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 週日すけっち 
4/1
桃花祭若殿行列復活へ

三日は桃花祭本祭。
神輿が真清田神社から約1.5Kのお旅所へ渡御。
再び神社へ還御される往復の行列が正午を挟んで行われます。
還御の行列の後に、飾り馬の奉納があり、その最後尾の収めに私の町の「若殿行列」があり神社拝殿に到着と共に太鼓が鳴り、祭りは終わります。
子供が少なくなり、ますます寂しくなりますが、せめて少しでも祭りらしさを取り戻す為の工夫が必要です。
年行司は、毎年交代するので氏子総代なり町会長がアドバイスをしなければ行事は進行しません。
今年は、三月三十一日が日曜日だったので準備に入り、本祭まで毎日雑用に関わっています。
何かと小忙しいのですが、こういうイベントは嫌いではないので自分の活性化の為にも動いています。明日は八時から車の手配。馬の飾り付け。衣装の着付け。
午後一時からの神輿渡御の露払いに紋付裃で参加します。
後片付けが終わるのは夕方遅くになるでしょう。祭りは・・。

4/3
祭りは、忙しいが面白い

私の町は名前が示す殿様の町です。
一宮市真清田神社の「桃花祭」では戦中、昭和二十年頃まで「若殿行列」を伝統的に行ってきました。戦後は、それが行われなくなり五十年間中断されていました。
それが平成三,四年の二年地元青年会儀所の協力で原型に近い形で復活しました。
その経過は簡単に当ページ「桃花祭」に紹介してあります。
が、それもその二年で再び中断しました。
それから10年、再び簡略化された姿で寂しく参加してきました。
今年は、その当時、調達した衣装も揃っている事だし、費用の心配も無い。
ただ人手がありません。総てを行うには、子供を含めて50人位必要です。
現状は、少子化が進み町内には小学生が一人という有様です。
年行司が法被を着て、飾り立てた「貼りボテ」の馬をトラックの荷台に乗せ10人程の子供獅子(他地区へ嫁いだ人の、いわゆる外孫を含めて)と神社へ繰り込むだけです。
若殿は、ともかく、せめて露払い(紋付裃、白扇、青竹杖に白紙短冊を付ける)警護役を年行司が務めようと考えました。(つづく)

年行司は六人ですが、露払いは男性に限られます。
氏子委員というのが各町内に一人いますが、当日は神社の神輿送迎の役があり、町内には参加できません。
今年は、幸い、年行司を男性が勤めてくれるので一応六人ですが、「飾り馬」のトラック運転に一人と、高齢の方が行列が出来ない事。
一人が欠席。結局、男性三人と私(町会長)の四人が確定しました。
衣装は10人分あります。あとは、町内有志を待ちましたが、計画立ち上げが間際だったのと、10年の空白期間が大きく、そのままの体制で進めました。
初めは考えていなかった「若殿」を、何時も祭りに遊びにくる「外孫さん」の家に打診した所、「喜んでやるでしょう」という返事で、お願いする事にしました。
「若殿」衣装一式を届けておき、お任せしましたが、当日にならないと、どういう事になるのか全くわかりません。
10年前にやってあるので、私は臨機応変、対応できますが子供の気まぐれは予測できません。
実は「若殿」の他に、二人の「子供奴」が要るのです。
それぞれ「太刀持ち」「床机持ち」の役割ですが、当日、その場で「ぶっつけ本番」でやってやろうと密かに考えていました。
当日、十一時半頃「神輿行列」が来ます。
十時半頃になって、やっと「若殿」が着物を着る気になりました。
「刀を持たせてやる」という条件付きで納得しました。
「子供奴」の衣装を着せるチャンスを窺いました。
「若殿」は現れました。が・・・。着物の様子がおかしい。(つづく)

腰の帯を、ほどいてみると「ありゃ、袴が前後ろ反対」。
どうやら行列が来た様子。先頭はともかく、神輿や宮司が現れるまでに着せなければ。
早速着せ直して、露払い、子供奴の中心に「若殿」を配して、並んで出迎える。
「やれやれ、何が起こるかわからない」
若殿が現れる前に、前日から祭り半纏を着ていた子供に、かねて用意の奴半纏を「これは良いぞ。カッコいいだろう」と、袂の長い、背中に紋入り、襟には手綱柄の襟が掛けてある独特の衣装を着せかける。
「うわー。やだ、やだ」と逃げられる。
周囲の大人どもが「やあー。カッコいいぞ。それはいいぞ」とおだて上げる。
「刀を持たせてくれれば着る」と、こちらも言うので「よしよし、持て」と、とにかく納得させる。
これで作戦は一応成功。
本来は、白の半パンツ、白足袋、雪駄なのだが、急場しのぎの苦肉の策なのでスニーカーも止む無し。
とにかく、それぞれに刀も持たせて参加させる事にしました。
正式には「若殿」は脇差。「子供奴」は脇差で、一人は「太刀持ち」、一人は「若殿」が座る「床机持ち」の役割なのです。
出迎えが終わり「神輿渡御」は、一時に帰途に付かれるので昼の食事休憩となりました。

