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週日すけっち

3/1
春近し
弥生三月、北風よさらば。
風が柔らかくなりました。夜明けも早く、夕6時でも明るくなりました。
気持ちに、ゆとりが出来ます。年度末ですが来年の町内人事も何となく収まりそうです。
私の地域の役も三年を過ぎましたが来年度も継続です。三年やると、裏表、仕事の要点も分かるので臨機応変の対応が出来ます。そうでなければ続きません。
ボランティアですから必要以上に義務感にとらわれていては誰も引き受けません。
やたらと年中、張り切らない事でしょう。自分の事もやらなければ潰れます。
こういう心境になってきたのは、すでに長老になりかかっているのでしょうか。
どこかの祭りでは中老という役があるそうです。こういう役は必要です。
隠居もいい意味でのけじめです。政治の世界もそうあって欲しいものです。
マスコミもそういう人は呼ばないようにしなければいけません。

3/5
これは、おかしい?
アメリカは、国連を無視してでもイラクを攻撃しょうとしています。
どうも、フセイン追放は一つの口実で、実は石油利権の獲得(横領)が本音ではないかという臭いがしてきました。そうでなければ、これほどこだわる理由が見当たらなくなります。
世界に配置されている夥しい軍事力と装備。
これを利用して「どう使いこなそうか」というのが戦略のように思えて来ました。
その基地が齎す恩恵に浸っている人達も少なくありません。
戦争には反対でありながら、基地が無くなる事は生活基盤が失われるという矛盾に置かれた地域が思っている以上に多いようです。
トルコ、ドイツ、クエート、そして日本などです。軍備と資産の配分という「飴と鞭」から抜けられない矛盾です。
これは異質の植民地支配です。かって日本が、アジア諸国を欧米植民地から開放するという口実で、とって変わって植民地支配したのと共通します。
これがエスカレートすると思想支配にも進みかねません。
果ては民族支配、宗教支配という強引な手段になります。その縮図がイスラエルとパレスチナです。
ヒトラーが、民族統一を目指し、日本も神道をアジアに浸透させようとしました。
結果は歴史が証明しています。同じ愚を繰り返す事は許されません。
他民族、多思想の共存を図らねば世界は大混乱に陥ります。
その方向に向かわせてはなりません。
まず戦争を起こさせないように、世界のあらゆる知恵と良識を発揮して賢明な方向に向かうことを念願します。

3/10
プログラム言語
「・NET」が出て「C++」「C#」「VB」が、基本的には共通化した言語になりました。
そこで、これからは、どの言語を学習するのが良いかということになります。
「C++」は、今までと変わりません。「VB」は記述表現の方法がより「C++」に近くなりました。
新しく登場した「C#」は「Java」そっくりだと言われます。
今まで「VB」に慣れて来た人は、今までと、あまり変わらない方法で移行出来ますが、それ以上の進化は望めないとも言われます。
「C++」が「C」より容易くなったといっても難解です。その中間を行くのが「C#」と言われ、識者の言葉では「C++」−「Java」−「C#」と進むと言っています。
「Basic」「Java」は、何れは消える、本命は一つ「C言語」が共通語のみになると言います。
そこで「・NET」の内、どれを選ぼうかと考えています。「VB」の基本は変わりません。
「C」「C++」は今まで、こなせないでいます。
しばらく「VB」で様子を見るか「C#」に行くか検討中です。
いずれにしても、Web、サーバー、データベースのネットワークなど、スケールが巨大になり、アマチュアはアプリケーションを使いこなすのが主体になりプログラミングはプロの世界になって行きます。
永く試行錯誤だった「ビデオ編集」は、一応、問題は決着したので一段落して、果てしない「プログラミング」の道を、改めて基本から、ゆっくり眺めて行こうかと思っています。

