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 週日 すけっち 
1.1
新年


21世紀の幕開け。背景は
「ランの館」の胡蝶ラン。
IT予算も起動するようですが、どれほどネットが普及するでしょう。
ケーブルネットを大いに活用しようと思います。ダイヤルアップの時代は終わりです。
しばらくはホームページ対応のためプロバイダーもWになります。
システムのグレードアップに応じて、内容も当然アップしなければなりませんが、これが、ひと思案でしょうね。
これからは、何事も熟慮の上、勇気を以って決断しなければ取り残される事になります

1.4
今年の三ヶ日は天気が悪い。


一日は寒風吹き荒れ、二日は曇り、三日は、再び雪混じりの強風。
尾張西部は、関ヶ原からの隙間風で名古屋は雪が無くても、稲沢を過ぎた頃から雪景色になります。
名古屋より数度は気温も低いので、名古屋から一宮に帰りプラットフォームに降りるとハッキリわかります。
今日も雪が舞っています。そういうことで1.2日は
「箱根駅伝」「新春桧舞台」、夜は歌舞伎座からの三津五郎襲名など、日本の古典芸能をタップリ見ました。今年は、もう一歩「古典芸能」に踏み込んでみようかなと思います。
それと、このコ−ナーは、もう少し
「コラム化」しようと思います。「天声人語」「中日春秋」のような高尚な事は書けませんが、多少、長文になると思います。
タイトルも
「週日すけっち」とします。多いに偏見を含んだ勝手な事を書きますが、反論を受けても戦う気は全く無いので読み流して頂けば結構です。
「日々すけっち」は、掲示板に断片を書きます。

1.7
歴史証言の年齢


私は、2月3日で65才になります。
65才と言う年齢は人の生涯の内では、色々な対象になる年齢です。
サラリ−マンは定年延長や嘱託になっていた人も、リタイアする頃でしょう。
年金は国民年金は満額支給開始になります。これだけでは、とても自立はできません。
私の場合、それ以外の収入の有無は申し上げません。
色々、偉そうな事を言っていますが、正体は「裸の王様」だからです。
自分では痩せ我慢ではなく衣食住は身分相応に足りていると思っています。
ローン社会の現代。負債ゼロというのがせめても気楽にしていられる大きな要因です。
JR、名鉄の駅へは800メートル。名古屋へは快速11分(¥290)に住んでいます。
車は、やめて一年になりますが不自由は感じません。
23万中小都市ですが日常生活の面では恵まれています。
ただ、文化、学習面や専門資料の取材では不足で名古屋へ行く事になります。
名古屋は私の育った所で、偉大なる田舎都市と言われますが私には魅力一杯の街です。
まだ知る事は多くあります。「名古屋お宅」の私です。
さて、この頃、昭和初期生まれの方が亡くなる年齢になりました。
苦難の時代の人達ですがそれだけに激動の時代の証言者です。
その方達の多くの体験が亡くなることによって消えて行きます。
なかなか自分の手で、自分の事を纏めるのは大変な事で、そのうち、そのうち、と思っている内にやりっぱなしになりがちです。
亡くなってからハッと、その周囲の人達が残された資料を見ても取り付くしまもない事が多いと思います。
そういう話を聞くと、自分も後の世代の為に、できるだけ解りやすいように整理をしなければいけないと思います。
それも65才からの仕事でしょう。私の知った戦友会の皆さんも、現役引退後、戦記の執筆、慰霊などに尽くされました。
老いた方達の後姿に、私は戦場体験を、しつこく尋ねる事はあまりに哀しく出来ませんでした。
それぞれの年代には、それぞれの歴史があります。無駄になるかどうかは後の人が判断します。
それぞれの歴史を伝えて行く事が、限りある命の証となるでしょう。