「神輿行列」が、お旅所に入ったのを見届け「飾り馬」の車はお旅所境内に移動。
他町内の「飾り馬」や協賛団体のグループも集結。
太鼓演奏や出発前景気付けのパフォーマンスが出発時間まで行われました。
一時、稚児行列が出発。「神輿還御」が始まりました。
神社関係の流鏑馬や少年武者などの行列に続き,
奉賛団体の「JA神輿」「ばち太鼓」「ミニ山車」「一宮太鼓」が奉納されます。
古来からの「馬之塔(飾り馬)」が順序に従い町内衆によって練りながら神社に向かいます。
馬の口に扇状に綱を付け女長襦袢を着、白塗り化粧をした若者が千鳥様に練ります。
以前は数十頭の奉納が夕方までかかって奉納されましたが、今は数頭になり、少子化も加わり寂しい様相になってしまいました。
私の町内は、前述のように特別な役割を持っています。総ての行事を再現する事は不可能です。
然し、出来る事だけでもやってみる事が「呼び水」になって、町内外の人も含めて少しずつ復活する事が、今、出来る事だと思います。そうしないと完全に消滅してしまいます。
さて、それぞれの奉納団体が出発し、収め役の「若殿行列と押さえ馬」が祭りを〆括ります。
きっちりやろうと思えば「奴踊り、挟み箱、槍持ち」などの「奴連」と「露払い」に続き「供侍(大小刀差)」を両脇に従え「子供奴(太刀持ち、床机持ち)」を伴った「若殿」が小脇差を差し、中央を堂々と闊歩します。行列が止まると床机に座ります。かなり立派な行列です。
今回はそれには、とても及びませんが、「とにかく、やってみよう」と実行しました。
子供の要求を聞き「若殿(紋付裃)」「奴(特殊半纏)」共、刀(脇差)を差し、今にもチャンバラを始める勢いで行進?してくれました。

十年前、復活した時は「青年会議所」との合同行事という事と、殆どオリジナルを含めた体制で始めたので五十人以上の配列も、それなりに整えました。
今回は「殿町一」単独で部分復活が可能な事を実行し、まず、姿を見せる事を主眼にしました。
最低限、「露払い(紋付裃)」が行列の先導を勤める事から考えました。
「若殿」「奴」も実現出来たのは上出来だったと自負しています。
お旅所を出発し、1500メートルの道中は注目してくれる人も多く「若殿」にも友達から声がかかり、かなり良い気分になったようで「喜んでましたよ」と報告がありました。
町内の人からも「ご祝儀」が若殿、奴に届けられました。
「露払い」の町内若手も思いがけないカッコいい姿になれて良い気分になれたようです。
少人数ではありましたが、これが「呼び水」になって、来年以降は、町内外からも参加を得て、拡大出来ればと思います。
「奴踊り」を再現する事が、まず必要です。これが出来れば一応形が完成します。
6日夕から「慰労会」を開催。
大いに士気上がり来期以降の発展を期待し手〆を以って打ち上げとしました。
バンザイ、バンザイ

4/12
スタッフ不足

自分が現役でイベントに参加すると記録が出来ません。
写真は撮影していた、知人に「下さい」とお願いしいますが、すぐには手に入りません。
請求は出来ないし、持って来て頂くのをジッと待っています。
ビデオカメラを持っている人は、かなり居ますが知らない人には声は掛けられないし、周囲の人は「巧く撮れないから」と引き受けてくれません。
そういう事で三日に「桃花祭」が無事終わって一週間以上経ちましたが、手元には自分で撮った数十秒のビデオ画像が有るだけです。
当日「一宮タイムス」の記者さんから色々訊ねられました。
、大まかな説明はしましたが詳しくは私のHPでとお伝えしました。売り込む気持ちは無いので、気にもしていませんでしたが、六日の打ち上げで若手が訊ねたので「一宮タイムスさんだよ」と言ったら「自分も取材して欲しかったなあ」と言われました。
「タイムスさん」に「報道された新聞の残部がありますか」と聞いた所、快く「どうぞ」と七部、頂けたので町内と知人に、来年以降の協力のPRの為、配布しています。
写真と詳しい記事が掲載され、思いがけない効果が有った事は町内にとって良かったと思います。
「桃花祭」の日曜日開催が十年以上前から叫ばれていますが「真清田神社」の伝統を守る姿勢と、氏子の「祭り意識」に大きなズレがあります。
それが「祭りの衰退」と門前町本町商店街の衰退の悪循環を齎しています。
事情はともかく「殿町一」は自分の町の事として、出来る限りの可能性を実行して行こうと思います。

