12.1
再び年末
バックは名古屋栄のセントラルパークのイルミネーション
名古屋駅前、柳橋、納屋橋、堀川沿い、広小路、栄周辺は光のプロムナードに彩られます。
華やかさと、年末の寂しさが交差する年の暮れです。
ひったくりや、路上強盗など、心すさんだ人達の心が鎮まるよう想うばかりです。
12.2
伊能忠敬、日本一周ウオークラリー
12、1。全国一周伊能忠敬ラリー隊が一宮入り。12、2。AM 9,00。名古屋に向けて出発しました。
名誉隊長、加藤剛さん出席のもと、出発式と、裁判所前と、稲沢赤池の佐藤桜前でビデオ撮影しました。
稲沢までの見送り隊 6.9Kに同行しようと思いましたが、ビデオ撮影とは両立出来ないのと、明日は、名古屋の「ふるさとの風流、歌舞伎」に行くので、風邪をひいてもいけないのでやめました。
記録はまとめて紹介します。
「さくら道」ゆかりの名金線が廃止の報道。
佐藤良二さんのお姉さん、尾藤てるさんのコメントが今日の中日新聞に掲載。
良二さんの遺志を継ぎ、一緒に桜の植樹をされ、たご主人の帝さんが今秋、亡くなられたとか。
「さくら道マラソン」の白鳥エイドにも、よく姿を見せておられましたが寂しい知らせです。ご冥福を祈ります。
12.3
ふるさとの風流と歌舞伎
愛知県芸術劇場大ホールで開催された催しに行ってきました。
往復はがきで申し込み、当選した人が入場出来ますが、当日、10時30分からの指定席券を受け取りに行きました。10時に行きました。「まだ早いかな」と思っていったら、もう長い行列が出来てました。30分待ってから券を受け取ったのは、その30分後の11時、前から12番目中央の絶好の席が取れました。
奥さんと行く予定が行けなくなったので、一宮の民俗芸能「住吉踊り」保存会の後藤さん(白鳥徹夜踊りに一緒に行った)と、12時過ぎに入場。
愛知県三河の「大海の放下」「綾渡の夜念仏と盆踊り」長野県小県郡東部町東町歌舞伎「伽羅先代萩」(御殿より床下まで)を2時間35分拝見しました。
司会はNHK「芸能花舞台」など日本芸能の司会で、お馴染みの葛西聖司アナウンサー、解説、三隅治雄(芸能学会会長など)景山正隆(元東洋大学文学部教授)さんなどでした。矢張り、こういうものはビデオより生が良いなあ。
帰りがけ、夜の部の解説をされる安田文吉(南山大学文学部教授)さんと、ちょっと立ち話。
北区の孫の家へ寄ってから、栄から名古屋駅までイルミネーションの光のプロムナードを散策。写真はデパートの前一面のクリスマスツリー。
古典と現代の両方を味わった一日でした。
12.6
24時間接続
変則的ながら、ケーブル接続。ダウンロードが、いつでも気楽に出来るというのが、これほど楽だとは思いませんでした。ダイアルアップはテレホは、もうやめて i・アイプランにします。プロパイダーによっては、デイプラスという昼間限定というのも有るので低料金の方向に向かっています。
IT予算も通過したようなので公民館でも対応するように何か言ってくるでしょう。
情報発信の場がますます広がりますが、それだけに、いい加減では済まされなくなるでしょう。
12.8
12月8日は
12月8日は、どうしても大東亜戦争(太平洋戦争と言うようになったのは戦後)勃発の日。
明け方6時30分頃、名古屋の家のラジオで聞いたような記憶が、あります。私は6才でしたが、それから、4年の間に私の周囲の環境は大崩壊しました。
最近では、神戸の大震災の直後の姿が、オーバーラップされます。あの地震の後、火災で燃え尽きた地域が、空襲直後の何もかも燃え尽きた様子と同じです。普通の火事の場合は、焼け焦げた柱などが残りますが、空襲の後は見渡す限り一面の灰野原になります。それほどの広域大火災が、燃え尽きるまで放置されるのですから、何一つ、残りません。神戸も、人諸共、燃え尽きた地域がありました。
広島、長崎は、高熱で人は蒸発し、影だけが焼き付けられたのです。