3/12
再度、戦争を考える

戦争を回避出来る事を切に願っています。
戦争を実感した日本人が、僅かになってしまった昨今では戦争の体験を話しても「何時まで過去の事を言い続けるのか」と言われてきました。
今、イラクに軍事攻撃がなされようとしています。
かっての日本本土空襲の時もそうでしたが「一般市民には危害は加えません。攻撃目標は軍事施設や軍事工場です。市民の皆さんは避難して下さい」といった宣伝ビラなどが撒かれました。
そこで生活している市民が全員避難出来る訳がありません。
一部の小学生(国民学校)が僻地に疎開したり、空襲の延焼を防ぐ為、建て込んだ家屋を強制的に取り壊したりする位です。そこを絨毯爆撃で焼き尽くしたのです。
攻撃目標があれば、そこに誰が居ようが攻撃します。イスラエルが、パレスチナゲリラの幹部が居るという事で密集地を爆撃しています。イラクでも攻撃が始まれば同じように無差別、誤爆が有る事は明白です。問答無用は戦争では軍人にとっては当たり前なのです。
戦争は日本人にとっては遠くの事で関わりたくない、避けたいと思って来ました。
過去の歴史についても都合の悪いことは国益に反するとの理由で教育現場でも伝えませんでした。
戦争で大きな迷惑をかけたアジア各国が靖国問題(A級戦犯合祀)などで日本を非難しても「何を言われているのか理解出来ない」状態です。
イラクの国状はともかく、武力行使によって多くの一般市民が死傷する事は明らかで黙視出来ません。
ここまで議論が詰まって来ると「本音」が見えて来ました。
アメリカも、日本も、世界の各国も、置かれた立場と指導者の人間性が赤裸々に見えて来ました。
今まで、一般市民は政治家のリードに任せておけば何とか巧くやってくれるという「お上任せ」な所がありました。殊に日本人は横並びで、周囲の顔色を窺いながら「余計な事は言わぬが無難」と避けてきました。もう、それではいけないと思います。
アメリカ人が、すべて好戦的とは思いません。文化と娯楽でも大国です。今は夢とロマンが影を潜めています。映画も殺人とSFXを駆使した破壊と爆発した作品が続出して辟易気味です。
まだ西部劇の方がロマンとハッキリした正義がありました。
スピルバークは「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」などハッキリした反戦意見を表しています。
カンボジアの内戦を描いた「キリングフィールド」も戦争の悲劇を描き、ラストに流れた「イマジン」が印象的でしたが、9.11後は「イマジン」も「歌うことを控えろ」という偏った「愛国心」に走りました。
かっての日本の戦時と同じ愚行をアメリカはしています。
それに日本の政治家も追随しています。
アメリカは、何の資源やメリットも無い北朝鮮には関わりたくないのです。日本は北朝鮮に脅威を感じアメリカの軍事力を頼っているのでしょうが、アメリカにとっては迷惑な事でしょう。アメリカは自国のプラスにならない事には手は貸さないでしょう。韓国が太陽政策を取ろうとしているのを日本は協力すべきで敵視してはいけないと思います。
拉致家族が話し合いを北朝鮮ではなくアメリカに訴えたのは逆でした。当分の間、拉致問題は解決しないでしょう。
この問題についての私の考えは初めから一貫して変わっていません。
軍事、経済など、あらゆる問題が行き詰っています。墓穴を掘るような行動は速やかに止めて平和で安定した世のなかになって欲しいと言うのが、昭和、平成と混乱と繁栄の裏表を生きて来た私の願いです。
世界の良識が無謀な軍事行動を抑止してくれる事を、毎日思い続けています。