1.11
レコードコンサートの森一也先生


レコードコンサートを知っていますか。
近頃は、CDライブとか、ビデオライブとかがあるようです。
私が、レコードコンサートに出かけていたのは昭和30年の頃です。
会場は一宮市内の剣正寺幼稚園の講堂でした。冷暖房はありません。
冬の記憶が多いのですが、何故か、夏の記憶がありません。
印象に残った曲の多くが、冬に聞いた曲が多かったからでしょう。
解説をされたのは、当時、一宮に、お住まいの、森一也先生でした。
当時は作曲活動をされ
「共同募金のうた」は多くの人が歌いました。
「とんぼが見送る赤い羽根 とんぼも秋の赤とんぼ
 どこかで誰かが 呼ぶような 気がしてならない 秋の空

 イロハニホヘト アイウエオ ABCD 赤い羽根」。
知っていますか。多くの人達が歌いました。
その後、先生は評論家として活動され、お住まいも名古屋に移られました。
今は、どうしておいでかとインターネットで検索しました。
先生は名古屋市瑞穂区で ’98.2.1 、82才で亡くなられたことを知りました。
当時、私が出かけた真冬の会場では土間に並んだ木の椅子に2時間近く座っていると、底冷えが足元から沁み上がり、震え乍ら流れる曲に聞き入っていました。
恐縮したのは先生の姿でした。先生は舞台の中央の演壇に立ちっぱなしで、「交響曲」の場合は、展開部は両手を大きく広げ、テーマ毎に指で1、2、・・と知らせて下さるのです。
その頃の、レコードコンサートというのはLPやEPによるものです。
舞台の両側に大型のスピ−カーを置きレコードプレーヤーとアンプがセットされます。
私は、このレコードコンサートで初めてベートーベンの「第9交響曲合唱」を聞きました。
ブルーノワルター指揮ニューヨークフィルの演奏でした。
どうしても、そのLPレコードが欲しくなり、ラジオにつなげる小さなプレーヤーを買い、高価な、そのLPを買いました。
繰り返し、繰り返し聴きました。今でも、殆ど暗誦しています。
EPは「エリーゼのために」リスト「愛の夢」を、部屋を暗くして聴きました。
チャイコフスキーの「アンダンテカンタービレ」グリーグの「ペールギュント」シベリウスの「「交響詩フィンランデイア」など、数々の名曲を知ることができました。
クリスマスの曲では、エセルスミスのハモンドオルガンによる「クリスマスキャロル」。
ウイーン少年合唱団など、戦後、初めて日本に来演する数々の音楽家を紹介されました。
近頃は、演奏家の来日は日常化しましたが、当時の暮らしの中ではは大きなカルチュアーショックでした。
先生はカラヤンに傾倒しておられ、来日した折、名古屋駅の雑踏の中で、持参したLPのジャケットにカタカナで「カラン」とサインを貰った事をおりある毎に話されました。先生の自慢でした。
レコードコンサートは、夕方からで、仕事の帰りに行き、空き腹と寒さの中で美しい旋律に酔いしれていました。
誰でも知っている曲でしょうが、私の貧しい感性の一端に情緒を与えて下さった先生でした。
大きな恩義を感じています。
寒い季節になると、何時も思い出す、若い頃の体験です。