12月8日の開戦と、8月15日の敗戦(終戦というのは、ごまかし)の日は、日本人は忘れては、いけない日です。
J.レノンが、銃弾に倒れたのが、同じ12月8日という事を知りました。もう、20年になります。
平和を願って作られた「イマジン」がラストシーンに流れ、私に大きな感動を与えてくれた、映画「キリングフィールド」を、昨日、改めてビデオで見ました。カンボジア内戦を背景に、アメリカ人ジャーナリストと、カンボジア人、助手通訳との人間ドラマです。アカデミー賞を多く受賞した2時間30分の大作です。10年ほど前の作品です。
8年前に結婚した、娘の結婚式花束送呈のBGMに流してもらいました。
世界の人達と共に、平和な毎日が送れるように願っています。
12.11
アメリカの空から今日は
アメリカ、オレゴン州の人からメールが入りました。「やつさか」とは何かというお尋ねです。「八つ坂」は白鳥おどりの唄の一つです。
「SAKURA.PRESS」という、英語のカルチュア(だと思う)HPを持っておいでの日本女性の方からです。
私のHPの中の「白鳥おどり歌詞七曲」から白鳥町HPの、イベント情報、白鳥おどりサンプリングデータなどを紹介しました。フォークダンス仲間の方達が、踊るために曲との関連を知りたかったそうです。
「よくわかりました」とお礼のメールがありました。
海外とのリンクは始めてでしたが「インターネットの世界は一つ」という事を実感しました。
12.12
名妓連が解散
戦前からの芸者さん達から引き継がれてきた、名古屋の芸妓さんの組合が年内に解散。
ベテランの人達も遂に引退とか。若い人達と共に、年明けに新発足と伝えられますが、現在の30人から、20人ほどになります。バックアップしてきた「伝統芸能振興会」の財界の皆さんの引続きの協力が無ければ、存続は難しいでしょうね。伝統の「名妓おどり」も今年は開催されなかったとか。
「正調名古屋甚句(踊りも)」を見る機会を、もっと作って欲しいものです。
レインボーホールで撮影した踊りは、貴重なものになりました。
踊りの巧い、若い芸者さんも、いますから是非、大勢の人にも接する機会が増えるといいと思います。
12.13
各務ヶ原ビデオサークル
10日、午後、AV技術の下和田さんと、今は閉鎖された、かっての名門毛織工場の「のこぎり屋根見学会」に参加。70年の歴史を終えた廃工場に、時代の流れの侘しさを感じました。
誘われて、夜、各務ヶ原ビデオサークルの例会に行きました。ビルの一室の視聴覚ルームは、天井にプロジェクターがセットされ、別室からコントロールされます。壁面に埋め込まれたステレオスピーカー、スクリーンは、壁をスライドすると現れます。各務ヶ原はハイテクセンターもあり、航空産業で発展してきた地域で「それだけの事はあるなあ」と頷きます。
ここには、「村国座」という重要文化財の芝居小屋があると教えられ、知らなかった私は、早速、インターネットで調べて見ました。立派なものです。10月に「子供歌舞伎」などが上演されるとの事。
是非見てみたいものだと思います。やはり、違った土地へも行って見るものだと感じました。
12.16
演劇の観賞料金
御園座の一月から6月の公演の案内が新聞に載っていました。
松平健、藤あや子、里見浩太郎、杉良太郎、細川たかし、などは、芝居と歌のショー。
4月は若手歌舞伎(橋之助、染五郎、扇雀、かん(字が無い)雀など)。
料金を見ると、上席は¥15800と¥14800の2種類。製作は「歌舞伎」が松竹以外は御園座企画。
商売になるのは「歌舞伎」以外でしょうか。確かに「歌舞伎」は空席が目立ちます。
芝居見物の動員は後援会と団体(商店街などの顧客サービスなど)さんが固い商売と思われるので「歌舞伎」は、どうも避けられるようです。
4月の「歌舞伎」は一番安い¥14000になっています。学生席はピチピチギャルが大勢います。
幕間はロビーは階段まで一杯でスナックやアイスクリームを食べています。
