7/1
家の寿命
最近、名古屋市白壁の加藤邸が老朽の為、取り壊されたと聞きました。
昭和十年建築の純和風の数奇屋造りの邸宅と庭園、最近まで「自習舎」として文化継承の場と多くの人の学習の場として利用されてきました。
税制面など、多少の猶予はされてきましたが、個人財産としては限界もあり、維持にも限界がありました。
昭和十年は私と同年です。それ以前に建てられた和風住宅は、現在もありますが限界に来ています。
文化財として保存されている建築物は、絶えず補修改築を繰り返し維持されています。
今、残っている戦前からの和風住宅は六十年以上経過していますが、手入れさえすれば、まだ暫くは維持できます。
それに引替え、最近の住宅は構造体の材質が悪く三十年も経つと建て替えなければならない程、劣化します。鉄筋住宅でさえ、ボロボロになって大掛かりな補修が必要だといわれます。
家は、一度建てれば二世代は使えるのが普通でした。それが今は一世代も持たないといいます。
自分が、幼時、育ち暮らした環境が、老後、次々壊され記憶から消されて行くのは、自分まで否定されて行くようで悲しい思いがします。
大正末期や昭和の初めに建てられた建築物は数多くあります。
愛知県庁、名古屋市役所、東山公園、鶴舞公園などが現存するのは嬉しい事です。
さすがに大須、東区(白壁、筒井、車道、代官町、円頓寺など)の家々は次々消えて行きます。
長寿社会を豊かに生きるには、心に残る記憶を子孫に伝承できる有形無形の証が出来ればと思います。
7/6
心身の健康
孫(私は、おじいさんなので)の幼稚園の七夕祭りで名城公園へ朝から行きました。
到着時間が早かったので、池の方へ行ってみました。ハスが沢山開花して多くのカメラマンが撮影していました。ここのハスは全部、白のようです。鶴舞公園はピンクです。どちらもそれぞれ結構な眺めです。
その辺りを含む、公園を巡るジョギング、ウォーキングをする人の多い事。金曜日でこうですから土日はごった返す程かなと思って・・。
昼近くまで「七夕祭り」の遊戯などのビデオなどを撮って、その後「市政資料館(旧高等裁判所ゴシック建築の文化財)へ行って今は消えた、過去の東区役所の写真の閲覧に行きました。この建物は空襲被災の夜、その地下室へ深夜から朝まで避難し、夜が明け外へ出て見回した周囲の一変した風景に呆然とした体験の思い出の建物です。曖昧な記憶だったので確認してきました。
そこから大須パソコン街へウォーキング。公民館使用のロングビデオケーブル購入の為。
途中、知人宅に立ち寄ったりしましたが、ケーブル購入後、TV番組やHPで拝見していた大須の三代続く老舗のカーテン屋さんを訪ねました。
社長さんは、代々引き継がれた名古屋情報の蒐集家。
「明治100年記念館(未整理非公開)」を所有されています。
9月には「ナゴヤテレビ」での放送と博物館での「名古屋の盛り場今昔(仮称)」の特別展示をされるとの事です。
話題になった「東山動物園のカバの嫁入り」の四十六年前のリバイバル計画中など、楽しい企みを考えておられる方です。いろいろ話を伺って来ました。楽しみに待ちましょう。
炎天下(それほどでも)を歩き回って帰宅。風呂に入ったら、首筋がヒリヒリ、Tシャツだったので日焼けで黒光り。
記録や根性のスポーツは出来ないので、取材やら遊びながらの健康維持を図っています。
当地では盆踊り開きが近くの「青年の家」で今日から始まります。心身のリフレッシュには絶好です。
ただ、最近の盆踊りはダンスが侵食して来ているので、本来の民謡を大事にして欲しいのが私の本心です。
7/9
盆踊りと呼吸
今の私の年齢でも盆踊りを長時間やっても、殆ど息切れする事はありません。
息切れしないで、長時間踊るコツは、一昨年、岐阜県郡上郡白鳥の徹夜踊りで習得してきました。
と言っても特別な事を伝授された訳ではありません。
普段歩いているテンポで踊れば良いのです。普段は、単に手を振って歩いているだけですが、それに軽いアクションと、リズムを付ければ「盆踊り」になります。
人の呼吸は、大体時計と同じ「1分60拍」ですから、4拍子にはピッタリ合うのです。
ウォーキングのつもりでリズムに合わせていけば踊れます。
妙に張り切ってはいけません。
日常、ポケットに両手を突っ込んだり、歩き煙草のダラダラ歩きをする人は駄目です。
普段から「4拍子、1分60拍」で背筋を伸ばしてトントン歩く習慣を付ければOKです。
踊っていて呼吸が上がってきたら、意識して日常歩きの60拍に整えるようにすると、30分位ぶっ通しでも続けられても付いて行けます。
郡上、白鳥では「口説き唄」といって長い物語を唄い手が交代しながら、延々と1曲30分位、唄い続けますから、それに負けないためには普段のウォーキング呼吸法が必要です。
これは「エアロビクス」でも「ウルトラマラソン」でも同じではないでしょうか。
日常、歩くのが嫌いな人が、その時だけ格好良く見せようと思っても無理です。
馬力だけでやる人もいますが、見ている方が疲れます。
