十年に満たないのですが当時の状景と共にイメージは、はっきり脳裏に有ります。
幼時の記憶にあった「御坊さま」という懐かしい語韻に引かれて行ってみました。


タイムスリップ 8.23


今、自分史のCD化作業をやっています。
これは昭和が終焉した1989年頃、一挙に記述したテキストファイルと、その後、追記したものをHP作成ソフトを使って組み直しています。
これは公表するものではないのでプライベイトな部分や偏向、或いは誤解、思い違いがあると思いますが、構わず書いています。
読み直していると、その後、判った事もあり記録は無限です。
両親、両伯叔父母、両祖父母も居ない今、周囲に確認を取りながら書いていますが、殆ど、私の知る以上の事は知らないと言われます。
こうなると、私以外に記録を残す者は居ないという事なので、これも自分に与えられた義務なのかと思います。
出来る限りの先祖の資料と、自分の人生体験の記憶を、物心ついた頃(5才位から)からの記憶とイメージを辿って、その地、その場所、住んでいる人に尋ねて、かなりの所まではわかりましたが無くなってしまったものは自分の脳裏からイメージを書き出すしかありません。住んだ家の間取りや、周囲の状況、関わりの有った人達など、乏しい表現能力をあれこれ思考しながら書いています。
「ヒロシマ」の原爆画は何とか表現しようとする人達の必死の画です。
それでも、何も無いより強烈な思いが伝わって来ます。それに励まされ消えた思い出を書き出しています。
舞台芸術の妹尾河童さんのスケッチ俯瞰図は面白い表現法で、その手法で何とか、細かい物まで表現できないかと思います
あれほど精密には書けないし、実寸は確認できませんから想像しながら書きます。
俯瞰は天井から見下ろす立体図ですが遠近法で、上部へ拡大しますから定規と手書きスケッチで書き込むことになります。平面図では表現できないリアル感があります。
それにしても、物心ついてから六十年以上になりますが、頭の中には随分、沢山色々なものが詰まっているものだと我ながら感心します。
まだまだ、色々やらなければなりませんが、今迄のようには入らなくなりました。
テンポは遅くなるので、ゆっくりはしていられません。目も歯もスタミナも衰えますが無意味な日々を送ってはいられないので、まだまだ手を緩めてはいられません。
なにしろ六十年の記録ですから能率良くとは行かない作業なので長期戦の様相です。


お盆も終わって 8.16

地元の盆踊りは、雨で一日繰り下げとなりましたが、二日間無事完了しました。
私は地区役員と「踊り人」とのWキャスト(実態は踊り人)で、準備と後始末の付録付きでしたが成果は上がったと思います。
前年まで、二年間、月二回の練習に付き合いましたが、三年前、新構成でスタートしたグループが成長著しく、今年は、浴衣も揃いで新調する勢いで、地区保有の浴衣と合わせて五十人以上が揃いの衣装と踊りで、良く、ここまで進歩したものだと感心しました。
男は相変わらず数人と僅かですが、腰が曲がっても櫓舞台に上がりたい女性のファイトは男性には見当たりません。
ここまで来ればもう大丈夫でしょう。これからは少ないながらも地元にある「盆踊り唄」を取り上げしっかりした「レパートリー」を持つ事だと思います。
当地区は、特定の「民踊会」のバックアップ無しで整った形になりましたが、私の知る限りでは珍しい事だと思います。
お盆も終わりましたが、八月は「御坊さま(23.24)」と「ど真ん中祭り(29.30.31)」があります。
昨日は戦争が終わった八月十五日でした。
これから終わりの予定の無い「自分史」のCD化作業を始めます。