3/18
戦争で失われる大きな損失

イラク攻撃が避けられないようです。
戦力的には対象にならない圧倒的な米英の戦力です。戦う兵士の被害は当然の使命として覚悟の上でしょうが一般市民の姿は太平洋戦争を経験した私には耐えられません。
勝敗が決したとしても、その後をどう収拾するのか考えているのでしょうか。ただ相手を倒せば目的が終了と言うような無責任は許されません。
戦争の悲惨な姿を実感していない世代が殆どになった今、戦争の実態の恐ろしさに不感症になってしまったのでしょうか。
人は体験しなければ痛みが分からないといういう想像力の働かない鈍さのまま現代社会に生きている事にこそ恐ろしさを感じます。
だから、ハイテク殺戮武器を開発し、その性能を試してみたいという欲望を満たす標的を探すことになります。
それを最初に経験させられたのは日本のヒロシマでした。確かに兵器開発が、その応用で、高度技術の民間利用に大きく貢献した事は認めます。インターネットもその一つです。
しかし、そうだからといって武器開発を止めどなくやれば良いと言うことにはなりません。
戦争が始まれば多くの人が犠牲になります。職業軍人は別にしても、兵士は志願、或いは召集で手当てを貰って使命を果たすため自らが殺される前に相手の兵隊を殺さなければなりません。それが戦争です。
兵士には自らの今までの人生で培われた才能、学力、経験、そして、その周囲には家族や関係のある多くの人達がいます。その貴重な人生が失われます。
破壊と焼失により、多くの文化財や伝統が失われ膨大な取り返しのつかない損失が発生し世界的にも多くの文化資産が失われます。
それらを考えれば簡単に戦争など始めてはいけないのです。
権力を持った人間は大きな視野で物事を判断すべきですが、どうもそこまで考えて行動しているようには見えません。

3/21
神様?

今度の戦争を起こした説明の終わりを「神のご加護を・・」で締め括る姿を見て、変に感じるのは私だけでしょうか。
自分で結論が付けられなくなると「神、仏」に結び付けるのは、今も昔も同じでしょうか。
新興宗教の多くも全く同じです。宗教は人間が作ったものであり、解釈は自分の都合のように、いくらでも変わります。
宗教が、世界に唯一つでは無い以上、それぞれの教祖、開祖の教えに基づいて組織を作っています。
それはそれで良いのですが、戦争や政治に宗教を都合良く利用するのはいけないと思います。
自分の信念に自信が無いと「神の・・」という逃げ道にすり替えるのは、後ろめたさがあるのでしょう。
「神の加護」の名のもとに戦争を起こす事は、どう考えても理解出来ません。
「神風」という美名のもとに、多くの未来ある若者が命を失った事を、今一度よく思い返しましょう。

3/23
気持ちが落ち着かない

理由は言うまでも無く「イラク」です。
すでに、多くの人(多くの兵士と市民、そして攻撃をしている米英の兵士も)が亡くなっています。
これから、ますます多くの人達が死傷する事は明らかです。
攻撃に賛同した日本の国内では反戦デモはありますがパワーは低い感じです。
他所事のような感覚があるのでしょう。若い人の方がストレートな感覚で率直です。私の世代以上の人は実感として身に沁みていますから心が休まりません。
今、現実に社会を動かしている人達は、かなり鈍感に思えます。毎日、何となく議論はされていますが逃げ道探しの空論で、すり替えで何とか身をかわそうとした理論を探しているようです。
春も間近で、色々なイベントが始まりますが、平和有っての楽しさであって、戦火の中にある人達の姿を脳裏に置きながら楽しむ気持ちは起きません。
私の身辺でも「お祭り」や「花見」そして「さくら道マラソン」の年中行事がありますが、平和だからこそ安心して楽しく参加出来ます。
太平洋戦争中は、あらゆるスポーツや祭りなどの行事が中止になり戦争協力一色になりました。
その後遺症は永く残り、未だ癒されない人が実在します。
始まってしまった戦争の一刻も早い終結と、修復の手段を図って、悲しみが広がらない事を毎日、思い続けています。

