トップへ

 出来町(西之切)龍神太鼓・人形 
延宝二年(1674)に産宮参(うぶみやまいり)の車として作られ明和九年(1722)に河水車となった中区住吉町の山車。
昭和二十二年(1974)に出来町が譲り受けました。
雲龍図は張月樵(1772〜1832)の下絵と伝えられる。
展示された龍神太鼓と人形 可愛い顔
横顔 髪はかなり傷んでいます 金襴の能装束 火焔と日輪が中心上部に
太鼓横面の雲形 龍図 木地に漆で描かれている 人形が中に納まる
←太鼓は糸を引くと開くと思われます。
収まっている人形は、太鼓下部の↑切れ目から引く糸により立ち上がり、飛び出すと思いますが見た事は無いので想像です。
太鼓は前後が開く 糸からくりで飛び出すが今は動かない
太鼓内部は真鍮で造られ表面に檜の薄板張り、そこに雲龍図と雲形が描かれています。かなり絵に細かな亀裂が見られ、下の木地が見える箇所もあります。
人形は写真の通りですが。地毛は黒い人毛で、その上に赤毛を被っています。当初はもっと長かったのではないかと思います。
頭に載っている龍頭は右半分だけです。右手に勺杖を持つ穴がありますが勺杖は無いようです。
河水 能楽・室町時代末期の作品
物語の大筋は次の通り。
 大河が干上がる災いに苦しむ震旦の国。河の源に虹が立つ時、その理由を語る者が出現するという霊夢を見た帝王は、第三の王子の養育係である仙人を深山の中にある河の源にさし向ける。奥山の水源に着いた仙人はそこで龍女に会い渇水の理由を知らされる。
 龍女「我この河の主なるが、ひと年帝この所にて河逍逢し給いし時、その三の王子を一目見奉り、わり無き恋とはなりたる也。それより想い止む時なく、心の乾きは水を干し、河水を止めしは我龍女」と語り、王子との結婚で雨を約束し、罷女は姿を消す。
万民のため龍女の申し出を受けた王子との結婚ができた龍女は約束通り雨を降らす。

 

トップへ