自分史のデジタル化 8.8

「自分史」は、テキストファイルは、昭和六十三年(昭和終焉時)に、大体完成していてプリントアウトしバインダーに整理しました。
ごく身近な親族には配布しました。「製本したらどうか」という話もありましたが、私の知る範囲では最低単位の製本でも手元に多くが残り、知人に贈呈の形になる事を知っています。
父の戦友会の方達の中でも、多くの方が戦記を自費出版されましたが、出来る範囲で頒布、その後は贈呈という形が多いようです。個人のプライバシーの限界、或いは思想の違いで、想いは伝えられることが難しい状況です。
それでも、黙したままでは自己完結出来ないので「自分史」という形で残される方が多くおられます。
私は、五十代前半に、それまで、わからなかった多くの事実を一挙に知る事になり、自分の家系や、戦中戦後に跨る自分の経験を後世に伝えるべきと思い、昭和の終焉という時とも重なり一気に書きました。
当時は、まだ、コンピュータが出始めたばかりでしたが、扱い難いながらも「ワープロソフト」の登場で書くチャンスが到来しました。
それまでにも、テープレコーダーに「語りかけ」で、録音も試みましたが、巧く表現が出来ませんでした。
コンピュータは、「SHARPX68000」そのソフトを使い相当な集中力でドンドン書き込みました。
今の私に、そのパワーはありません。感情も希薄になっています。やはり、あの時が「チャンス」だったのだと、今つくづく思います。
記録媒体はテープから、フロッピーデイスク5インチが、640KBから1Mへと登場したばかり。
それでも相当な量を書き込んだのですが、テキストファイル1Mに書き切るのは、かなりの量でした。
プリントアウトもドットプリンターでカリカリカリカリの騒音と低速、勿論モノクロです。
画像は無理で、写真などは別冊解説付きになります。
その後、フロッピーは3.5インチに替わりスキャナも登場。
文書読み取りソフトも利用して文書のコンバート(変換)も必要でした。
その後は、コンピュータもDOSVにと大きな変遷を経過しました。
大容量の画像や図表なども取り込みが可能になった今、自分史という狭い範囲に止まらず、社会現象や時代変化を含む表現が可能になりました。
色々な方法はありますが、ホームページ作成ソフトを利用すれば、ランダムにページ編集やリンクも出来ますから、そうしようと思います。
フロッピ-の磁気保存は劣化や消去の危険もあるので、デジタル保存のCD或いはDVDでの保存の作業になります。
年令と共に集中力や体力も衰えますが、機器の進歩もあり、やりようでは以前のように苦労はしなくてもやれるだろうと思います。
何しろ、戦中戦後では町並みも大きく変わりました。特に、名古屋市中心部は道路拡張により様相が一変、空襲による被災で学籍簿も焼失。住民も私達を、はじめ四散してしまいましたから、訪ねても手掛かりは、ごく僅かです。
名古屋では、中区東端から名古屋駅前は100メートル道路が縦横に造られ、寺町の墓地は総てが平和公園に移されました。
所有の戦前地図(昭和八年図)と、現在図を重ねると如何に大きな変化が有ったか驚くばかりです。
私達が住んだ地域も、その中に有りましたから、当時の生活は古い地図と記憶からしか、イメージが復活出来ません。
ですから、余計、何かに記録しなければいけないという責任のようなものを感じます。
イメージをスケッチ化しなければと思いますが、これが、なかなか思うように書けません。
その後、あれこれ、写真や当時の様子を知る機会も有り、追加整理する機会かと思います。
バブル崩壊以来の混乱した社会を、今一度考え直す為にも、自分の経験した事が次世代の為の参考になればと思い、疲れやすくなった身体をコントロールしながらボツボツ始めますが、あまり、ゆっくりもしていられません。


