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 週日すけっち 

4/1
ゆっくり咲いてほしい

この頃は「さくら」が咲くのが早過ぎる。
「三日見ぬ間の桜かな」とは言うものの、咲き急がないように願いたいものです。
ことに「さくら道ウルトラマラソン」の二つのレースに関わるようになったので「ソメイヨシノ」は無理にしても「枝垂れ」の花が、少しは残っていると良いのだがと思います。

4/4
色々あっても、お祭りだ

三日、一宮は「桃花祭」でした。
わが町内は参加必須の責任町内で、わが町が神社境内に入らなければ「祭り」は終了しません。
神社は、あくまで伝統を守り四月三日から日曜日への変更の見込みはないので、参加町内は減少の一途で現状は最低ラインの状態です。
参加は氏子町内の意思次第で、神社からの働きかけはありません。
それぞれが考えて出来る方法を考える事です。
わが町は、十才までの男子子供の「若殿」を中心に「露払い」「奴」などによる「行列」があります。
これは、このHPに紹介しています。
今年は、昨年、部分復活したものを出来る範囲で再現しました。
毎回、出しゃばるのも、どうかと思いながら「若殿」の後見で「露払い」を勤めました。
二日は雨で静まり返り心配しましたが、三日は朝から晴れて暖かく「祭り宿」も盛り上がり終日楽しく過ごせました。
当地「尾張地域」は、江戸時代発祥の豪華絢爛な「山車祭り」が春から秋まで毎週末どこかで行われます。
わが町は「室町時代」発祥の一時代前の祭りという事もあり地味ではあります。
まあ、色々あっても「祭り」は続けたいものです。

4/7
非情

理由をどう付けようと戦争は非情です。何事も無いように日本では花見や祭りが出来ます。
イラクのような状態が日本には起こらないだろうという漠然とした安心感があります。
戦争体験を語っても「昔話」くらいにしか思えなくなってしまったのでしょうか。
イラクで悲惨な情景が伝えられても実感としては感じられないのでしょう。
「平和ボケ」を醒ます為に苦しい体験をさせられるのは愚かな事です。
人の苦しみを感じる確かな感性を失ってはいけないと思います。

4/8
戦争が終る時

「イラク戦争」が、どう終わるのかが気になります。
私は、太平洋戦争が終るまでは、父が居なくなり何となく重苦しい雰囲気の中、岐阜東濃の御嵩の親類へ疎開もしました。十九年末には空襲が迫る名古屋に戻ってきました。
名古屋では、十七年四月に始めての空襲があり、三年近くの空白の後、十九年十二月十三日からは数日間隔で二十年七月二十六日まで六十三回の空襲がありました。
私達は、四十二回目の三月十九日、被災全焼、名古屋を追われました。転居した一宮は七月末に市内の70%全国二位の焼失率の空襲を受けました。幸い、それからは逃れましたが、名古屋は私達が去って後も熱田や大曽根など軍需工場の近くでは大きな悲劇が発生しました。
その他の「東京大空襲」「ヒロシマ」「ナガサキ」は衆知の通りです。
私の周囲では、二十年一月二十三日、隣家への爆弾投下での被害を皮切りに、日夜、警報が鳴るようになりました。終戦まで名古屋に居たなら、もっと空襲の怖さを感じた事でしょう。
戦争が、いつ終わるか全く分からず、日本が負ける時は全員が死ぬのだと思い込んでいました。
しかし、戦争が終わった時、もうこれで静かな毎日が有るという安堵感が起きました。
「イラク」国民もそういう安堵感は得られると思います。フセイン、アメリカの何れにも関係なく・・。
それからの事は混乱の中から道を探し当てる事になるでしょう。
私の場合、戦争が終わっても、待ち続けた父の生還が叶わず、家族への影響は大きく生涯に及びました。
私の「反戦(他に表現する言葉が無いので)」は、単なるムードや思想ではありません。
実感を伝える事が体験者の責任だろうと思うからです。
今度の「イラク問題」が戦争を再発させない教訓として活かせなければ、何の為の大きな犠牲かが問われるでしょう。