1.16
グレードアップ


2000年は、一応、HPもそれなりに体裁も整ったようだし、コンピュータの自作も経験したので、グレードアップと、それに伴う自分の対応を考えることになります。
これが簡単には行かないでしょう。アマチュアの段階を超えて専門領域に入るからです。
ハードはお金を掛ければ、かなりの所まで、プロ並の事が出来る環境が整って来ています。
人間の能力はそうはいきません。牛歩どころか亀さんです。
幸い時間はありますが、脳味噌が受け入れてくれません。
コンピュータの操作は、初めは、やりまくっていれば慣れてきます。残念ながら、私はブラインドタッチが出来ませんが、これは音声入力とか文字認識、ペンタッチなどで、かなり救われる段階に来ています。
結局、これからは人間の感性とかセンスというアナログな世界になるので、それを認識してくれる所までは、まだコンピュータは対応してくれません。
多くのホームページが、ある段階まで来ると止まってしまいます。これは自分の能力と比例します。
これは稽古事にも共通します。無限に進歩するものではないので、進歩が止まった時には休む事も必要です。
放電しっぱなしでは消耗してしまうので充電しなくてはいけません。これは当たり前な事です。
止めてしまうのではなく、テンポを緩めればいいのです。
インターネットの接続も常時になると、これが、ごく自然になります。変則的な時間に規制された事が、いかに馬鹿げた事かと思います。
趣味とか、マニアックな事だけでなく、生活に活用する方法を見つけて、何時でも気軽に利用できる状態にしておき、ごく自然な状態でスイッチオン、目次(お気に入り)から、即検索、個人利用できるデータベースをを活用しましょう。
基本料金など、ある程度コストが懸っているのですから、それだけのメリットがなければ無意味(損)です。
それぞれの人の生活に合った利用の目的と手段を考えましょう。
そういう私も、これから考えます。

怪しげなメールが、時々入ってきます。
差出人名無し(間違い無くウイルス)。幸福のメールと称する、多数の発進先ファイル添付付き、など。添付ファイルは残念ながら開けられません。折角の機能が使えないのは残念ですが止むを得ません。
掲示板でカバー出来る所はそれも一案でしょう。常時接続でなければ、接続したまま書き込むのは料金が心配ですから、メモ帳で作っておいてコピーアンドペーストで書くか、オフラインで書いてから接続する事になります。仕方ないですね。

1.20
寒さを避けて

18日、寒気が緩んだので名古屋の覚王山へ墓参り。
途中、釈迦殿参道にある「福沢桃介碑」と「西川鯉三郎碑」の碑文を撮影。
歩いて行く途中、立派な「岸沢式右碑」なるものを見る、大正七年建之。
岸沢式佐は芸能史にあるが式右は見ない。両脇の石灯篭に式右研究会と
あるが、離合集散の多い芸能界の内の一人かと思う。
先祖の墓参の後、城山から本山を歩く。一時間くらい。
この辺りは風致地区で景観と環境は良い所が、丘陵地で自転車ではきついだろうな。


地下鉄で栄、中区役所市民ギャラリーで開催中の「二十世紀の建築文化遺産展」を見る。
展示は「20世紀の名古屋の建築」「鈴木禎二、生誕130年記念建築展」
「鈴木禎二と同時代を生きた建築家展」「名古屋の建築設計競技展」「都市へのまなざし」。
明治大正から現代、未来に亙る建築設計の写真、
模型、理念などの展示。
古い写真が大量に有る事に驚いた。
名古屋の空襲は虫食い状態だったので、新聞社など、有るところには残っていたのだと思います。

名古屋の空襲は、アメリカ軍も爆弾が乏しくなってきて、焼夷弾と爆弾を混ぜこぜにして投下したと聞きます。
それで、今でも、そこかしこに
戦前の町並みが残り、祭りの山車も残りました。
鈴木禎二さんの建築物は、市街中心部に集中的に建てられ、今も現存しています。
鶴舞公園の噴水や奏楽堂のようなモニュメントもそうです。
鈴木禎二は夏目漱石の義弟で、工業学校の教育者でもありました。

一宮の市役所と東海銀行(現、市役所西庁舎)もそうだと知りました。
ビデオコーナーで15分ほどのものを4本。
休憩も兼ねて見ました。しっかり取材してありビジュアル時代の威力を感じました。

何事も、どう活用するかは人次第ですね。
熱田神宮で開催中の「祭りと年中行事」にも行こうと思っていましたが、以前、名古屋博物館で見た「尾張の天王祭り」と重複している所が 多いので、行きませんでした。
先人の業績を次世代にジョイントするのが、今、生きている私達の役目でしょう。

