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週日すけっち
8/2
時代は変わっても

大正、昭和初期の建物の事を考えていて気が付きました。
当時、建てられた建築物には、それぞれ意識的に個性的なデザインを競った傾向が見られます。
デパートでは、屋上にドームを造ったり、階段やロビーなどにも化石が見付かる大理石などが使われ豪華さを強調し庶民の夢を膨らませました。今でも老舗百貨店本店などに、それが見られます。
機能と能率を第一にする箱型近代建築にはそういった夢が有りません。
昭和初期に建てられた、官庁、銀行、保険会社などは、外観にはギリシャ建築のような石の柱や彫刻などを施し、内部も大理石のカウンター、見上げるような高い天井空間など、財力と権威の象徴を誇示しました。
ただ、それらの建物は汎用性を全く考えず、その目的を限定したデザインですから、その用途が無くなると転用出来ません。
それで土地利用の為、アッサリと壊されてしまいました。同時に、その思い出やロマンも儚く消えました。一等地に象徴的に建てられた金融機関は却って街の活性化を妨げる事もありました。
金銭感覚が大きく変わった現代ではメインストリートにそういうものがある事が街の活性化を妨げます。
官庁、金融機関は機能を集結してセンター化すれば人的コストも削減され、新しいシステムの為の養成も出来るでしょう。
コネクションや、談合の通用しない情報システムを構築すれば無駄なコストは削減されます。
国民性を持ち出して議論する時代ではないと思います。
それには政治の世代交代を急がなければなりません。国民も「お上意識」を改めなければいけません。
役所が当てにならないと「議員」に頼めば「ギブアンドティク」と怪しげな事になります。
ボランティアにも名ばかりの虚名団体が、かなりあります。
肩書きばかりで無能な人物より、名は無くとも、無報酬で献身的な活動をしている個人を尊重すべきです。
えてして、そういう人に仕事を押し付けておいて、病気などで退かれると「役に立たなくなった」と無視されてしまうこともあります。
煽てられても「分相応」にしておかないと、何の為の「ボランティア精神」なのかという事になります。
食べ物と同じで「腹八分」が良いのでしょう。
自己犠牲が自己満足という錯覚にならないように要注意。

8/6
伝える

ヒロシマに原爆が落とされた日。
五十七年前の八時十五分、上空を三度旋回した後、投下。一瞬にしてヒロシマは地獄と化しました。
戦争の悲惨な影響は、その時だけで終わってはいません。永い時を経て今も後遺症は続きます。
戦争の実体験をした人は減少し、伝える手段も難しくなってきました。
戦争に限らず苦しい思いをした人は、その体験を伝えるべきです。
伝えるのです。伝えられた人が、それを教えとして受け取るかどうかが重要です。
それには、実話、実写の写真、画像などがあります。
劇映画やドラマは一つの手法ではありますが虚像ですから真実とは言えません。
実画像にも意識的に加工された物もありますから鵜呑みにしてはいけません。
真実を見抜く判断力が問われます。
体験をしなければ判らないという言い訳は通用しません。
原爆や戦争体験をしなければ理解出来ないなどと言うような、愚かな事は出来る訳が無いからです。
戦争体験者も、体験の無い人達に「話しても通じないから無駄だ」と諦めてはいけないと思います。
「教える」のではなく、まず「伝える」事が必要なのだという事を感じます。

8/8
この時期だけ

八月十五日が近ずくと「戦争」の話題が多くなります。
この時期だけ騒げば良いというものではありません。毎日、戦争状態が何処かで起こっています。
私は自分が経験した事は、話し、又、書いてきました。事実は何も変わっていません。
戦争論をやたらと闘わす人がいますが、実感の伴わない議論は言い訳、言い逃れにしか聞こえません。
そういう人は、まず体験者から直接聞くべきでしょう。
戦争の記録は政治と戦場の記録だけでは無いのです。
国民の生活、培われてきた文化、芸能、伝統行事など多くの資産も失われました。
国全体が大きく破壊されたのです。戦闘記録や戦争犯罪、戦争責任などの議論に偏らず、国全体の問題として戦争を語って欲しいのです。
どれほど多くの有形無形の人を含めた文化遺産が失われた事か。
道徳、倫理感までもが歪められました。
悪者を見付けては周囲の迷惑も考えず叩きのめすのが正義だと、西部劇のような勘違いしている国は大きな報復を受けるでしょう。
お金と武力さえあれば世界の強国だという驕りが多くの悲劇を齎しています。
紛争の仲介能力も無く、テロに怯えながら虚勢を張っている姿は既に敗者だと思います。
例え批判を受けてもハッキリ自分の意見を堂々と述べる人が増えて欲しいと思います。
原爆の日、ヒロシマの市長と子供代表のハッキリした意思表明は心地良く聞きました。
国を動かす人も、そうであってほしいと思います。