盆踊り、あれこれ  8.4

「盆踊り」の様変わりについては今迄にも書いてきました。
この夏は、名古屋の盆踊りの様子を眺めて見ようと、三日は大須夏祭りが開催されている大須観音へ出掛けました。「盆踊り」は、午後七時三十分から。
私が家を出て到着した六時三十分には「大須太鼓」男女総勢三十人程が境内一角に作られたステージで演奏中。七時迄行われました。昼間には大須商店街では「サンバカーニバル」が有ったようですがそれは私の趣味ではないので・・。
「盆踊り」は、八時五十分迄で、九時から始めて見る「手筒花火」が三十分程。
さほど広くない境内ですが、10メートル位噴き上がる、十本程の火柱は壮観でした。今回は場所の関係で小さい方だと思いますが、まだまだ、大きいのがありますからそれも見たいものと思わせました。
「盆踊り」ですが、矢張り、ご当地「名古屋物」は定番のようです。「名古屋ばやし」「金鯱音頭」「丸八音頭」など。子供向きには「一休さん」民謡は「郡上かわさき」「炭坑節(正確には昭和初期作は新民謡)」くらい。「明日があるさ」「河内おとこ節」他数曲でタイムアップでした。
ここは、他のイベントとセット構成ですから、これ位です。
名古屋では二十四日に「別院御坊様」や「名古屋城夏まつり(13,14,15)」で盆踊りがあります。
名古屋を中心とした東海地域では「島田豊年さん」の民踊研究会が大きな組織を構成し運営活動をされています。どこの盆踊りでも殆どが末端の組織によって指導され、そうでないのは「現地伝統保存会」と、ごく一部の盆踊りです。それでも「踊り」は民踊研究会のものが踊られます。著作権とまでは言わなくても「挨拶くらいはしておいたら」という声が有った事があります。
肝心の本題ですがハッキリ形態が別れたようです。
いわゆる「民俗芸能」としての「念仏踊り」である先祖盆供養の為のもの。
領主と住民の交流や娯楽の為に、施政の一端として広く行われるもの。(郡上おどり、阿波おどりなど)
大正、昭和初期、東京など都市部をはじめとする各地で作られた「新民謡(中山晋平、野口雨情、北原白秋などによる)
最近の流行の曲にダンスの要素を加えたもの(ダンシングヒーロー、明日があるさ、など)
盆踊りは四拍子が原則ですが、今年は「ひょっこりひょうたん島」のような三拍子が現われ、とても浴衣で踊るものではありません。
まあ、こういう様子ですから、風情を楽しむなら「お盆」を外した日(やってない日もあるので要注意)に郡上八幡、白鳥。すこし遠いが「八尾おわら」や「麦屋」などで、「盆踊り」らしい踊りをゆったり踊るのが良いでしょう。
都市部の「盆踊り」は、高齢幼年対応模様なので、若い人は「よさこいソーラン」や、ジャズダンス、エアロビクスでないと不満かもしれません。
何れにせよ、やる以上は「何でも良い」ではなく「やっただけの事はある」と思える所までは、やって欲しいと思います。「あれもこれも」は身に付かないので虚しくなります。
「一生一芸」を身に付けるくらいは何とかならないかと思いながら年は重なって行きます。


盆踊り 7.28


名古屋の盆踊りがどんな様子か、孫の学区の盆踊り大会を見てきました。
名古屋市北区大杉公園です。開始は午後六時から。私の地域の盆踊り大会でも行われる福引抽選会がここでもありました。六時から七時迄の間に、まず抽選会があり、踊りは七時からです。
ここは、名古屋市長さんが、お住まいの地で挨拶がありました。
「どんな曲が掛かるのかな」と見ていましたが名古屋物が四曲程ありました。「名古屋ばやし」は戦後作られ年代を経ていますが、その他「名古屋金鯱音頭」とか私は知らない「名古屋」の付く曲が登場します。踊りは難しくはなく、オットリした曲で、気ぜわしくないのが良いです。
民謡定番としては「郡上かわさき」「相馬盆唄」「炭鉱節」など。
「明日があるさ」も、やりました。
一時間程、見てましたが、その間には「ダンシングヒーロー」や「モーニング娘物」は掛かりませんでした。
一宮では「ひょっこりひょうたん島(モーニング娘バージョン)」が、今年の新曲で掛かりますが、一昨年からの「恋のダンスサイト」など盆踊りとは言えない物を持ち出す民踊会には眉をひそめます。
私が、関わっていた時から、そうでしたが、レコード会社と連携して、毎年、新曲と称して、踊り(これはもはやダンス)を振り付け、会員にレコード(今はCD)を販売します。コマーシャル戦略に乗ったビジネスです。
ビジネスに文句は言いませんが、盆踊りは、本来、民謡が中心と思う私には乗れません。
テンポが早過ぎて高齢者はバタバタですが、又、それをやりたがる傾向もあり、困ったものだと思います。盆踊りまで使い捨てにしてはいけません。
と言っても、今は、それが風潮ならば仕方ありませんが、本来の民謡の良さを思い直して、数より質のレベルを上げ、落ち着いた風情を復活してくれる事を期待して、私は民謡だけを踊る事にしています。「たかが民謡、されど民謡」永く引き継がれている伝統は簡単に見えるようで、奥行きがあります。
現在のゴチャゴチャ文化の中から、本当の日本の良さを見付けなければいけない時が来ていると思います。