3/24
戦争が無かったら
いつものように四月になります。
桜が満開になり「花見」の陽気な歓声が上がり宴が盛り上がります。
各地では「春祭り」などイベントが続きます。
格段に寒かった、この冬が終わり、楽しい春を謳歌出来る筈でした。
「バクダット」の市民の運命を思うと、そんな気分になれません。
そんな気分になってはいけないとブレーキが掛かっています。
戦争が無い「平和」な毎日が、いかに有難い事か、良く考え直す機会です。
結果でどうであれ、争いの後には大きな傷が残ります。
争いは永遠に無くならないと思わないで、諦めず妥協の道を探す努力をしましょう。
過去の歴史の教訓を無駄にしないよう、知恵を振り絞れば悲しみは避けられると思います。
それが願いです。

3/25
戦争を終わらせるには
太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が起き、その惨状は誰もが知っています。
日本本土も、その覚悟で、女子も竹槍を持ち連合軍を太平洋岸で迎え撃ち一億玉砕を決めていました。
「ヒロシマ」「ナガサキ」への「地域抹殺」と、天皇の「玉音放送」で無条件降伏となりました。
「終戦」という曖昧な表現ですり替えた表現をしますが明らかに「敗戦」です。
今、「バクダット」市内への攻撃が迫っています。
大量殺戮兵器で「地域抹殺」などの手段は許される筈がありません。
どうすれば戦争を止める事が出来るでしょう。戦後処理などと責任回避も甚だしい発言が出ています。
「イラクの市民を、どう救うか」が全く語られません。
フランスのシラク大統領がローマ法王に書簡を送ったり、マレーシアのマハティール首相が、停戦の努力もしないで戦後処理を口にする、国連アナン事務総長の能力不足を突き、辞任を迫るなどの動きはあります。
あらゆる方法を考え悲劇目前の「バクダット侵攻」を止める知恵が世界の良識から生まれる事を期待します。
私にとって、S20.3.19は「空襲被災の日」、9.4は「父戦死の日」です。
いずれもアメリカの攻撃によるものですが、私にはアメリカに恨みの気持ちはありません。
戦争についての知識は、当時九才の私は何もわからず周囲の不安な雰囲気を感じるだけでした。
個人的な悲しみと苦しみだけが身に沁み付きました。
戦場の実態や、戦争に至るまでの日本の過去の歴史を知ったのは、父の死の実態を知った、戦後四十三年も過ぎた昭和六十三年(昭和最後の年)以後でした。
それまでの、与えられた知識だけでは不充分であったという事も知りました。
無知は愚かに通じます。
戦後、夢を与えてくれたのはアメリカでした。フランスの「ヌーベルバーグ」やイタリアの「リアリズム映画」の暗さは嫌で、明るい「アメリカのミュージカル」や「ディズニーのアニメ」が希望を与えてくれました。
今も、コンピューターに代表されるやハイテク機器の数々はアメリカあっての物です。
平和利用に応用すれば素晴らしい世界が広がります。
今のアメリカは、あまり能力の無い大統領が、周辺の戦争エリートに操られいる傀儡に過ぎないと見えてきました。大統領選挙そのものから不明瞭なものでした。
アカデミー賞受賞の席でマイケルムーア監督がそれを突きました。
そう思っているアメリカに人も居る事がわかりました。
戦争賛成が70%という建国以来の攻撃的なアメリカの国民性を知る事も出来ました。
それぞれの国の国民性を理解する事は必要です。それを承知して付き合うべきです。
ただ、この戦争の巨大な戦費の決済が、どういう形で誰に「プラス」し「マイナス」は誰が負担するのか明らかにしてすべきです。そうでなければ何故の戦争か理解出来ません。
日本人の曖昧性や主体性の無さも世界に知られました。日本人は限られた政治家や政党に任せる事はしないで個人個人が自分の考えをしっかり持つようにしないと世界から軽蔑されます。
この機会に、日本人の立場や考えを、それぞれが持つようにしなければなりません。
「バクダット」を救い、アラビアンナイトの夢の世界にしてくれる「シンドバット」が現れてくれないかと期待していますが虚しい願いでしょうか。
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