8/13
良心

何処へいってしまったんだろう。言葉が続かない。

8/19
八月十五日は

今年の、八月十五日は、戦後五十七年ですが、本当に意味を感じない日でした。
二度と戦争が有ってはならないという思いを、折に触れては伝えて来ましたが、争いは無くならないし、積極的に平和を願おうという気持は、なかなか経験の無い世代に伝えられません。
事実を認めず、何とか正当化しようという軽薄な議論が素直に戦争を知ろうという子供達の質問を抑える事もあります。
靖国、国立慰霊施設の問題は、もう、うんざりです。遺族である私は、どちらも要りません。
収集された身元不明の遺骨を収める、然るべく施設は必要ですが、それ以外は不要というのが私の意見です。
現在の環境は、国の為に犠牲になった三百五十万の戦争犠牲者を冒涜するものです。
戦死した父は、私達親族がキチンと供養をしているので国に余計な事をして貰わなくても結構と思っています。
毎年、礼装の国会議員の靖国参拝の姿に不愉快な思いをして来ましたが、今年も、相変わらずの変わらなさに馬鹿らしくて苦笑しました。わざわざ、この日にゾロゾロ行く事はないと思います。
こんな事に、いつまでも関わっているほど日本の現状は安泰ではありません。
経済は破綻、治安は乱れています。
小さな議論にとらわれず平和な世界を築く方法を、国の指導者は、ハッキリ示して欲しいと切望します。

8/20
たかが「盆踊り」されど「盆踊り」

民謡が減ってダンス調が多くなりました。
高齢者までが面白がって踊りますが、ハアハア言っています。
ストレス解消には良いかもしれませんが、その時だけでしょう。
却って中毒症状になって、何時も、そうしていないと面白くないという事になっては困ります。
カラオケブームがそうです(した!かな)。
盆踊りとか、祭りというのは、待ちに待って、年に一度、充電たっぷりのパワーを発散させるものです。
近頃のように、のべつ馬鹿騒ぎをしていては充実感は味わえません。
努力と発散、そして快い余韻を残して次の機会に備えるのが本来です。
が、最近は一年ポッキリの新曲とか単純で意味の無い振り付けの曲が出るようになりました。
世代を超えて受け継がれる「盆踊り」であって欲しいものです。
永く続いている盆踊りでは、それが世代交流に無くてはならない繋がりになっています。
そういう声が出てきました。
当地には近くに「郡上踊り」という全国に知られた「盆踊り」があります。
「八幡」が有名ですが、その奥「白鳥」にも内容が共通した踊りがあります。
ご当地に「盆踊り曲」が無い地区は、こういう曲をキチンと練習して楽しまれたら良いのではと思います。
昭和の始めに「野口雨情」「中山晋平」の、お二人が当時に合った「新民謡」をと全国を巡り四百曲近くを作られました。当地にも「一宮ハッチャエ節」と「イットショ節」というのがあります。
「炭坑節」「東京音頭」の作者は知りませんが、昭和初期に作られたものでしょう。
これは、これで全国に定着しています。
唯、最近の「盆踊り」を見ると「踊り」と「唄(生)」が、かなり、いい加減になっています。
カルチャーブームに乗って、遊び半分で始めた人や、月謝さえ貰えば良いという、軽い気持の指導者がレベルを下げた事は確かです。お金を出せば、貰える「名取」。
現地視察もしないで教える踊り、テンポや音程が外れても平気な三味線やお囃子、唄い手。
殊に「盆踊り」では、踊りのテンポを考えないで我流で唄われたのでは困ります。
「盆踊り」で披露するのなら「踊り」の稽古もして貰わなくてはいけません。
「踊り」も手順を覚えたら、より良く綺麗に踊るようにレベルアップしましょう。
たかが「盆踊り」されど「盆踊り」まだまだ奥があります。

