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戦争展
今年も「あいち・平和のための戦争展」が名古屋市公会堂で開催されています。
一回目は’92年、名古屋市市政資料館でで開催され、その後は、名古屋駅前「中小企業センター」に移りました。今年は17回目です。
公的な「戦争資料館」建設は未だ実現されず収集された戦時資料は埋もれたままで忘れ去られようとしています。今年は、第1回に発行された記録集(85P)が追加資料も含めCD化されました。
今や「戦争展」を訪ねる人は八十才を過ぎた実戦体験者と、七十才以上になる空襲体験者・遺族となり体験者同志のその場での同窓会のような形になっています。展示資料もマンネリ化は免れず、新しい資料の発見も難しくなりました。公的機関も出し惜しみをするように発表をします。さすがに沖縄の軍の命令についての教科書記述は沖縄県民の凄まじい反発に会いました。
実体験者の孫の世代、高校生や中学生が訪ねてくれるのが何となく救われるような気持ちです。
私が、昭和63年(1988)父の戦死の詳細を知るべく訪ねた松坂屋本店での「戦争展」は「鎮魂外地に眠る兵士たちの詩」展としての開催で、主催・中日新聞本社、外務省・愛知県・岐阜県・三重県・名古屋市・各教育委員会の後援でした。公的機関が関わる戦争展はこの年が最終ででした。
今、開催されている「戦争展」は、17年目という事ですから3年間空白があったことになります。主催団体は「あいち・平和のための戦争展実行委員会」となり、市民団体や空襲を記録する会など40団体によっての運営に変わりました。つまり公的機関は関わらないという姿になりました。
昭和は終わり「戦後処理は終わった」という事なのでしょう。二十年前になりますが、そういう雰囲気が感じられる風潮がありました。「いつまで過去に捉われるのか」という雰囲気は家庭内にもありました。世代交代期でもあり「忙しい経済成長期に年寄りの愚痴話など、もういい」という歴史の断絶期がありました。「戦争展」も、戦争肯定派が同じ会場に別展示した事もあります。
戦争の醜い歴史は日本だけの事ではありません。欧米列強のアジア諸国への侵略は酷いものでしたが日本も便乗しようと企んだ結果はそれ以上に酷いものだったと、今尚恨みが消えません。
TVでは、この時期になる各局が戦争ドキュメントを放送します。NHKは戦争証言として、インパール作戦・ペリリュー島・ガダルカナル島・沖縄・マニラ市街戦・ピアク島での当時の前線兵士を取材、生の体験談を放送しました。今や、八十才を過ぎ、生き残っておられる方を探すのも難しくなりました。
ジャーナリストの間接取材では得られない実感溢れる証言です。いずれの証言でも言われるのは上層部の現地の実態を知らない無知無能な命令だったという事です。
現地民の無抵抗を幸いに、南はニューギニア、北は満州まで武力侵略し、あたかも夢の世界が実現したかのように宣伝しました。それは砂上の楼閣でありました。
前時代の兵器と輸送路を絶たれた前線兵士は近代兵器と物量を誇るアメリカ軍に無残な末路を晒し「玉砕するな、あくまで徹底抗戦せよ」と、生きながらの地獄を強制されました。闘う事無く、餓死・自決などで消耗した遺骨は山野に今も晒されたままです。
今の親世代は子供に伝えられないというジレンマがあります。実体験が無いからです。
「原爆体験」の語り部も世を去っていきます。いまが生の体験談を記録しておく最後の機会でしょう。
私は、ビデオと体験記録をCD・DVDにしました。いつかは見直される時期もあるだろう。その時の為にと作りました。追加修正も続けます。大岡昇平さんが生涯「レイテ戦記」の追加修正をされたように・・・。
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