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 週日すけっち 
10/3

戦争は終わっていなかった

北朝鮮による「日本人拉致」が大きな問題になっています。
25年間、何の手段もなされれず放置された状態でした。
「政府は何をしていたのか」と糾弾されても何も反論出来ません。
今は「拉致」の事だけがクローズアップされて北朝鮮を非難する事に報道は終始しています。
私の年齢(少年時戦争体験者)ですと、戦中、戦後を通じ朝鮮の人達への日本人の態度が、どういう扱いだったかを知っています。
戦中は中国人(支那人と言っていた。石原東京都知事が言う事が今でもある)の事も(シナチャンコロ人)と言っていました。
当時の日本は「大東亜共栄圏」を構築し、欧米の植民地であったアジア諸国を開放するのだと言い、その地域を囲んだ太平洋地域を表した地図が教育現場や報道機関(マスコミ)でも強調されました。
私達小国民も素晴らしい事なのだと思っていました。ところが、それは日本による植民地化だったのです。その地図は、だんだん赤く塗られて行きました。
言葉や宗教までも日本語、神道への変更を強制しました。
朝鮮からは、日本人が軍事強化徴用による労働力不足の為、炭鉱労働などに朝鮮人を強制連行投入しました。高等教育を受けた人は軍部に徴用、民族差別や孤独の中、特攻機にも搭乗、BC級戦犯で処刑され亡くなった人もかなりの人数だったと聞いています。「従軍慰安婦」の問題もあります。
「拉致」と「過去の問題」は別だという意見もありますが、それは、こちらの一方的な言い分であって、先方はそれでは承知しないでしょう。
「靖国」がそうです。今のままでは何時までも解決しないでしょう
戦後処理がウヤムヤのまま処理されていないのです。
戦争責任者が、戦後間もなく政界復活するなど曖昧な日本の感覚がおかしいのだと思います。
そのままズルズルと引き摺り、特定団体がそれをバックアップしている構図があります。
「お金」を配れば後援者が集まるという手段が見えます。
遺族会会長が「私の母に東京見物をしてもらおうと(どこへ行きたい)と聞いたら(靖国神社)と言われた。それほど靖国は日本人の心なんです」と言ったとか。
私に言わせれば、それほど戦中の人は洗脳され尽くしているという事なんです。
私も戦後しばらく迄、そう思っていましたから。
朝鮮は太平洋戦争で日本に蹂躙されました。日本の敗戦で開放されたのも束の間、朝鮮動乱、南北分断、離散家族、強制連行、戦争は終わりませんでした。
韓国でも暗殺、汚職など泥まみれの中から立ち上がって来ました。まだ日本の高齢者には「差別意識」が厳然と残っています。
北朝鮮は最近では「ソ連崩壊」中国の「開放政策」などで孤立化。
資源も無く気候不順で食料不足、気の毒な状態です。
「拉致」は大きな問題ではありますが、朝鮮征伐に遡る過去の歴史や、朝鮮国民を救う為にも南風を送る事は出来ないものかと思います。
「言う事を聞かない悪餓鬼は容赦なく叩きのめす」という手段は決して良い方法ではありません。
恨みを残し、何時かは報復を受けます。それが子、孫、未来まで続くとしたらどうなりますか。
イスラエル、パレスチナのような問題は、もう作ってはいけません。
さすがに、アメリカ、イギリスでは国民が大規模な反戦デモを起こしました。
日本も傍観していてはいけません。二度と戦争は起こさないと誓った国です。
目先に囚われないで大局的に考えなければなりません。
戦争で、わが人生に大きな痛手を受けながらも過去を知る者としての発言です。

10/7
歩く歩く

この十日ほど、よく歩きました。

九月二十七日 「尾上松緑襲名お練り」(名古屋市、大須、御園)
十月  二日  「大杉小学校運動会」 (名古屋市北区)
十月  三日  「向山小学校運動会」 (一宮市)
十月  五日  「若松幼稚園運動会  (名古屋市、名城公園)
      夜   「向山町民運動会アトラクションリハーサル)
十月  六日  「向山町民運動会」  (一宮市)