8/22
侮れない落雷被害

八月十五日、昼過ぎ、空が怪しくなり雷が鳴り始める。
ここ数年、腹に響くような雷は経験していませんでした。
以前は、昼間から夕方にかけて、よく雷が起きました。
環境の変化か、にわか雨が降る事が少なくなりました。
それで油断もしていたし、電気製品が被害を受けた事も無かったので、いつもは抜くパソコンの電源も抜かずにいたのですが、今回は、かなり近くと思われる所に強烈な落雷があり停電しました。
暫く待てば復旧するだろうと待っていましたが一時間経っても電気が来ません。
冷蔵庫の中が心配になって電力会社にTELした所「現在、停電はしていません。ブレーカーを全部ONにして下さい」というアドバイス。
ブレーカーはONになっていましたが、普段は気にもしない「漏電遮断ブレーカー」が「切」になっていました。これが作動するとは思いませんでした。それをONにして電気は復旧。
凄い落雷だったので、気になったパソコン電源ON、異常なし。
ではインターネットをとブラウザクリック「プロキシの設定を検出しています」というコメントの後、「プロバイダーに接続できません」というコメント。
色々設定をやり直したりしても駄目。
我が家は、CATVインターネットなのでケーブル局へTELした所、モデムのランプが一つ消えていて破損している事が判明。落雷被害が、かなり各所で発生したようで、二日待たされてモデム交換、レンタルなので金銭被害は、この時は無し。外線ケーブルまで壊れた所も有ったとか。
「後の不調はお宅の対応ですから」と引き揚げて行きました。
さて、我が家はパソコン二台です。モデムが繋がっている、元パソコン、本体は無事でしたが、LANカードが反応しない。
もう一台のパソコンのLANカードはOKですが、分岐していたHUBが反応無し。
HUBとLANカードが壊れていました。
これで終わりかと思っていたら、2台目のパソコンのプロバイダーへのダイヤルアップモデムが異常。調べると電話ケーブル端子が黒くなって通電不能。ケーブルを換えてもモデムは動かず。
モデムが壊れていました。
一応、損害はこれだけですが、ケーブルモデムが自前であったら、これも交換でした。
パソコン本体が無事だったのは何よりでしたが、落雷ガードを付けるか、早く電源を抜くかが必要です。落雷ガードは安いものですから付けましょう。
HP大容量アップ用にダイヤルアッププロバイダーを利用していますが、電話ケーブルからモデムが壊れるとは予想できませんでした。電話は異常なかったんですがパソコン機器は弱いんです。これ用のガードも有るようです。
ADSLモデムの雷強度はどうなんでしょうか。
思わぬ出費でした。これに懲りて、これから対策は怠り無くしましょう。

8/27
果てしない道

強力ではありませんが、ハードウェアも一応安定しているので、ホームページも取り敢えずは、この状態で行こうと思います。CPUも周辺機器も低コストで大幅機能アップの時代ですが、自分の能力に、それほどの機能が必要かという疑問。
ビデオ編集も一通りの目的には達したので一旦休止。
というより、あまりの細かい作業にウンザリ気味。体験による収穫は大いに有りました。
撮影時から、それなりの準備と集中力が必要です。年に数本出来れば良いでしょう。
ソフト編集での限界もあります。¥50000程度のキャプチャーカードが、かなり売れているようです。
さて、何度挑戦しても大きな壁が立ち塞がるのがプログラミング。
色々、情報雑多の中、結局は、CとJavaの何れかというのが最近の趨勢。
プログラミング手法は殆ど同じです。
マイクロソフトは.NETに移行。セット価格¥80,000程必要。GUI環境という取り付きは楽ですが・。
サンのJava2はStandardなら無料です。これは何より助かります。
DOSモードからというプログラミング手法に戻らなければならないという抵抗があります。
以前とは格段に違ってはいますが忘れているので・・。SwingというGUI環境もあります。
GUI環境のマウスで楽をしてきた習慣から、又、過去に戻るというのは嫌なものですがプログラミングを理解するには近道は無いようです。
WindowsなどGUI環境は、言うなれば、ワープしたようなものですから、理解をせずにいたのでは何時までたっても堂々巡りで前には進めないのです。ここが一般ユーザーとプロとの違いなのでしょう。
現在ではアマチュアがプログラミングなどする必要は殆どありません。
興味がある人は、ご自由にどうぞ、という状況です。
本は色々出ていますが書いてある事は、みな同じ(当然)。
その先は人次第。読むだけでは駄目で、まず実行あるのみでしょう(これが、なかなか・・)。
とにかく、Javaを始めました。

8/29
「緑の島は戦場になった」

NHK教育TV「ETV2000」(PM10.00〜.45)で、今日まで放送されています。
ガダルカナル、サイパン、トラック諸島での、軍、民の悲劇を現代作家の現地レポと記録映像で伝えています。
胸が詰まり涙がこぼれます。
議論や言い訳をする前に何があったか事実をよく知ることです。



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