1.24
「題名の無い音楽会」二十世紀名曲30(順不同)
リンゴ追分 春の祭典 交響曲第五番
マーラー
打楽器とチェレスタのための
音楽
ウエストサイド
ストーリ−
荒城の月
故郷 春の海 ボレロ トウランガリラ
交響曲
  交響曲第五番  
ショスコタービッチ
ラプソデイ
インブルー
赤とんぼ 交響楽のための
レクイエム
涅槃交響曲
ピアノ協奏曲
ラフマニノフ
イマジン イエスタデイ A列車で行こう サマータイム
風と共に去りぬ 枯葉 センチメンタル
ジャーニー
スターダスト ラクンパルシ−タ
ラブミーテンダー
ピギンザビギン イエスタデイ
ワンスモア
上を向いて歩こう 青い山脈

選考 池辺晋一郎、阿久悠、宮川泰、岩城宏之、瀬川昌久、羽田健太郎の諸氏。
現在の人気にとらわれず、100年後も残っているだろうと思われる、長いスケールを考慮した結果。
         来週28日から順次放送されます。あなたのお好みは・・・。

1.25
さらばNTTか


プロバイダーをCATVネットにしたので、二十四時間接続状態です。
HPは容量制限のため、別のプロバイダー利用なので
httpの変更はありません。
Emailは変更しました。お伝えしていない方には変更を、お願い致します。
Emailアドレス hiroo@icc.aitai.ne.jp です。よろしくお願いします。
従ってアップ、ダウン共、時間規制はありません。Mailの発進も同じです。
ピーギャーという嫌な音とは縁が切れました。
NTTの契約は基本料金と通話料だけで付加契約はすべて廃止しました。
来月からは請求料金がいくらになりますか。
CATVは月¥6000です。高いかどうか。出始めたADSLはプロバイダーを含むと同じ位のようです。
スピ−ドは電話線使用ですからCATVよりは遅いし、ISDNのターミナルとは別の物が要ります。
CATVネットも、今は10BASE(と思う)ですから、動画はまだ不充分です。
どこかでテスト中の、光ケーブル高速回線は100BASE(と思う)で、映画なども、そのまま見る事が出来るようですから、そこまで行くのでしょう。料金が¥10000を超えると言っていますが。
すでに、LANカードも対応済みですから、NTTが電柱と回線を開放する事がIT普及に欠かせないと伝えられています。
NTTも、宝を出し惜しみしないで株主の為にも前向きになって欲しいものです。
社員も大事でしょうが赤字経営では本末転倒です。
大損している株主の為にも、次世代の社員の為にも・・・。

1.30
誰が後を。


もう、自己投資を考える年齢ではないので、今、やっている事を、誰か引き継いで、やってくれるかなという事を考えます。
昨年来、コンピュータのグレードアップをしようと思っていますが、無駄遣いになってはいけないという気持ちが起こります。
メーカー製は買いません。自作です。自作の良さはパーツの一つ一つが独立しているので、入れ換えが可能である事と、中古として売れるからです。無駄になりません。
過去の経験では、メーカー製は、一応保証期間はありますが、これだけハードの仕様が変わると当てにしてはいけません。
ある程度、キャリアを積んだら自作の道を選ぶべきでしょう。
中古部品は、まだ、中小メーカーの古い機械に使われていて需要が、あるからです。
まるごと、ゴミにしてしまってはいけません。
ところで、その後は誰がやってくれるかです。まず、奥さんがインターネットのメール位はやるでしょう。
計算高い人ですから電話より安い事に目を付けない筈はないでしょう。
息子の世代は当然として、孫が使うでしょう。現在は、名古屋の外孫ですが、五才にして、既に幼稚園でパソコンと英語をやっています。まだ、ローマ字変換は出来ませんが、親経由でメールをくれます。
三才の妹も送ってきます。マウスの操作もスイスイ、クリックも問題無し。
四,五十代の人に無理矢理薦めるより教える方も楽です。
これなら、投資しておいても無駄にはならないだろうと懐具合を計算しています。
とにかく、わが年齢では所得が乏しいのですから、色々算段しながら、それでも、立ち止まってしまうこ事は、いけない事だと、自分に言い聞かせています。

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