この頃は、歩く事で体調のリズムを調整しています。
普段はコンピュータの専門書を読んで理解する(これが遅々として進まない)為の疲れや、運動不足など、生活のリズムがおかしくなりがちです。
ただでさえ、老化は進んでいるでしょうから、消化不良や機能低下が身体に表れます。
身体は、すぐ、こわばります。座っていて立ち上がる時など、腰が、すぐに伸びません。
こわばっている時、姿勢を急に変えるとギクッとなりそうです。
チョッとした傾斜にも、よろめきそうになります。「アレッ」と思う事があり苦笑します。
とにかく身体を柔軟にするように心がける事が必要です。
鍛える年齢ではないので身体を柔らかくするよう意識しています。
ジッとしているより、歩いているほうが身体は楽です。自転車は上半身を使わないし、足もペダルを踏む程度では大した運動にはなりません。
冬などは風を切るので身体が冷え、自転車から降りる時、足腰が突っ張る事があるので、良いとは思いません。
歩くテンポは心拍(60)とも一致します。何よりも、周囲に余計な注意を払わなくても済むので気楽です。
家並みや風景も、ゆっくり眺められるし、気が向けばどんな裏道でも通れます。
人とのアポイントも容易です。
あれこれで、もっぱら歩きます。三時間位は知らない間に歩きます。足だけが疲れてくるので、その辺りが限界かなと思います。
行事は参加できなければ、見物だけはつまらないし、参加しているほうが疲れないものです。
運動会はもっぱら家族の為のビデオ撮影です。ビデオ撮影は歩かなければ良いシーンは撮れませんから歩き回ります。
ピーカンの下、冬に備えて充分「虫干し」をしておこうと、赤鬼のように真っ赤になって、気持ちの良い汗をかきながら気持ちよく歩いた旬間でした。

10/10
一幕席

東京歌舞伎座には一幕席というのがあるそうです。
客席最上階で、切符を買って一般の人達とは、別の入り口から入り、階段をヤッコラヤッコラ上がる(しかないので)と一般席とは、往来出来ない隔離された席があるんだそうです。
一幕だけしか見れません。他の演目を見たければ、又入り直すのです。
料金は数千円の下の方で、気楽に入れます。
但し、かなり舞台が遠いので望遠が必要です。ここはマニアか、ポケットマネーが乏しく、どうしても見たい人や、学生に人気があるようです。ここに入り浸って評論家になった人もいます。
歌舞伎の独特の雰囲気に浸るには良い場所でしょう。残念ながら名古屋には、こういう席はありません。
名古屋では、学生割引でも三等席で四千円です。充分堪能できますが、一般は六千五百円が最低です。
因みに一等席は二万円です。
正直言って、休憩を含めて四時間の観劇は疲れます。本来の芝居見物は、上等な着物で、おめかしし、役者特製弁当を戴き、役者のグッズを買い、お土産を買ってゴージャスな気分を味わうのですが、これをやったら二人連れなら五万円くらい要ります。
大人数の、人間国宝を含む、役者衆や地方(演奏者)舞台装置を考えると、興行収益はどうなのかと余計な心配をします。
名古屋公演は、総て、スタッフはホテル宿泊と思われますから、東京のように自宅出勤ではないというハンデイがあります。安くはならないでしょうね。
三等席は、結構、学生(殊に女性)で埋まります。幕間は、簡単なスナックかアイスクリームなどで過ごし、階段などに屯して時をこなしています。
あまり空席は無いので、一幕席が出来る見込みは薄いかもしれません。

10/15
ノーベル賞

二人の日本人が受賞。小柴さんの「ニュートリノ」は隣県(岐阜県)なので、大分以前から様子は聞いていました。神岡町には親類が居て、二十代独身の頃、乗鞍や上高地へ行くのに平湯の保養所を利用させて貰いました。亜鉛の鉱山で見学もさせて貰いましたが今は閉止したのでしょうか。バッテリーのリサイクルをやっていると聞きました。
廃坑跡を利用して「スーパーカミオカンデ」なるもが出来ました。
設備は光センサー研究では並ぶものが居ない「浜松フォトにクス」が社長英断、赤字承知で大量の光センサー装置を作ったということです。
「ニュートリノ」の事はよくわかりません。わかりやすい研究での受賞は無いものかと思っていたら、田中さんが化学賞を受賞。蛋白質の解析装置だそうで医療機器の「島津製作所」の研究員という若い民間の人という日本では前例の無い受賞経歴とか。
学歴、年功序列で融通の聞かない日本での受賞というのが痛快です。
私は「青色ダイオード」を発明した中村さんが受賞して欲しかった。
これほど世界的に分かりやすい発明はありません。今や当たり前のように使われている液晶の発色を画期的にアップさせた功績は計り知れません。
候補には挙がっていたそうですから、何れは受賞されるかもしれません。期待しています。
アメリカの大学へ教授として行ってしまわれたのは残念です。
会社での特許は個人の権利は法律上は認められないという判決がありましたが、20億円の報奨請求は別の解釈がなされるとか。社内の研究に対しては個人の権利とはならないという企業寄りに偏った制度は如何にも不公平です。
「味の素」でも研究の成果に対する報償請求が起こされました。当然でしょう。
対策を考えないと、ドンドン優勝な頭脳は海外へ流出してしまいます。残っている社員は上意下達の無力な社員ばかりになってしまいます。日本は世界から落ちこぼれて相手にされなくなってしまいます。
研究者が大きな成果を上げているのに、政治と経済はガタガタ。
計測器ではトップメーカーの「横河電気」が、国内十五工場閉鎖1000人の配置転換といいます。
海外に生産移転をしてコスト削減を計る為とか・。思っている以上に状況は深刻です。
政治の世界に真剣さが感じられません。苦労知らずの「お坊ちゃま政治家」では修羅場は、くぐれないのではと思います。
今、アメリカ政府は、戦争などの手段で挑発的です。人相の悪い怖い顔ばかり。
力ずくで押さえ込もうとすれば反発が激しくなり、ますます不安定な状況になります。
日本政府は破綻状況なのに緊迫感が感じられません。誰を頼りにしたら良いのでしょうか。
誰も頼りにならなければ自己努力しなければなりません。
今度のノーベル賞受賞者のように、ドップリ首まで漬かるような集中力で、物事に取り付く気力が必要でしょう。