難しくなったパソコン 7.23

那古野祭りを取材したので、まず、昨年の取材を編集してからと、テロップやタイトルの作業を始めました。
かなり、慣れて来た筈なので早く済むのかと思いましたが、結構時間が掛かります。
画像の編集は済んでいたのですが、15分の物に10箇所程、テロップを流すのに5時間掛かりました。
大鉈、小鉈でズタズタ切り刻む作業が続きます。まあ、アマチュアの撮影するものは大した量ではありませんが、プロは取りこぼしが無いように膨大な撮影量ですから、それを30分そこそこの作品にするのは大変でしょう。
その点、スタジオでのバラエテイやトーク番組なんてのは、ダラダラ流すだけですから、いい加減なもんです。
今年の那古野祭り大御輿渡御は滅多にお目にかかれない行事だと思われるので、キチンとした物にしておこうと思います。いずれにせよビデオの編集は手間が掛かります。
コンピュータのトラブルは次々耳に入ります。自作パソコンショップの相談掲示板には、よくまあと思うほど毎日難しい問題が持ち込まれます。
私のパソコンも、一日に何度エラーが発生することか。
慣れてしまって、サッサと再起動させてしまいますが、XPにしてから余計多くなったようです。アップデート通知が入るのでアップすると、暫く不安定になります。こうも色々発生すると初心者は参ってしまうでしょう。「触らぬ神に祟り無し」ですが、パソコン雑誌には、ああすれば良い、こうすれば良いと書いてあると色々やって見たくなります。
リスク覚悟で、闘いと思うか、遊びと思うかは人次第ですが、楽を憶えた最近の人は何処まで耐えられるでしょうか。
この間の、岐阜県可児市の電子投票ではサーバーが加熱ダウンして投票が出来ないトラブルが発生しました。
選挙は、やり直しが出来ませんから軽く考えたのが間違いでしょう。
選挙管理する側もメーカー任せにしないで、ある程度、学習しておく必要があったのでしょうがキャリアだけでは出来ない仕事がデジタル社会です。
若い職員を充足して、年功社会の改編を考えなければ、いずれ行政機能は麻痺します。
住基ネットの管理など危ういものです。デジタル社会への高年令者の順応は簡単ではありません。
パソコン教室の受講料トラブルも発生。コマーシャルで言うような簡単な代物ではありません。
永年触って来て、こうですから他人には薦める気持ちは最近ありません。
「やりたければ無理しないで、お好きなように」としか言えません。


集団の美しさ
 7.15

「夏祭り」や「盆踊り」の季節になりました。
気になるのが、そこに現れる人達の衣装です。
伝統のある祭りでは衣装は極端に替わる事無く引き継がれて来ました。
これは世代を現わしたり役柄を表現したりしています。ですから、それを着る事は部外者には出来ません。
これは地域の組織を引き締める事にも繋がっています。それだけに責任も伴います。
人間関係と共に集団美も発揮され、見ている者にも感動を与えます。それなりに洗練されてきた誇りもあると思います。

「盆踊り」が本来の姿から変わってしまいました。
伝統ある地域保存会は変わらない姿を伝えられています。何も変える必要が無いからです。時代が変わり世代が変わっても同じ姿が続いています。
「郡上踊り」を大学の研究論文にされた方がいます。緩急組み合わせた構成が人に自然に溶け込んでいる事が裏付けられているのです。それで徹夜踊りも出来るのです。
そういった「盆踊り」から逸脱した形が各地に多くなりました。
民謡が少なくなり、一年ポッキリの新曲や、ディスコまがいの曲が多くなりました。
本来、「盆踊り」は浴衣で老若男女を問わず、共に、ゆったり踊ったものです。
激しいテンポでは年配者は唖然と眺めているだけです。
衣装も、様々な、法被あり、甚平あり、バラバラです。色もケバケバしく暑苦しく、美しさは感じられません。
今年は、浴衣も本来の古典柄に戻ったという事ですから結構な事だと思います。本来の白地や紺地の涼しさを感じる浴衣で美しさを感じる盆踊りになって欲しいと思います。
東京日比谷では六十年振りに盆踊りが復活するようです。戦前ブームになった「東京音頭」が、戦争で中断し、戦後、一時復活、「丸の内音頭」などが作られましたが数年で中止、今年復活という事です。本来の世代を超えた盆踊りであって欲しいものです。

先日の「郡上踊り」開幕のニュースを見て思いましたが、踊りの中心は現地の人達が本来の姿で構成すべきでしょう。
場違いの衣装や、パフォーマンスだけを見せたい人は周囲で踊れば宜しい。
現地の人も観光の為と妥協しないで伝統は崩れないように守って頂きたいと思います。