4/10
戦争は終わっても

「イラク戦争」は終わったように見えますが、このまま安定するとは思えません。
アメリカ支配を無条件でイラク国民が受け入れるとは思えないし、アメリカが、どういう構図を描いているのかも見えません。この戦争のアメリカの本当の目的が見えてくるのはこれからでしょう。
バクダットの大混乱が避けられたのはせめてもの救いでした。
どれほどの人が死傷し、国が破壊されたのかを明らかにして、この犠牲を無駄にしてはなりません。
力による圧政が空しいものかを学ばねばなりませんが、なかなか改まる事は無いようです。
第二次大戦以前からの欧米支配のアジア各国を開放するという、大義名分で日本はアジアに進攻しましたが、各国は欧米支配も良くは無かったが、日本の支配は「それよりまだ酷かった」と言われました。アジア各国の独立を齎したという皮肉な「怪我の功名」のような結果を、日本は行ったと妙に正当化する意見も有ります。ただ、未だに日本はアジア諸国の納得は得られていません。
私は反論承知で言いますが「靖国神社問題」は日本の国益に反していると思います。
私は遺族ですが靖国神社とは無関係と思っています。必要も意味も感じません。
慰霊は個人で充分果たしていると思っています。
アメリカとの友好関係は、経済文化あらゆる時点で必須ですが、軍事的に全面的な支援を期待するのは疑問です。
「日本への攻撃はアメリカへの攻撃と見做す」という期待は過剰だと思います。
アメリカは、イラクに犠牲を払って攻撃しても石油などの経済見返りが有りますが、北朝鮮と戦っても何のメリットも有りません。「煩わしい国」程度にしか思わないでしょう。
日本が攻撃されても正義感だけで助けに来てくれるとは思えません。
日本は、もっとアジア諸国とこだわりの無い交流を積極的にすべきです。
その為には喉に引っ掛かった骨の「靖国」をまず除く事でしょう。いずれにせよ「遺族会」なるものは間もなく該当年代が居なくなります。それでも亡霊のように残ることがあれば、それは胡散臭い政治的なものでしょう。その為に何時までもアジア諸国との関係が修復しなければ国益に反します。
戦争の後遺症を何時までも引き摺るような愚かな事をしてはなりません。

4/15
「さくら道ウルトラマラソン」は10周年

今年は「さくら道」の二つのウルトラマラソンが10周年となります。
「さくら道国際ネイチャーラン250K」「さくら道ウルトラマラソン270K」の二つです。
この経緯は別コーナーにあります。ご覧頂ければ幸いです。
「ウルトラ270K」の第1回は知らなかったので見ていませんが、他のレースは当地周辺で毎回見送りました。
「ウルトラ」は第3回から裁判所前で簡単なエイドを設置、今年で8回となりました。
「ネイチャー」は、晴天が少ないのですが「ウルトラ」はエイド設置以来雨の日はありません。歩道上での簡単なテーブル設置なのでテントなどの設営は出来ません。雨天中止なのですが、幸い、そういう事にはありませんでした。今年は、平日(28日)なので裁判所にも気を使わなければなりません。
今回は、302人という大人数という事なので、裁判所佐藤桜チェックポイントへのランナーのトップは、AM9.15頃、最終ランナー通過は正午を過ぎるでしょう。
「ネイチャー」の通過は、今年は80人ですがAM7.30〜8.15くらいの内に通過し終わるでしょう。こちらは第1回から見送っています。第1回は20数人だったと思います。そのとき以来の連続出場は5人くらいだと思います。10年続ける事の素晴らしさには敬服します。それだけ心身共に充実された方達です。
「ウルトラ270K」は28日です。その話題は、又改めてお知らせしましょう。

4/19
さくら道国際ネイチャーラン

十九日 AM6.30 名古屋城スタートです。
一宮裁判所佐藤桜前通過はAM7.30〜8.30の間と思います。
私は10年連続で見送りとビデオ取材をします。
多加木名神ガード下と音羽公園にエイドステーションが設置されます。
詳報は「白鳥町ホームページ(ネイチャーラン)http://www.town.shirotori.gifu.jp/」にあります。
このHPにもリンクしてあります。
沿道の皆さんの声援をお願いします。