10/18
パソコン、これからまだ

マザーボードを換えたら、スッカリ調子は良くなりました。
調子が良いと何も、いじらなくてもいいので気楽です。前のボードは初めからおかしかった。
初期不良だったのかもしれませんが、初めて組んだ自作だし、何より英文マニュアルというのが困りました。
パラレル機器が認識されなくなったり、HD二つの内一つが認識したりしなかったり。
HD不良かと8月の保障期間切れ前に修理に出そうと思っていましたが、それも好調になり問題は無くなりました。
WinXPのバージョンアップ版が手元にありますが、まだインストールしてありません。
CPUとHDは、交換、又は増設予定があるのでまだ考慮中です。周辺機器の交換の数が多くなると本体変更と見なされるので注意が必要です。
XPも半年経って安定してきただろうし、マイクロソフトの.NETはXPか2000でなければ対応しません。
ハードは値下がりで強力なセットが作れます。
ハードに関しては目視すればわかります。然し、ソフトの理解は難儀です。
イメージで組み立てる世界ですから状況はあまり変わっていません。
解説書も多く出ていますが、反復作業が必要な事情は変わっていません。
JavaをやっていますがMsDosでの作業は時代が逆戻りしたようです。
それでも、だいぶ慣れてきてボツボツやっています。アプリもソフトも理解なくして前進はありません。
Javaがどれほど奥が深いのか、まだ分かりませんがAPIを使う事には変わりはなく、GUIはそれなりに手段が必要です。Webが重点のようだし出版物も多くありません。
C++が本筋ということに変わりはありません。何とか消化出来ないかと思いますが1000ページに亙る解説書を理解する方法は無いものか。「王道は無い」と前書きにありますが・・。
一応、Javaをやってみるのも脇から切り込む手段としては良いかも知れません。
分かりやすい本というのは本当に少ないです。最近はCD付きより出版社のHPからダウンロード対応が普及していますから、それらを利用する事ができます。

10/22
大学院の勉強

先日、知人の勧誘で社会人に公開されている大学院の、インターネットを含む通信制教育の総合社会情報研究科名古屋シンポジュウムに生徒ではありませんが出席しました。
国際情報化専攻、五十嵐教授の基調講演「企業に求められる優れた国際感覚(トヨタ自動車の世界戦略を中心に)」に続いて、研究生三名による研究報告とシンポジュウムが行われました。
シンポジュウムの内容は別にして、五十嵐教授の講演の締めくくりに、経済学についての「本音」を言われたのが今も耳に残っています。
こういう機会に、あまり接する事が無い私には新たなカルチャー経験でした。
それは「経済学」など、情報などを集積して社会情勢の未来予測などをする研究が、本当に社会に必要な「学問」であって欲しいと言う事でした。
ノーベル賞の経済学部門は、後から追加された部門です。デリバリーシステムの考察での受賞がありました。エンロンの経理不正による破綻はその間違った応用によるものだと言われています。
具体的な成果を挙げることが難しい「学問」に関わる人にはそれぞれ試行錯誤が有るのだと言う事がわかります。
技術系の「学問」は具体的に物を作る事に繋がって行き、価値基準が一応出来ます。
それに対し文科系の「学問」は、生産される物のデータ(経理も含む)管理や、将来予測、資産管理などをすることを仕事とする事でしょうか。曖昧な表現ですみませんが。
「商学部」は会計処理など専門知識を必要としますが「文学部」など、ますます多くなる広範囲な文科系に学ぶ人達は情報や教養や人間関係を構築する為などという漠然とした四年間を、卒業してから、どう社会で活用出来るかが問題です。
有名校卒の肩書きが有れば、それなりの「企業」に終身雇用されて来ましたが、これからは、その保証は有りません。
目的意識をハッキリ持って、具体的な技術や知識を、絶えず身に付けて行かないと取り残されてしまいます。
自分が、社会情勢の変化に対応して「社会にとって必要な人間」になる事を常に意識して勉強する事が必要だということを強調、示唆された五十嵐教授の纏めの言葉でした。

