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 週日すけっち 


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絵本「世界がもし100人の村だったら

原作、故ドメラ・メドウス(アメリカ)池田香代子 再話 マガジンハウス

メドウスさんが、90年に書いたエッセーが、Eメールを通じて世界を駆け巡り、一つのメッセージになったものです。

内容 地球に住む六十三億人を統計比率で百人に縮めるとどうなるかを描いています。

地球村100人の内

70人(有色人種)30人(白人)
61人(アジア人)13人(アフリカ人)13人(南北アメリカ人)12人(ヨーロッパ人)あとは(南太平洋地域の人)
20人(栄養不足)1人(死にそう)15人(肥り過ぎ)
6人(総ての富の59%を所持(アメリカ合衆国の人))
17人(綺麗で安全な水を飲めない)
7人の内1人(マイカー所持)
1人(大学教育を受ける)
14人(文字が読めない)
世界の不均衡、貧富の差がわかります。

「100人の村」は不公正から公正へ愛と希望を呼びかけています。
「もし、たくさんの私たちが、この村を愛することを知ったなら、まだ間にあいます。
人びとを引き裂いている非道な力から、この村を救えます。きっと」


昨年、起こった色々な事件、私たちの暮らしを、今一度よく思い起こし、今年の暮らしを考えたいと思います。

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「後ずさり」は、していられません。
今年の「ウイーンフィルニューイヤーコンサート」指揮の小沢征爾さんは、私と同い年と知りました。
元気を貰いました。
二日から、当地方は風と雪の悪天候。やっと今日、青空が見えました。
正月中、TVはあまり見るものもありませんでしたが、教育TV「初春大江戸の賑わい」(歌舞伎座中継「文七本結」(吉衛門、玉三郎など)を含め、「コシノジュンコ」デザインによる「和」のファッションに乗って展開された太鼓、笛、琴、尺八のコンテンポラリー(融合)。
日本文化を見直そうというアピ−ルに共感。
TV番組表を見ただけでウンザリする民放の「ドタバタ」は全く見る気もしませんでした。
正月番組ではありませんが、昨日昼「ドンキホーテ」ナゴヤTV「名古屋城外堀を行く」は過去の瀬戸電が走っている風景など、祖父(母方)一家が暮らした場所でもあり録画しました。
時には、過去を振り向きながらも時代は常に前進していきます。
少年時代の思い出に大きく残る、かっての名古屋駅は全く姿を変えましたが、新しい魅力を湛え多くの人で溢れています。
駅前ビル群は再構築が、すぐスタートします。過去は過去として前進は続きます。
今年後半期にはコンピュータのCPUも「サラブレット」とか「ハンマー」とかの凄まじい名称でパワーアップするとか。再度グレードアップの必要に迫られます。
「量より質」の時代が、ますます進むでしょう。
それに対応出来る「人つくり」がどうなるかです。
ハッと気が付いたら「浦島太郎」だったという事にならないようにしましょう。

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ウォーキング大会


「ウォーキングラリー」というものに数度接しました。
日本中を完歩した「伊能ウォーク一宮」。当地,
一宮市内を歩く「街歩きウォークラリー」など。
他にも多くの「ウォーキング大会」を新聞紙上などで拝見します。
お手伝いした事はありますが、参加した事はありません。
私の歩き方とは方法が違うようだからです。
「歴史を訪ねて」とか「名木を訪ねて」とかの冠が付けられていますが、ラリーの様子を見ていると「タイム」とか「距離」とか「証明スタンプ」を目的とする趣旨が強調され、参加者もそう思っているように感じられます。
「一宮市制80周年記念ウォークラリー」が、私の地域でも行われ、近くのポイント地点で、お手伝いをしました。
地域の方が、当ポイントの説明をしようと資料を作成、マイクを使って説明をしようと待機していました。
ラリーの皆さんが来ました。4人で証明印をスタンプしましたが、かなりの混雑になりました。
先頭から最終まで20分くらいだったでしょうか。アッという間に誰も居なくなりました。
資料は無くなりましたが、マイクでの説明という目的は出来ませんでした。
スタンプ時、多少荒っぽい請求をする人もいました。群集心理に押されて競争心に煽られてしまうのでしょう。「歴史探訪」とか「町並み観察」とは名ばかり。先へ先へと脇目も振らず大股歩き。
「歩く」事より記録を作る事が目的のように思えます。
そういう人達は普段は、もっぱら車社会に浸っているのでしょうか。
日常生活と「ウォーキング」とは別物と思っているのではないのかとも思えます。
私は「距離」とは関係なく「知らない町」「知らない道」を訪ねて四方八方眺め回しながら歩きます。
同じ所をグルグル回る事もあります。建物から解説物、周辺環境も詳しく観察するので時間が掛かります。
三、四時間位、歩く事は平気ですが「ウオークラリー」とは全く目的が違いますし、唯、距離や時間を記録する事が楽しいとは思わない(私は)ので、今迄「ウォークラリーには参加していません。

