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 週日すけっち 

2.1
二月は
「バックは、東海道四百年、笠寺一里塚」

二月は我れ誕生の月。
「父母恩重経」に曰く 「我れ誕生の日は、母、苦難の日」 とあります。
私は難産だったと聞いています。
「えなわ」(えなわ、というのは、へその緒でしょうね)が頭に巻いていたと、誰かに聞きました。
母は早く亡くなったので、直接聞いたものではありません。
私は生まれる前から、母の実家に母に代わって後継ぎになる約束で生まれてきました。
その頃は、子供のやりとりは貧富に関わりなく、よく行われていました。
政略を伴う事も日常茶飯事。子供も多く生まれました。
昨夜の「その時歴史が動いた、桜田門外の変」の井伊直弼は十四男であったが、三十過ぎてから藩主になり、幕府大老として暗殺されたという運命。尾張藩主宗春も同じような巡り合わせ。
貧しい家庭では、口減らしに貰われて行った子供は数知れず。
現代では、そういう極端な事は無くなりましたが、人の運命は最期迄、何が起きるか判りません。
今までに、そういう経験を数多くして(させられて)きました。見てもきました。
これからも、99%巧く行ったと思っても 1%の大ドンデン返しが起こるかもしれません。
人生は、それ程、油断のならないミステリーの連続だと思います。

2.3
本日を以って、堂々
六十五才なり

空襲の為、失った、多くの写真から、辛うじて親類に残っていた僅かな写真の内の一枚。
私と母、私は一才未満だと思います。
服装から察すると長袖ではありますが母は白っぽい着物なので、冬ではないように思えます。

この、六年後の夏、母が亡くなり、私が喪主となって、白の裃を着る事になるとは、誰一人、想像もしなかった事でしょう。
母が、女学校を卒業していた事は知っていましたが確認はしていませんでした。
先月、その学校(現、名古屋女子大学)に手元にある当時の写真を数枚コピーして、お尋ねしました。間違いなく、当時の名古屋高等女学校(昭和四年卒)であったことがわかりました。卒業記念写真が保存されていました。それを送って頂きました。
私達が、昭和十五年から二十年の空襲迄、住んだ、葵町に母が通学した校舎がありました。女学校は瑞穂区に移転、その校舎には、他の男子生徒(専門学校か)を見掛けましたが勤労学徒で工場へ行っていたのか不在の様子でした。
私はその門に乗ったりして遊んでいました。その写真などが載った、
学校創始者、越原春子伝「もえのぼる」を現学長、越原一郎様から頂きました。
母没後五十八年、私、六十五才の今日、一つの歴史が、又、明らかになりました。
もう、これで私の懸案は総て明らかになりました。
これで、心おきなく、次の目標に、行ける所まで進めます。
与えられた天命が尽きるまで。

2.5
裸祭りの男達

昨年も参加した
「お祭りてんつく隊」が難(人扁あり)追笹(なおいざさ)を担いで、7K先の稲沢国府宮裸祭りに出発するというので、ビデオを持って見送り取材をしました。
「さくら道」でお馴染みの無名会走友会のメンバーを含む、お祭り好きのグループです。
昨年の様子は「日々すけっちバックナンバー2000.2」に雪の中のシーンがありますから、ご覧下さい。今年は気温12。というヌクヌク陽気。歩いていても汗ばむほど。
AM11.30頃、成瀬さん宅出発。地元の浜神明社参拝の後、真清田神社へ。
参拝記念撮影の後、0時稲沢へ向けて出発。
第四回の今年は十四人。
第一回は四人、
「恥ずかしいので、目を伏せながら本町通りを駈けた(MIZOさん談)」。
「馬鹿な事を始めてしまったけど、もう止められないなあ(成瀬さん談)」。
72才の方が「行ける所まで行く」と笹に掴まって元気に行かれました。
夕方のTVニュースでは、PM5.45分、神男が真っ裸で裸男の群れの中に登場。
押しつ戻りつを繰り返し、6時頃、難追殿に引き上げられました。世の総ての厄を背負った神男は、続く厄払の神事を全うし大役を終えます。
昨年は、前日の積雪と寒風で気温5。でかってない寒さ。今年はかってない暖かさ。
自然の配分は人の及ばぬ所です。
来年は日曜日になるそうで
「一緒に駈けようと思う方は是非参加を」と成瀬さんからPRを頼まれました。