一応の結論
 7.9

またまた、ビデオ編集の事。
一通りの試行錯誤の末、一応の結果を得ました。
多少の問題の発生は止むを得ませんが、要領を掴めば、時間は掛かるものの一般の人に「ホーッ」と言わせる程度の事は出来ます。
編集をやってわかる事は、撮影時に編集の事を考えながら対応する事を意識するようになる事です。
例えば、撮影のスタートとエンドに余裕を持たせる事です。カットを見込んでおく為です。カットは楽ですが連結は難しいからです。
それと、出来るだけ余計な作業をしなくて済むように撮影しておくことです。
編集は、どうしても手と頭の作業ですから能率の悪いものです。
一番ハッキリしているのは、編集するほどの価値がない素材は編集の苦労をしても骨折り損です。
本当に記録として得難い貴重な資産として残す価値の有る物をライブラリーにしたいと思います。
一応、ビデオに関しては納得出来たので、これから色々活用しようと思います。

次なる物は・NETと、これからは避けられないWeb関連(XMLなど)の仕組みを試行錯誤して見ようと思います。


簡単ではないデジタル社会 7.6

この所、家電店ではDVDレコーダーが売り込み合戦の様相。
永年、君臨してきたVHSも終焉を迎えたかの雰囲気。
VHSなどからDVDへの変換は容易に出来るとは思いますが永年撮り溜めた相当数の変換は大変です。
DVDの録画方式は様々で、コピー一回限りのみというガード付きDISK(DVD-R)など、あまりハッキリ表示されていない事もあるので要注意です。
カタログで、案外見落しがちなのがDV(irink)入力は可能だが出力には制限があるという事。
これは*印の極小文字で書かれていますから、ルーペで凝視して確認する事です。
書き出し不可、即ち、コピ−ガードされているという事です。それとDVD録画はMPEG2圧縮されていますから外部編集は不可です。内部での簡単な編集は出来るようです。
ですからDVD録画という事は完成された物の圧縮保存と考えるべきです。HDD付きDVDレコーダーもMPEG2デコード録画と思います。
DVレコーダーは、殆ど、今は聞かなくなりました。これはパソコンやビデオカメラの値下がりで、リニア編集が容易になったからでしょう。
パソコンのDVDドライブもかなり値下がりしました。これもDVD−RAM(パソコンデータ記録可)は民生(家電)とも互換性が有りますが、シェアは30%と言われています。色々有るので慎重な確認が必要です。
何れにせよ、テープなどのアナログメディアがテープからデジタルのCDやMDに変わったように、ランダムアクセス可能で劣化の少ないディスクに変わる趨勢です。
デジタルビデオカメラもHDV(ハイビジョン対応)に移行するとの報道です。
この所、色々試行錯誤を続けていたビデオ編集ですが、単に連結するだけならともかく、色々な作業(テロップやBGMなど)の総てをビデオカメラとパソコンだけにやらせる事はかなり難儀と私は判断しました。
余程の強力なプロ用並のシステムならともかく、数万円程度のシステムで巧くやろうというのは虫が良過ぎるようです。
一発で完成に至るのでは無く、大まかなパーツ(タイトルなど)を、それぞれ加工してから完璧に連結する事が必要です。
それを一旦、バックアップ(フィルター効果)して切れ目の無い物にする必要があります。
これがデジタル編集には必須です。
マニュアルには色々書かれていますが、その通りに簡単に行くほどハードは鷹揚ではありません。
無駄とも思えるほどのバックアップが必要など、システム障害や兵器の誤爆など、デジタル社会が如何に油断のならない危ういものかと思います。
人間という曖昧で複雑な者がデジタルと共存する事は思ったより難しい事かもしれません。
まだまだ、奥は深いようです。