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年度末


正月も過ぎ、この時期になると次年度の行事の為の仕事が始まります。
まず、地域では各役員の交代引継ぎの準備を始めなければなりません。
毎度の事ながら簡単には進みません。これまでは、選挙、推薦など、事前の根回しなどが行われ、何とか収拾してきましたが現代社会では通用しません。
半ば強制的な順送りになります。これは不合理なようですがオープン化するという点では良い方法です。
一部のボス的存在な人達が取り仕切るのは現代社会では通用しなくなりました。
今の時代では「信用して任せる」という事が無いからです。
僅かなミスも攻撃対象になるので「やってられない」という事になります。
ボランティア精神も必要ですが、馴れてしまうと「当たり前」「物好き」「出しゃばり」と思われるようになります。
やっている間は、色々お世辞など言われる事もありますが、真に受けて乗せられると、利用されてポイになりかねません。これは自分が気を付けなければいけません。
何事も「ほどほど」が良く、煽てられても、サッサと引く時は引くけじめが必要だと、ある役職を二年やってきて退陣するに当たり思います。

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アメリカが解らない


アメリカは多くの点で夢の国だった。
それが解らない国になった。「アフガニスタン」ではテロの追放の名の下に各地を空爆、人も殺傷し街も破壊した。これから復興をしなければならないと「復興支援会議」が日本で開催されるのですが、アメリカはアルカイダを崩壊させてやったのだからそれで充分だと復興援助には消極的だと、腰を引く態度。
捕虜の扱いも非人道的だと非難の声。
道路は爆撃で穴ボコ、街は廃墟、アフガンの次はソマリア、イラクだという。
何を考えているのか私には解らなくなった。
何事も双方の言い分と言うものがあり、一方的に総てが正しいという事は有り得ません。
対案があれば提出し、一つに意見が纏まらなければ両論併記、お互いの存在は認めた上で、時の流れに従うべきでしょう。
国も人も、永久に合流しないままで存続する事もあります。
相手を抹消しようと思えば紛争になります。それは過去の永い歴史に学ぶべきでしょう。
逆戻りは愚かです。
私も体験した太平洋戦争の考え方が、今になって、もう一度見つめ直す事が必要かと思っています。

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ボランティア


地域で、必要不可欠な継続している役目を、ある時期、殆ど無報酬(金品にかかわらず)で奉仕活動をします。
あくまで純粋な社会への恩返しの為の、金品ではない心身のの奉仕です。
多くの人から感謝されますが、何時までも続くものではありません。ある程度で限界が来ます。
こういう行為は、これからは周囲にとっては「出過ぎた行為」なのでしょうか。
時には、何らかの「メリット」を得ているのだろうと誤解を受けることもあります。
継続の為、次の後継者に委任する事になりますが、これからの社会では特定な人以外は無報酬では引き受ける人がいません。
心身の実務を伴う場合、報酬を受けることは当然、或いは受けなければ、これからは継続が図れない社会になったのでしょうか。
NGO(非営利団体)がどういう形式なのか知りませんでしたが、募金や奉仕活動で得た報酬を、ボランティアに使うのであれば課税対象にはしないという事でしょうか。
そうであれば、奉仕活動は無報酬では無く、一般的な常識の範囲で報酬を受けるのが当然で、その後の使途を寄付や奉仕活動資金として提供する事が、回り道ではあるが、理に叶っているという事になります。
これからはそういう時代なのでしょうか。
「地域マネー」が、そのようです。能力の相互奉仕です。
これからは、そういう方法でないと、ボランティアが、自分だけの考えで、周囲に理解されない、不自然な立場になってしまうという、思っても見なかった場面に、今、遭遇しています。

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