4/21
次の
「さくら道ウルトラマラソン」

「ネイチャーラン」は終わりました。いつも天候不順がちでランナーの苦労は大変です。
ゴールタイムを掲載しておきましたが完走は60人でした。
このレースは制限が強く、36時間というタイムリミットと過去の実績に伴う選抜があり、プライドの高いエリートレースと言えます。
さて、28日には「さくら道ウルトラマラソン270K]が行われます。
名古屋荒子のJRバス名古屋営業所「佐藤桜1号」スタート、金沢兼六園「佐藤桜」経由「ルネス金沢」ゴールの270Kを48時間(二昼夜)で走るレースです。
今年は302人がエントリーしています。
私は「一宮裁判所佐藤桜前」で簡単なエイドを設置、AM9.00〜12.00過ぎ、最終ランナー通過まで対応します。まだ10分の1の距離ですが、すべてのランナーに対応出来るのは、この辺りまでで大きくバラけて長〜い長〜いレースになります。
「ネイチャー」とは違い、好天が多いのですが、それだけに「暑さ」との闘いになります。
「さくら道」の二つのレースが終わると私の「さくら道」年中行事は終わります。
私はランナーではありませんが「佐藤さくら」を毎日眺める地に住んでいる縁で、コップ1杯のサポートでも出来ればと続けています。

4/26
「さくら道ウルトラマラソン270K」

28日開催されます。JRバス名古屋営業所(中川区荒子)佐藤桜1号をAM7.00スタート。
今年は10回目となります。
呼びかけ人の海宝さんがランナーとして参加します。
第1回は海宝さんと数人の人が走ったのが始めとなり、このレースが定着し、今では300人が、270K、48時間の二昼夜を走ります。
このレースは「ネイチャーラン」の一週間後に行われますが、好天が多く、かなり高温になります。
2、3、4回は特に暑く、朝から高い気温で昼頃には真夏のようになりました。
私は、その厳しいランナーの様子を各所で目撃しました。まだレース当初で、この状態を見てサポートの必要を感じ、チェックポイントでもあり、わが家の傍でもある「裁判所佐藤桜」でのサポートを始めました。
始めは、色々揃えようと幾らか用意しましたが忽ち品切れ、途中で補給の買い入れに走りました。
個人では限界があります。それからはスポーツドリンクと、お茶を充分用意して、その他については随意の善意とする事にしました。
私は地域の組織には関わっていますが、このレースは、直接には地域との関連が無いので「佐藤桜」の存在を伝える事で理解者を広げ、このサポートが続けられるようにしたいと思います。
全国のランナーが「さくら道」を走るこの素晴らしいコースがランナー以外の人にも知られるように願っています。

4/29
ウルトラマラソン七回目のエイド

エイド設置は第4回(’97)からです。第3回は自転車で稲沢赤池から木曽川までランナーの様子を見に行きました。第1回は知らず、第2回はNHKのニュースで見ました。公式報道が無いレースなので開催日の確認は主催者に確認して訊ねる事になります。
JRバス名古屋営業所(名古屋市中川区荒子)へも行って第1号桜を見てきました。
「さくら道」からは外れますが枇杷島小学校の桜も確認して来ました。
名古屋から岐阜県境までの桜は確認しましたが、木曽川の黒田交番の桜は消え、クラボウも消滅寸前です。
街並みでの存続は難しくなっていますが「佐藤桜」の木と心は全国に植え広がっています。
「さくら道」は伝説となっても心は引き継がれていきます。

「ウルトラ270K」第3,4回頃は異常な猛暑で全盲の柳川さんや、同じ境遇ので参加された翌年のランナーの人には厳しい挑戦でした。
この頃、TV局も注目し「ネイチャー」と共に色々な番組が作られ放送されました。
第4回は146人だったランナーは、参加者が増え今年は302人のエントリーとなりました。
今年は10回となり一つの転機点となるようです。白鳥町が挙って対応してきた「ネイチャーラン」は近く町村合併で八幡、大和が纏まり「郡上市」となります。運営組織の再編など課題が有るようです。
「ウルトラ270K」も運営の変更が有ると聞いています。
私も毎年、天候と対応の可否を考えながらランナーを迎え、全員の見送りを確認すると、今年も無事終了出来て良かったと満足感を感じます。
来年以降のことはまだ、わかりませんが続けられる事を期待して対応しようと思っています。
早いランナーは今日夕方にはゴールしますが明朝7.00のタイムリミット目指して多くのランナーが激走中です。エールを送ります。
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