再々ビデオ編集 6.28

問題が多出するので改めてビデオ編集の問題点を洗い直しています。
まず、ビデオ編集を、専用ハードを導入せずに、ソフトだけで、どこまでスムーズに出来るかという事です。
メーカーパソコンや、IEEEEカード(数千円で購入出来ます)などに添付されている編集ソフトはマニュアル通りに、どれほどの機能があり実際に使えるのかという問題があります。
正規市販版へのバージョンアップが推奨されています。市販版よりは低価格で入手できます。
数種類のビデオ編集ソフトを試用しました。何れも、基本動作一応は動作しますが、細かい作業や自動取り込み機能などを使うとエラーが出易くなります。ごく短時間(10分位)であれば、何とか収拾出来ますが長時間になるとコンピュータの能力が追随出来なくなるようです。
デュアル(ダブル)CPU位のパワーが必要かも知れません(未確認)。
私の撮影データを検証して見ると、15分の撮影ソースで30カット以上有りましたから、その繋ぎ目信号を検出ソフト的にするのは厳しいのかなと思います。
そこまで来ると、キャプチャー専用カード導入が先決かと思います。キャプチャーカードも安価な物は機能も低いので(私の経験)すぐ限界を感じ高機能な物が欲しくなります。
ある高機能ソフトを使いこなすには、それに対応したハードや(キャプチャーカードなど諸々)別途ソフトの導入を推奨しています。
ハードの低価格化が進んだとはいえ、資金とその機能の理解は簡単ではありません。
いずれにしても、少ない費用と手軽に出来るという事を鵜呑みにしては、すぐ行き詰ります。
撮影から、それなりに一応納得出来る最終結果を得るまでにはかなりの道程があります。
8ミリ映画の編集ではフイルムを目視しながら鋏とフイルムセメントで接合しましたが、基本的には同じです。撮影や編集機材は進歩しましたが人力作業は必要です。
映像作りは総合作業ですが、アマチュアは、それを総て個人でやるのですから、あまり大袈裟な事は考えないで遊び心で一つづつ進めて行く事でしょう。
あまり、お金を掛けるとあれもこれもと考えることになるので、初めから高機能を使わず手作業から始めたほうが確実だと思います。
ビデオ編集初期の頃、必要だった、タイトラー、音声ミキサー、エディターなど、それぞれ、単機能のハードが必要でしたが、それらは、コンピュータとソフトで対応出来ます。それだけでも大幅な進歩です。機械的な処理はそれで済みます。
ハード処理はハードに任せておけば良いのですが、それをあまり多用すると、目先ばかりの、くどい画像になります。これは避けるべきです。内容の乏しい作品を目先で誤魔化す事は本末転倒です。
要するに出来もしないプロの真似は駄目です。
アマチュアは、それらしい無理をしないシンプルさが必要だと思います。


神様だって遊びたい 6.23

夏祭り本番近し。
お祭りは、年に一度、神様と氏子が一緒になって遊ぶ日です。
年中、薄暗い御簾の中に鎮座して、神官の難しい祝詞を聞かされ、厄払いなど、あまり面白くない日々を送っておいでですから、年に一度位は外へ出て、ドンチャン騒ぎをやりたいのは世人と同じでしょう。
お囃子や掛け声に載って、揺さぶって貰えば気分は最高でしょう。
そこへ、宗春さんという殿様がスポンサーになったのですから名古屋の祭りは最高潮に達しました。
チョッとやり過ぎで破産状態になって、隠居させられてしまいましたが名古屋城下は「夢の中」でした。
衰退して行く祭りは、神官主導の神事優先で「氏子無視」の傾向です。
これでは、神様も氏子と遊べなくて寂しい事です。
神様も氏子もストレスが溜まります。「さあ、又頑張ろう」という活気も出ません。
町の活気が失われます。
私も、いい年なので遠慮しないで言います。
お祭りの「お客様は神様です」

再びビデオ編集 6.19

以前、編集した「鶴舞公園の秋」に「花菖蒲満開」画像を追加して再編集しました。30分です。
データ容量は10Gを超えました。パソコン上では順調に終了しました。
DV出力で録画しようとしましたが、15分くらいの所で渋滞し、スピードが半分以下になりました。
止まる事は有りませんでしたがコマ遅れが酷く、止めました。
元テープは、以前のシステムでのWinMe編集で、部分コマ落ちやブロックノイズが有りましたが、テロップとBGMが入っています。
現在は、構成システム、OS、編集ソフトもバージョンアップで大幅変わったので、微妙な影響が有るかもしれません。
メモリーはDDR256ですが大容量データの転送には512以上必要かもしれません。
Mpeg2にも変換しました。データ容量は15%位に減少しました。50分で終了しましたが、渋滞やコマ飛びが発生しました。
現状では、一旦編集したものは、それで完結として、新規にオリジナル作業するのが良いかもしれません。
強力な編集システムを組み込めば、何でもないかもしれませんが、今、そこまでファイトは有りません。
あまりゴテゴテ弄らず、シンプルな編集をすれば30分でも大丈夫でしょう。
細かい作業を加えるならば15分位で1パーツ単位に区切るのが良いかと思います。
シンプルな編集でも、何もしないよりは遥かに感じのの良い作品が出来ます。