2.10
定年、そして年金


自分が六十五才になって、はて、定年、年金受給者というのは、どういう事なのかを考えます。
その他、申告書が来たので見てみると、六十五才以上の人は老齢者控除が四十八万円認められます。
これは今まで気がつきませんでした。
あれこれ、あるわけで、多くの人は、それで、今後、生きていくのです。
前職を活かして(善悪共に)多くの所得がある人は限られた少数でしょう。
まあ、普通の人は、年金や、いろいろな老人補助に預かって、第一線からは退いて
「おとなしく、自分の事だけ考えて暮らしていれば宜しい」
と、暗黙の宣告を通告されると思うのは「ひがみ」でしょうか。
人によっては、永年、働いて年金を納めて来たのだから、
「頂いて当然、これからは、飲食、旅行を楽しもう」と思う人が、かなりいます。
物価スライドだからという説明もありますが、ある時点からは貰い過ぎになる事に気付き、それだけの見返りを社会に還元しなければ現在の納付者の反感を買うでしょう。
生きている限り、かなりのコストが懸るのだという事を自覚すべきです。
既に、年金の構造が破壊に向かっているのです。
一部の人には、いつまでも何かの地位に留まって(居座って)後進を育てようとせず、譲ろうとしない人もいます。
政治家がそうですから、地域にも同じような事があり、不正の温床になります。
これが周囲共にグルになっているので、一つバレると芋づる模様になります。
その点からいえば、定年とか任期を定めるのは必要だとも言えます。
これは家族でも同じで、ツリー状(系図)が巧く機能しないと絶家断絶になります。
これがコンピュータのプログラムだったら全く使い物になりません。当たり前の事です。
個人主義とか、核家族だけでは、どこかで行き詰まり、社会は成り立ちません。
幼時虐待などは、その一例でしょう。
色々な核が組み合わされて、全体が成り立っている事を考える事が必要です。
その指針を示すのが指導者の役目ですが、それが出来ていないのが現状です。
せめて一家族、一地域からでも自覚をしなければ、いけないと思います。

2.15
余命と寿命


余命と寿命とは違います。

私が考える
余命とは、自分で意思も行動もコントロール出来る能力が備わっている年令だと思います。
寿命は、心身の状態が標準以下になっても、命は保たれている状態だろうと思います。
自分で自分の身体のコントロールが出来なくなったり、周囲の人が見て、精神状態や判断力が、おかしいと思うようになったら、表舞台からは退くべきでしょう。
これは、案外本人が気が付かない事が多いので周囲が進言すべきです。
これは、国から家庭に到るまで共通していると言えます。
さて、私の場合です。
私は一応、自分の余命は七〇才迄と考えます。あと60ヶ月です。それ以後の事は、その時、考えます。
今までに続いて、これから、何が出来るでしょう。何をすべきでしょう。
ブツブツ文句を言ってもタイマーは動いています。
愚痴や悪口はやめましょう。少しでも善い事をするようにしましょう。
見栄や名誉の為に無理は、しないようにしましょう。出来ない事は、はっきりと辞退しましょう。
出来る事は進んでやるようにしましょう。人の助けを借りましょう。
これからは、病気になっても医師のせいには出来ません。
生活習慣などの自己管理責任と、与えられた天命だと自覚すべきです。
老化まで医師に何とかして欲しいと言うのは無理です。
同級生の主治医は、病気のチェックはしてくれますが、そ以上の事は出来ないと暗黙の内に、私は感じます。
それで納得しています。