いわゆる上客様は芝居弁当や名入りのお土産を買うプラス@のお楽しみ。かなりの出費です。
一般の人には、「ちょっとね」という感じ。
25日の出張公演はコストも高く、なかなか安くはならないようです。
東京は殆ど毎月「歌舞伎」公演が、どこかでありますが、役者や地方(演奏家など)も自宅から通勤できるので、その差が大きいでしょうね。
安田文吉先生が「歌舞伎研究会」で学生を動員。歌舞伎フアンも、かなり増えてきたようで、私も招待券が毎度は頂けなくなってきましたが、いろいろな人たちが伝統芸能に関心を持って頂ければ結構な事だと思います。
12.19
太平洋戦争と日本人
NHK教育TV「ETV2000」で18日からのシリーズです。
「またか」と思われるかもしれません。私も「もう、いいか」と思いますが、見ることになります。
録画をしておき、後から、ゆっくり見ます。
第一回は「一銭五厘たちの横丁」庶民にとっての戦争。
浅草の一角の下町の人達の昭和18年頃に写された99枚の写真の話です。
出征した人達に送る為、写した家族の写真の人達の、その後のレポートです。
私には実感として伝わって来ます。
「日本中が皆そうだったのだから仕方が無かったが、二度と有ってはならない事だ」
と、あきらめの言葉が返ってきます。当時の幼児も、今や65才以上になっています。
必死になって生きた姿は子供や地域の人にも伝わり、それなりに連帯感のある人生を送っておられるようです。
戦争の後遺症は、まだ尾を引いています。
近頃は「古代史」ブームですが「近代史」をもっとよく知る事も是非、必要です。
20世紀(100年)の出来事を知る事が、今の自分を知ることに繋がるからです。
今、問題を起こしている世代は、戦後の、高度成長、物欲がすべての時代を経過して来た人達と家族だと思います。それは苦楽を共にしたという連帯感が無いからではないでしょうか。
「個の時代」とはいえ家族までが「個」になってはいけないと思います。
今、それが大きなアンバランスになり、目的を失う「さまよいの時代」だと思いますが、世の指導者には大きなスケールの目標を示して欲しいと思います。
政治家は多少「ホラ吹き」くらいでも良いと思います。
この頃、気が付くのは近隣市町村の情報や交流が無い事。
それぞれの領域を越えてはいけないという、不文律があるのでしょうか。
財布が別だから一緒に仕事は出来ないという理屈があるようで、文化活動も小さなスケールのままで発展しません。
ベンチャー企業はオープンでないと発展しないという時代ですが、まだ政治の世界は闇が多いのでしょう。
シリーズは七回、「さまよい」の目を醒ます為、続けて見ようと思います。
12.20
テレホはやめた
24時間接続状態になったのでテレホはやめました。
先月のテレホ実料金は¥1980。iアイプランにしました。これでも、かなり余りそう。
矢張りインターネットの問題点はダウンロードです。アップは、よほど大きなデータでない限り、あっ
という間に終わります。
ケーブルネットによるダウンロードは本当に早いです。ISDNは知りませんが、Yahoo のアンケート
でもダン突の人気というのが納得できます。動画や音声も待たされません。
前から言われていたADSLが急に出てきました。NTTが、後れを取るのが怖くなって慌てて持ち出した感じ。
所詮は電話回線なので光ケーブル普及までの繋ぎと思った方がいいと思いますがISDNを導入し、まだモタ
モタしているのに態勢は整っているのかなと思います。
ケーブルのおかげで沢山のHPを見てますが「さわり」で終わるのが多いのも確かで、私も「バブル」に
消えないよう心掛けなければと思います。
12.25
アメリカのITは
ナスダックの株価が急降下。ウインテルの勢いも鈍った模様。Windowsの売れ方もMeが一般ユーザーでは区切りのようです。