アナログからデジタル変換 6.15

βHi、Hi8、SVHSなどで撮影したもの、録画したものが大量に有ります。
コンピュータでデジタル処理が可能になった現在、加工、編集しようと思っていましたが、この為には変換カードが必要でした。たまたま、身近に変換機能があるビデオカメラを持っている人が居たので、数日、借りて一部変換作業をしました。
βは、既に市場には無く、僅かに、中古が、アメ横などで、かなり高額で売られています。
Hi8も消えかかっています。VHSもDVDやHDに移行しています。
デジタル社会に完全に移行して行く現状では、アナログ資料のデジタル変換が必須になりました。
アナログ画像は画質も粗く、ダビングによる劣化も大きいので充分な画質は得られませんが、得難い貴重な資料が保存出来るので是非、変換が必要です。
コンピュータもメモリーやOS、アプリケーションの互換性が難しくなって来ましたから、絶えず対応が必要です。
TVもデジタル移行が間近です。アナログからデジタルへの変換はデジタル処理により情報が大幅にレベルアップされますから記録保存のライブラリーの充実が図れます。
その作業は、まだ人の手です。


新しい事はいい事か
 6.10

六月九日、名古屋筒井町、出来町の天王祭を訪ねてきました。訪ね始めて九年目です。
昨年は西枇杷島の惜車の百年振りの登場と、五輌勢揃いという記念事業に花火見物という滅多に無いトリプルイベントだったので、それをじっくり拝見しました。
筒井、出来町は行きませんでした。
今回は、久しく行かなかった新栄町の地下鉄から、かって幼時住んだ葵町の現状を見、布池から代官町を経て筒井町へと歩きました。布池交差点の北東に「大洋商工」のビルが今も有ります。この建物は私達が住んでいた頃から有りました。当時としては珍しい、エレベーターも設置されたビルです。東区役所に面しモダンな風景でした。
東区役所には空襲避難の忘れ難い思い出が焼き付いています。東区役所は移転しアーチ型の入り口の建物は昭和四十五年、呆気なく壊されました。
「大洋商工」は現在閉鎖され貸ビルの掲示があります。入り口には折り畳みの菱形格子シャッターが閉じてあります。中のエレベーターも格子シャッターがあり、各階表示が時計の針のように動きました。
今でも、どこかの古いビルでは、こういうエレベーターが動いているかもしれません。松坂屋の本館に有るかも・。
名古屋の各所には大正、昭和初期に建てられた建物が、まだ多く有りますが相当老朽化しています。
懐かしく思うのは私の世代が終わりかなと思いますがどうでしょう。
代官町は一町で、かなりの広さですが、かっての商店街は消えてしまったようです。
私が知る昭和十年代は映画館や飲食店など大賑わいでしたが、今は店は数軒で当時の面影は全く有りません。
東に続く筒井町は尾張徳川様菩提の建中寺の門前町です。立派な山車二輌を持ち、六月の天王祭にはお囃子も賑やかに町内巡行が行われ大勢の見物衆で賑わいます。
町並みと共に戦火を免れ、延々と祭行事が受け継がれて来ました。山車、からくり人形、祭衣装など改修、取替え、新調など、お囃子道具、曲の継承など運営継続には並々ならぬ苦労がある事でしょう。
私も現住地の縮小したとは言え祭運営には神経を使います。省略すれば益々衰退するばかりです。
道具立てをすれば立派になるという事ではありません。それに伴うノウハウが必要です。衣装を作れば着付けが必要です。現代は着物は日常着ませんから帯の結びや裃袴の着付けが必要ですが知る人が居ません。
日本の文化は、ここまで衰退したかと溜息が出ます。
山車も、かなり新しい姿に変わってきました。古さと新しい調度とのバランスは難しい問題です。
わざと古さを表現する事は、尚、難題かと思いますが極彩色金ピカが即魅力とは簡単に思いません。
奈良薬師寺には飛鳥建築の東塔と新しい西塔が対照的に有りますが、どちらが好みか分かれる所でしょう。
「温故知新」古きを訪ね新しさを知る事は是非必要です。両方を共に知る心を失わない事でしょう。
ピカピカになれば、それで良いとばかりは言えないのが文化です。
決まった手順でありながら奥深さを感じさせる修練の魅力が伝統の力だと思います。
永遠に完成が無いのが本当の文化なのでしょう。