何気なく、軽々と楽しく見えるように踊るようになるには、多少時間と要領が必要ですが、楽しくなければ「盆踊り」の永い歴史はないでしょう。
「よさこいソーラン」が息切れ気味なのは、あまりに過激なアクションを取り込みすぎの傾向が見えるからでしょう。
一般の人も気軽に入れるようにしないと浮き上がってしまいます。
本来はそういう事ではない筈なんですが・・。
7/19
那古野神社大神輿
名古屋の三大祭りの一つ、那古野神社の例大祭が、毎年七月十五日(宵祭り)十六日(本祭り)と挙行されます。
かっては尾張徳川家の繁栄を示す、東照宮、若宮と共に豪華絢爛の祭絵巻が名古屋城下で繰り広げられました。
その様子は絵巻物として保存され戦前の祭りの様子は博物館のビデオコーナーで見る事ができます。
今年も例大祭が行われました。天王祭ですから、宵祭りには車楽に提灯が飾られ、能楽や舞踊が能楽殿で奉納されました。
本祭に登場する神輿は、昨年は天候不良で中止。一昨年は諸般の事情(担ぎ手不足か)で中止でした。今年はどうか。あいにく前夜から台風7号が接近。
午前8・00頃、名古屋周辺は横殴りの土砂降り。又も中止かと思われましたが天候は急速に回復。
10時前には青空も広がってきたので実行となりました。
午後一時三十分、那古野神社から1.5k先の若宮八幡宮へ神輿は出発しました。
神輿は五つあります。最も大きいのは、私の歩測では担ぎ棒(正式名称は?)の長さ約10メートル、神輿の幅は約2メートル、かなりの長さです。縦二本の担ぎ棒で横は有りません。
これを担ぐには百人は必要で、その他にも余裕の人数がないと無理ということです。
今年は七十人程が確保出来たのですが、大神輿は無理ということで、その、大体半分の中神輿での渡御となりました。画像など詳細は「那古野神輿渡御」を御覧下さい。
那古野神社界隈の現状は氏子住人の減少。ビジネスビル化が進み、昼間人口は多いのですが生活人口は極端に少なく祭りの実行が出来なくなっています。
今回知ったのは「神輿渡御」を仕切っているのが東区新出来町(西之切)の天王祭保存会の皆さんだという事。その人達だけでは揃わない担ぎ手を公募しているのですが100人には達しない。
戦前の豪華絢爛な祭の姿が無いのが大きな理由でしょう。私も三年越しでやっと見る事が出来ました。
ただ、あの大神輿が担ぎ出されるのが何時の日か、もうそれは叶わないのか気懸りです。
私の父は、那古野神社から100メートル程の所(現、三河屋ビル、サークルK)で生まれ育ち、そこで結婚もし、私の兄も生まれました。かっては氏子だったでしょう。
祖母は踊りなど奉納したと思います。祖父祖母は世を去り、昭和十年頃に、その地を離れました。
母の実家も那古野神社から200メートル程の堀川沿いに昭和十九年まで住んでいましたから、私は戦前中の豪華な祭りを見た記憶が漠然とあります。
今回、その祭りの一端が、六十年近く経って見られた事は有難いことだと思います。
再び、大神輿の登場する日を待ちたいと思います。
7/29
官営イベントの終わり
最近の傾向を見ていると、昔からの伝承による祭りなど伝統行事の復活や若者の参加が顕著になってきました。本当に良い事だと思います。簡単には習得できないお囃子などの習得に欠かせない年代間の繋がりが見直されています。
それに反して、地域振興の名の下に自治体のバックアップで始まった商業祭りやイベントがマンネリズムと、天下り予算におんぶして努力をしなかった商店街に人が集まらなくなってきました。
祭りなどの寄付金が問題になる事はありますが、自腹を切れば、それだけの効果があるのか厳しいチェックが働きます。連帯感で努力した稽古や準備を通じて責任感も生まれます。提供した労力や金銭に見返る効果が無ければ承知しないでしょう。それが当然です。
それが官営イベントでは、頂ける予算の配分や、それに便乗して一稼ぎしようと安易に考えます。
タイムスケジュールに従って各参加団体が展開するパレードなども行政スタッフや商工団体が仕切ります。
同じ時期、各地で同じパターンのイベントが続きますから、唯のお客様である観客一般市民は飽きてきます。イベント自体も地域の活性化の効果も薄れ予算も縮小されます。
こうなると悪循環です。考える時期が来ていると思います。
コピーイベントは、もう通用しません。
本物指向がハッキリしてきました。いい加減なイベントは消えていきます。
すぐには実らなくても「これは本物だ」と言われる基礎のしっかりした伝統行事に目を向け努力をしている人達をバックアップすべきです。
政教分離を口実に、伝統行事に背を向けた自治体は特徴を失い地盤沈下が進んでいます。
住民も地域に魅力を失い、郊外や外部イベントに流出、単なるベッドタウン(食べて寝るだけ)になっています。
地域全体、総ぐるみで垣根を超えて考えないとますます空洞化は進むでしょう。
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