インテルもCelelonでは利益が出ないので、出荷調整で利益の多いPentiumを買わせようとの戦略だそうで、全体の売れ行きダウン。アメリカではコンピュータの売上が半減との報道です。もう次の段階に向かって行くのでしょう。
私も24時間ケーブル接続状態にしましたが、これがアメリカでは当たり前の状態なのでしょう。
まだ私の周囲ではネットワークと言えるものが機能していません。孫の幼稚園ではAptivaがズラリと並んでいます。
まだ、親経由でリンクしてますが写真など送っています。私も行動が鈍くなってきましたが、それだけに発信ばかりでなく、素敵な情報を送ってくれる年代を超えたネットの構築が欲しいと思います。
12.26
降る雪を眺めながら
20日頃から食欲不振気味、21日は孫の「おゆうぎかい」のビデオ撮影の為、名古屋北区役所ホールへ10.00から2.00まで出張。23日も、そのままの状態でしたが風邪のようです。
それで24日のセントラルパークは行きませんでした。近頃は、名古屋も、あちこちでサロンコンサートがあります。NHK、ナディアパーク、ランの館など、いつもはあるTV中継も日曜のせいか有りませんでした。
昨日だったら、突風と寒さで中止だったでしょう。
ビデオ撮影も、かなりハプニング絡みで運が伴います。
後から見ると、我乍ら「よく撮れたなあ」と思う事ばかり。
アマチュアは演出は無いので、正に「一期一会」です。又、今度という事は、もう無い年齢です。
外の雪を眺めながら、続いている教育TV「太平洋戦争と日本人」シリーズで多くの人が語られているのを見て、私も「自分史戦後編」の空白を埋めなければいけないのかなと思います。
12.28
年賀状の先生
図書館で、いつも年末に近くなると版画年賀状の講座を開かれる、元中学、短大の先生に会いました。
「今年は年賀状の講座は開かれました」と訊ねたところ
「この頃は、皆さんワープロ年賀状が殆どで、私は色々考えて差し上げるのだけれど、頂くのは、プリンターや印刷が殆どで、チョットやる気を無くしました。今年は講座は開きませんでした」
との、おはなしでした。先生は一宮マイコンクラブ(20年くらい前)のメンバーで、私も一緒に勉強した仲です。
デジタルとアナログはきちんと区別して、味の有る、多趣味な方です。
私も版画年賀状は永く続けましたが、残念ながら、同じように一方通行なので疲れてやめました。
50枚位作るのに、3日程掛かります。先生はインターネットもされますが「何か気ぜわしく、煽られるようで控えています」と言われました。わかる気持ちがします。
この間も、ある機会で名前を見かけた、元マイコンクラブのメンバーで通信に詳しく、就職先ではナビゲーションの開発で張り切っていた若者が、土地家屋調査士で自営という噂を聞き、挫折したのかなと気に掛かっています。
環境の変化が余りに目まぐるしく、混乱しているのです。
コンピュータ初期は、正規な教育機関も無く、我流のプログラマーが多いので、古いシステムが動いていて、標準仕様を求められる現場では、はじかれるといわれます。
12.30
行雲流水
昨年末、完全廃業して一年が経過しました。一年経つと気持ちも変わります。
町内の役を命じられて一通り、役は果たしましたが、まあ、よく動けたと思います。問題も無く、年を終える事は有り難い事です。年末年始を迎えても、仕事の切り目も無く、来年の抱負もありません。従って金銭の流れも有りません。
楽というのか、張り合いが無いというのか、余程考えて暮らさないと無意味な毎日になります。
平均寿命77歳と言われますが「役立たず」では、無駄に人様に負担を掛けるだけの毎日に、なってしまうので、そうならないよう心掛けなければと思います。
流れには乗らなければなりませんが、流されてはいけないと自分に言い聞かせなければ・・。
今年のスケッチは、これにて終わり。新年は多少の衣装替えをして開きます。
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