ビデオ編集の難しさ(.03. 6. 2)

 ビデオ編集をやってみたいという知人がいるので私の経験を書きます。
短時間の編集では、さほど問題は起きませんが、三十分位の物を作ろうと思うと様々な問題が、たびたび発生します。
コンピュータとソフトだけでの編集は、コンピュータシステムに、かなり大きな負担ですが掛かるのが理由かと思います。ギガ単位のデータがPCIバスを流れ、画面特殊効果を使うとCPUがフル稼働します。
専用カードを使えば、搭載されているチップセットが処理してくれるのでコンピュータ本体の負担は大幅に少なくなりトラブルの発生は減少するという事です。私は未経験です。
本格的とは行かなくても、本気で編集する気が有るならば導入すべきでしょう。
但し、コンピュータ自体の基本パワーが充分でなければなりません。メーカー製パソコンではビデオ編集も出来ますという謳い文句が有りますが最低限の機能であり、かなり高価なバージョン設定がされています。自作であれば、本体フル新調で¥70.000位のスペックが最低必要です。ソフトは別です。
専用カードの低バージョンを装着すると¥100.000を超えます。これ以上は、いくらでも上があります。それでもメーカー製の50%位で済みます。
数分単位の作品で良ければメーカーパソコンでOKですが、ストーリー性のある30分位のTV番組並の物を作るには、それ相当のハード構成が必要です。ここまでは機械的な問題です。
ビデオ作品を作るのはこれからです。撮影から作品完成までには、ハード操作テクニックや、センス、知識など、人的能力が100%です。
なにしろ、一人でディレクター、カメラマン、音楽、ナレーションなどをハードを使いこなしながら実現するのですから大変な作業です。しかも報酬は「無」ですから、自己満足、自己顕示の手段でしかないと思うべきです。かなりのエネルギーやパワーと投資が要求されますから、ある程度の時点で挫折する人が多いです。大きな資金を投入し、ハードの強化を図れば巧く行くと思い、相当な金額を投入した人達がいます。家一軒とまでは行かなくとも、自動車数台分位の設備を装備した人もいますが、今やハードの進歩は凄まじく陳腐化して使い物になりません。趣味の世界も大変です。
基本は、まず取材です。これは、人それぞれですから、ここから既に個性が発揮されます。
自分の総合的な個性が現れますから誤魔化せません。怖い事です。
撮影自体、相当な体力が要ります。限られた時間と場所との一発勝負。
それと、何よりも大事なのは周囲への配慮です。断りも無く傍若無人な振る舞いをするカメラマンをよく見掛けます。注文を付けて「やらせ」まで要求しては話になりません。
プライベイトな面には「立ち入り禁止」を原則として守るべきです。
とにかく「ビデオ作品作り」は理工系と文科系という、相反する個性を両方持ち合わせる「マルチ人間」を要求されます。
ゲームソフト初期の頃「インベーダー」「ドアドア」など、一人で作った作品が爆発的なブームを起しました。今や、コンピュータゲームは映画製作並の巨大プロジェクトが億単位の資金投資で作られますから個人は埋没しています。
その点では個人ビデオは個性のアピールの場では面白い事かもしれません。
「撮りっ放し」も一つの作品です。無駄な所だけをカットして繋ぎ、オープンタイトルとエンドタイトルを付けるというシンプルな物も見易い物です。やたらと特殊効果を付けたり、相応しくないBGMを付けるのは却って逆効果になります。
いじくり始めると「泥沼」に嵌ります。
趣味の世界ですから、あまりムキにならないように面白く楽しむ事が肝心でしょう。
参考になればと思い書いてみました。

まずHDの高速化
ビデオ編集の続きです。
CPUを上げてもメモリーを増設してもHDが遅ければコマ落ち続出で作業が続きません。
ベンチマークで転送速度が3.6MB/秒では駄目というデータがあります。
現状はATA133が主流になっていますがATA100で7200rpmなら良いと思います。
5200rpmだと3.6MB/秒を切ると思います。何よりATA7200rpmのHDが必須です。
現有パソコンがATA100対応でなければ(ATA66の場合)ATA100カード増設です。
それでも不調な場合は、将来拡張可能な自作パソコン(¥70000位)を持つのが良いと思います。。