2.20
いまどきのコンサート


18日。ウィルあいちホールで行われた、孫も出演の
「ステップアップコンサート」に行ってきました。
「エレクトーン」と「歌」のコンサートです。
幼児科からジュニア科専門コース上級科まで「エレクトーン」18曲、「合唱」7曲の2時間30分ほどのコンサートでした。
クラシックの演奏会とは違い、童謡から、ポピュラー、クラシック小品の馴染みの曲が殆どで、思わず身体がリズムを弾んでいました。
バックのスクリーンに曲のアニメや映画、演奏のモニターなどが映し出され、星のメタリック風船のデコレーション演出で楽しいひとときでした。
「ミッキーマウスマーチ」「ハイホー」はディズニーの幼児向き。
「マーチ威風堂々」「ペールギュント・アニトラの踊り」。
映画音楽から「007・ロシアより愛をこめて」「ロッキーのテーマ」。
ビートルズ「レット・イット・ビー」など。
専門コース上級科はジョ−ジガーシュイン「パリのアメリカ人」。
スクリーンに
「007」のオープンシーンの銃口の向こうからジェームスボンドが「007」のテーマに乗って現れると迫力があります。こういう場面では電子楽器の効果が発揮されますね。
幼児科はメロデイの合奏ですが、ジュニア科以上になると、アンサンブル構成になり、種々の楽器音が、リズムとハーモニー効果を高めます。
専門コースの「パリのアメリカ人」は、さすがにテクニックが高く、バックのスクリーンのジーンケリーの姿も懐かしく楽しめました。
合唱「そんぐ!ソング!!SONG!!!」は「ひらいた、ひらいた」「かごめ、かごめ」「SING]」「TOMMORROW]など。
「さんぽ」の全員合唱で緞帳の幕が下りました。
これから育って行く子供達の姿を見るのは楽しい事です。
未来の社会を、楽しく生きて行く為に、私達大人は不安の無い安定した世の中を贈り物にしなければいけません。
苦しみや、悩みを、次世代にまで残す事の無いようにするのが、今に生きる私達大人の責任です。

2.22
ハードの贅沢


コンピュータに限らず、世の中に出回っている色々な機器の性能は凄いものだと思います。
ビデオカメラ、デジタルカメラ、それ以前からある、ナビゲーター、携帯電話、FAXなどの通信機器。
身の回りには凄い機器が取り囲んでいますが、その機能を人は使いこなせているのでしょうか。
扱い方によっては他人に危険を及ぼす事もあります。
今までは個人の世界でしたが、ネットが整備されてくると、グループでレベルアップした仕事(趣味)の世界が広がります。
私は、アマチュアビデオを10年近くやって来ましたが、総て、一人で撮影からBGM、ナレーション、編集までやってきました。
低コストに徹してきましたが、心身共に、かなり、スタミナが必要です。
「見てくれ」だけに凝った事をすれば、一時、人を感心させる事は出来ますが、その場限りで感動は残りません。
何といっても、ぶっつけ本番、現場での生の臨場感と記録性が無ければ無駄な空回りに終わります。
取材以前に予備知識も必要です。
アマチュアは「やらせ」などの演出は無いし、場合によっては拒否される事もあります。
著作権や肖像権も考慮するのがエチケットだと思います。
盗撮などは、もっての他ですが、誤解される危険も無いとは言えないのでコソコソした態度はしない方が良いでしょう。
人ごみで、突き飛ばされたり、カメラを叩き落されたりしても文句は言えません。
そう言う事もあり、集団で撮影をする事には参加しません。
写真とビデオは機能が桁外れに違います。風景はともかく、人物の撮影には一層の心遣いが必要だと思います。
アマチュアでは、ビデオを写真の延長のように思っている人が相当な居ると思われますが、それは少し違うと思います。
同じ対象を、大勢が撮影しても個性的な作品は出来ないでしょう。
写真の撮影会とは、次元が全く違うと思います。
それなどもあり、私は、最近では今までのようなスタミナの要る集中力が低下気味なので、「むき」になる事無く、体力相応な楽しみ方をしようと思います。

