コシタさんからのプレゼント |
初マラソンを走る会十周年記念誌を読んで
(コシタさんから寄贈)
面白いのと同時に密度の濃いあきれた文集です。この文集はコシタさん在籍の名市大の「初マラソンを走る会」というランナーズクラブの十周年記念誌です。
「2000さくら道ウルトラマラソン270K」の行われた4月30日、一宮裁判所前エイドステーションを設置していた私に下さったものです。
私は走る人ではありません。今から走ろうとも思っていません。
なぜエイドステーションを設置しているのかは「さくら道と私」に書きました。「街歩き」は古い町並みや歴史を知ることは好きですからビデオ片手に一人、または仲間と活動しています。ただ時間がかかるのと誰彼無しに話し掛けるので制限時間無しになります。ですから奥さんは附いてきません。それと取材漏れに気が付くと何度も同じ所へ行くので遠いところへは行けません。交通機関が不備な所へも行けません。面白くないと行きません。贅沢なのです。まあ狭く深くということになりますか。
それで、この記念誌の巻末にある復刻版の「旧街道を走る」は面白く拝読しました。コシタさんの緻密なデータと、走って距離が稼げるメリットがあって「いいなあ」と思います。ビデオの記録も付いてさすが「文科系ランナー」を名乗るコシタさんの面目躍如振りが覗えます。
本誌のメインである十周年(さくら道は七年です)へのメッセージもそれぞれ、個性溢れる文章で職業柄、専門知識や年輪を包含したユーモアあり、学術的?データありの文集です。
ただ走ることのみでないところが良いですね。
わき目もふらず、只、走る段階を超えて、楽しく走る境地に達した「走る仙人」を羨ましく思います。コシタさんは今世紀中に日本縦断を完成するようですが、その後は?といっておいでですが未来に向かって走るのは過去を走るより難しいと思います。
私は今、それで、うろうろしています。
どんどん消えていく街道や建物、行事が未来にどうリンクしていくのか、難しい所に来ています。
それにしても、身体を傷めながら毎週、毎週レースに関わる方達、どこかで思考を切り替えないと危ないのではとハラハラしています。
仙人のような走りが出来るといいでしょうに。
ワープという術があるそうですが、人生はそういうわけにはいかないです。
「早く大人になりたい」とか「若返りたい」とか言っても無理ですからね。
年少のうちに詰め込んでも途中で「キレタ」なんて困ります。
年取ってから、時間が出来たからと勉強しても実益はまず無い事が多いです。
便利な道具が沢山できて、ある程度はこなせますが人力は絶対欠かせません。
プログラムなんて手作業の累積だと思います。
何とか、かんとか言いながら同級生は、どんどん今年、六十五才に達しています。
早く亡くなった私の両親はワープしたまま帰ってこなかったのでワープも考え物です。
自分の意志では勿論なかったのですが・・。周囲の人が困ります。
「長生きすればよい」とも思いません。現実には知恵と経験だけが残り、体力や発想は完全に衰退してます。それでも、ここまで生きてきたことは立派な事だと自分では思います。
ロマンチストでなくなるのが一番駄目なんでしょうね。
夢とロマンを失うのが老化を早める基でしょう。
人はいつも上下左右眺めていないと駄目なんでしょうね。
本誌では片岡さんという方が
「今、六十四才、あと二十年は生きるだろう。死ぬまで元気に走りたい。走ることと出会わなかったら寂しい人生だったと思う。 今は、としをとることも結構楽しいことと思える心境である」
と書いておられます。人のロマンは、それぞれです。自分で捜しましょう。
目次の面白いタイトルを一部、ご紹介しましょう。
「動機が不純であること」「狼男は今宵も行く」「ある痴呆老人の能書き」「マラソンは健康に悪い」「フルマラソン、ウルトラマラソン、そして走り旅へ」「What makes us run?--β--エンドルフィンの話」 など。
走らない私(だけ?)へコシタさんからの嬉しいプレゼントでした。