4/16
桃花祭の写真

やっと写真が手に入りました。
14日は、名古屋能楽堂の「春季特別展、祭礼と能楽展を囃す会」の山車四団体の演奏とからくり演技観賞に出かけました。
留守に「神明津祭連」から、当日写した1枚。今日は、一緒に露払いをした町内の人から9枚届けられました。改めて見ると、やっぱり「祭は参加するものだ」と思います。
まだ、道中の写真が未着です。待っています。
13日は「第一回 真清田神社門前ライブ」が開催され、午前午後見に行きましたが、見ているだけはつまらないと思います。
14日の「祭囃し」も自分が、その立場であれば、やってみたかったという想いがします。
人と比べれば、私は色々な事をする方ですが、眺めているだけでは、つまりません。
大多数の人は見ている方ですが・・。
「見るとやるとは大違い」です。巧くやる人ほど簡単そうに見せます。
「あれ位なら」とやってみると全然ついていけません。
私も「盆踊り」はかなりやってきましたが「日本舞踊」に弟子入りして、初めに教わった「黒田節」に半年かかりました。それも不完全な出来で・・。
民踊団体での「黒田節」は、せいぜい二ヶ月で仕上げでしょう。
基本が全く違います。身体の使い方から入らないと動けません。五体バラバラになってしまいます。
郷土芸能の所作事も永年の伝統と訓練があって魅力的な動きになっています。
「たかが盆踊り、されど盆踊り」甘く見てはいけません。
順序さえ憶えたら出来上がると思ったら大違いです。
少ない手順だけに、如何に幅広く表現するか、その人の技量が問われます。

4/20
「さくら道国際ネイチャーラン」

今日はAM6時から「さくら道ネイチャーラン」の横断幕設置。
木の枝に結び付けるので、なかなか水平に設置出来ない。
近年、ランナーの通過時間が早まり、昨年は7.20にトップランナーが通過したので、7時にはランナーの来るのを待った。
所が、今年は以前のように7.30過ぎにトップが通過した。
いつもはビデオカメラを覗いて、あちこち場所を移動して撮影をしていましたが、気忙しいし、ランナーに声を掛けたり交流も出来ないので、今年はカメラを柱に固定して、回しっ放しにしておいた。
自分は気楽なんだが、撮影アングルや表情アップなどのテクニックは使えないので、面白い画面はあまり無い。
キャプチャーして昼までにはHPにアップ完了。
名古屋の渡部@さんがスタート地点から周辺の状況をアップされた。
裁判所前には、珍しく「ウルトラ常連」の金沢さん、かってのネイチャーランナー小松さんが7時過ぎから応援に来られ、一緒に最終ランナーまで見送りました。
金沢さんは白鳥まで行かれるとの事。小松さんは最終ランナー今野さんに付いて伴走して行きました。
28日の「ウルトラマラソン」の私達のエイドで再会します。
PM6.30には、トップの大神田さんが「荘川桜」を通過したとの情報が入っています。
21日夕のゴールまで天候が安定した状況にあるよう願っています。

4/23
「さくら道ウルトラマラソン270K」

「ネイチャーラン」が無事終了しましたが、続いて28日は、名古屋荒子JRバス名古屋営業所をAM7.00スタートで、250人程のランナーが金沢を目指して走ります。
このマラソンは「48時間制限、二昼夜」のレースです。
つまり、30日、AM7.00が最終ゴールです。
途中、仮眠する事もありますが、年齢も幅広く70才を超えた人もいます。
完走を果たす人が、案外、年齢上位の人が多いのはペースを心得ておられるようで、それで日常の生活も過ごされているのでしょう。
私とファミリーの「一宮裁判所佐藤桜」でのエイド設置も6回目になりました。
幸い雨天は一度も無く続けています。公道(歩道)なので雨天は雨晒しになるので困ります。
28日は、AM9.00から待機。全員通過の正午までスポーツドリンクと水を用意します。
個人エイドなので、サービスも限られますが、飛び入りの差し入れや、サポートがあります。
10.00〜11.00は、かなり混雑状態になります。
名古屋スタートから、最初の小休止(27.3K)に適している事と、新緑ですが「佐藤桜(枝垂れと山桜)」の前という事。
手作りですが、横断幕を掲げているので、記念撮影とランナーの交流の場になります。
この後は岐阜県に入り、集団はバラバラになります。中間の白鳥町では12時間位かかって通過。「民宿さとう」での仮眠、暗闇のランニング、蛭ヶ野峠の急坂になるので、辺りから孤独なレースになります。
1年振り、この日だけに会える全国のランナーに「佐藤桜」の前で会えるイベントに立ち会える縁を大事にしたいと思います。

4/30
「さくら道」終わる

「ネイチャーラン」「ウルトラマラソン」が終わりました。
ネイチャーランは第一回から、ウルトラは第二回から声援。
「ウルトラ」の裁判所前エイド設置は6回目になりました。
エイド設置を始めたのは、第三回が気温が高く、一宮市内でも、既にバテ状態のランナーを数人見かけたので、この地点にも給水地点が必要だと感じたからです。
続く第四回、第五回も、朝からカンカン照りの大会。私達も慣れていないので補給も大忙しでした。
ここ数年は、あれほどの高温ではなく、私達も慣れてきました。
一度は金沢まで随行したいとは思ったりしましたが、サポートも二昼夜の強行軍で、とても、お伴は出来ないでしょう。
共に、来年は10回を数えます。
いつまで続けられるエイドかわかりませんが、かなり必要度の高い「エイド」拠点のようなので存続の方法を考えなければと思います。
躍動感のある250人のランナーを出迎える感動を分け合えたらと同志を募ります。
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