2.25
題名の無い音楽会


今日の
「題名の無い音楽会・二十世紀の名曲30曲」は「コールポーター、ジョージガーシュイン」
前田憲彦とウインドウブレイカーズと管弦楽アンサンブル21による演奏会でした。
「ピギン・ザ・ビギン」は北村英治のクラリネットソロがあり、「ラプソディ・イン・ブルー」は羽田健太郎のピアノ演奏。
バックのフルバンドの中に「’00一宮消防音楽隊演奏会」に、ゲスト来演した、
トランペット奏者、数原晋さんがいました。
まめに演奏会には行くようにしていますが、ナマで見た人が放送などに現れると親近感が一層増します。
昨夜はNHK「土曜特集、坂東三津五郎」でしたが、昨年、八十助で御園座で拝見しましたが、大名題を継ぐ事はさぞ重い事だろうと思います。
「題名の無い音楽会」は、毎週シリーズで30曲を順次放送しています。

2.27
コンピューターの性能


コンピューターの性能の進歩は凄まじいばかりです。
値段も下がり、TVを買うような金額で手に入るようになりました。
私の機種の場合、現在では遅れた性能だといわれますが、現状でもアプリケーションなどは総て動いています。
但し、これ以上のOS(Win2000)にグレードアップする事は無理です。
それと、カードなどを増設すると、すぐ競合して動かなくなります。これには困ります。
人間も同じで新しい稽古事などを始めれば月謝など費用がかかるのと同じです。
新しい能力が身に付いて(付かない人もいますが)視野が広がり人生の楽しみが増します。
今、手元にはWin2000Pro、VisualStudio6.00(EnterPrize)、Office97などを持っていますが、現状でも、のろくても動きます。
趣味としては宝の持ち腐れで、随分、勿体無い事をしています。
インターネットの通信料金も大幅なダウンで、費用に関しては、言い訳をして逃れる口実は通用しなくなりました。
この先は人の能力が問われる時代になりました。
誤解があってはいけませんが、これが無くても、わからなくても、一通りコンピュータは充分動きますから挑戦すべきです。
OS(オペレーションシステム)を扱うか、プログラミングを扱うかは、人によりますが、私はシステムの数値データを見るよりプログラミングの方が面白いと思うので(単に画面が動くから)懲りもしないで、しつこく食い下がっています。
ハードの自作も経験したので、マザーボードとCPUのグレードアップをしようとパーツショップを覗いています。
行く度に値段が下がっています。2万円ちょっとで私にとっては充分なグレードアップができます。
可能性はどんどん広がります。
然し、それほどの機能が自分に必要かと考えると、とても活かし切れないなと思います。
プログラミング言語もC,C++、VB、VC、CBilder、DelPhiなど、それぞれ奥は深いのですが、どうも入り口の辺りで何時までもウロウロ状態です。
プロの世界では大きなプロジェクトがエンタティーメント化した作品で華やかなので、パソコン初期の頃とは違い、今では趣味の世界ではなくなりました。虚しさはあります。
本は、随分買って本棚に並んでいます。月刊誌も欠かさず買って、一通りは読むのですが、なかなか実行出来ません。
ハードばかり先行しても、この状態では埒があきません。アマチュアの限界を感じます。
Cを知らなくては、限界があるといわれる「VisualBasic」ですが、アメリカでは、かなり多くの人が使っていると言われます。
どんどん、バージョンアップやツールの充実で限界の壁を超えていると言う事ですから、難解で捗らず何時までたっても進まないC++は、ひとまず休んで、折角買った
MicroSoftPressの、内容も重量も定価もデラックスな「VisualBasic・テクニックライブラリー、750P」「同・スーパーテクニック、800P」を読み直し、必要になれば挑戦するとしても、かなり奥が深く道は遥か彼方です。
やればやっただけの事はあるのでボツボツやりましょうか。
3月は行事もシーズンオフなのでシステムの再構築をしようかと思います。
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