10/25
舞踊の会

しばらく観ていなかった「舞踊の会」を観てきました。
市のレクリエーション大会の一つです。
午前十時三十分開演、終演までは観ませんでしたが午後六時は過ぎたろうと思います。
内容は市内の学習センターで舞踊を学ぶ人達を中心に、西川流名取、太鼓、カラオケ、民謡が友情出演しました。
舞踊は古典芸能(大和楽、常磐津、長唄、義太夫、清元、端唄)と、歌謡曲を取り混ぜた演目で構成されました。時間としては半々くらいでしょうか。
とても全部は見れないし、私は古典にしか関心が無いので午前午後、出直して十曲程観て来ました。
歌謡曲の方は観ていませんが、古典の出演者は、ある程度の稽古が進んでいるようでモタモタという様子は見られませんでした。
午前は衣装を付け舞台化粧で複数の舞台でしたが、午後は鬘も付け単独出演でした。
複数のほうが気楽と思われるかもしれませんが、それなりにレベルが並んでいないとチグハグになります。
ある程度、実力があれば一人の方がやりやすい事もあります。
但し、実力と自信は別で、稽古場上手でも舞台では、あがってしまって全く駄目という人がいます。
多少下手でも堂々とやってしまうと上手そうに見えるというのが芸の怖さです。
姿も良いと、それだけでも得です。それと女性はそれなりに得です。
男は、余程稽古をしても半端になりますから相当やり込まないと人前には出られません。
師匠も男弟子は教える曲が限られ、扱いが難しいと言われますが、モノになれば貴重(珍しい)な存在にはなります。
男は素踊り(紋付袴か着流し)ということになります。それだけに、かなりの表現力が問われます。
所謂、玄人向き(現代では難解な曲の理解が必要)な芸です。
歌舞伎舞踊などは衣装を付ける事もありますが、そこまでやる人は特別です。
民謡(黒田節など)、歌謡曲は、又、別な表現になります。
男で女形をやる人も特別な人ですが、女で男への変身願望な人はかなりいます。
殊に中年以上に・・。もともと男っぽい人ですが。
歌謡舞踊が、かなり普及しています。分かりやすい事とカラオケ普及が人気の理由でしょう。
「古典」は何十年来決まった所作を如何に洗練された個性とテクニックで表現出来るかにかかっています。
見栄えを好むか、奥深い内容を吟味するかは、観る人それぞれです。
趣味の世界は多彩です。あれもこれもでなく自分に合った事を気長に続ける事でしょう。
それにしても、高齢な女性が、中年の年増はともかく、長振袖などで、若い娘(お染など)を踊る気持ちには「よくまあ」と感心させられます。
男は年を取ると無気力でショボショボになってしまいますが女性はそうではないようです。
カルチャーセンターは殆どが女性です。男は、どこで何をやっているのでしょう。

10/27
消え行くもの

名古屋市東区の街並み保存地区「文化の道」の、大正、昭和初期に建てられた建物が次々消えていきます。
「文化の道ウオークラリー」で、三年前、私が訪ねた時から、既に「双葉御殿(川上貞奴邸)」と加藤邸は消えました。
「双葉御殿」は解体、場所を換え再建の日を待っています。加藤邸はマンション建設中という事です。二十九日「撞木館(井元邸)」はエンデイングの「宴」を以って閉鎖されます。
おそらくマンションなど高層現代住宅になるのではと思います。
昭和初期建築のものでは、「国鉄名古屋駅」(昭和十二年竣工)が姿を消し、JRタワーズとなりました。
六十年余の命でした。戦後間もなく建てられた名古屋駅前の豊田、毎日ビルは間もなく壊され、高さ250メートルの高層ビル化される構想が伝えられました。
「国鉄名古屋駅」私個人の忘れ難い思い入れがあります。
然し、今、多くの現代人に受け容れられ画期的に様相を変えた姿を見てウエットなノスタルジーは今や私には有りません。
過去は過去として貴重な我が人生の「想い出の記録」として次世代に伝えます。
「文化の道」の数々の建物も永久保存は不可能であり、個人の好意にも限界があります。
出来る限りの資料保存を図り、違った形での文化の薫りが漂う地域として再生して欲しいと思います。


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