大須山車復活
(デジカメ画像と、まぜこぜですが、鮮明でないピントの甘い画像はSDビデオの静止画です。)
「童子車」
名古屋市中区の若手仏具職人の人達による「名古屋仏具研究会」が、戦火で焼失した門前町の山車「陵王車」を二分の一の大きさで今年製作されました。萬屋仁兵衛氏製作の「人形(面被りからくり・前人形)」が乗っています。
「梵天車」
「陵王車」を曳く際に、子供や食事を乗せた「迎え車」で、別名「小陵王車」ですが大須の有志が買い取り1898年から厄病除けの「梵天車」に衣替えし天王・浅間の例祭で曳いていましたが戦災で焼失。
戦後、復刻されましたが、少子高齢化で1996年で中断し浅間神社蔵に眠っていましたが今回復活しました。私は見るのは初めてでしたが想像していたよりかなり大きいので驚きました。十四年振りの蔵出しの様子は「マルイチ洋服さん」のブログに紹介されています。
「梵天」は「帝釈天」と同じ神だと言われていますが、祭りのに使われる物は形が色々あるようです。
「犬山祭」では針綱神社への石段に各町の梵天傘が立てられ山車奉納が終わると持帰られます。
長い棒の先に球状に短冊を束ね囃すものが三河三谷の山車祭りで使われます。厄除けの一つなんでしょう。
「梵天車」は、傘も提灯も中断時そのままの物が使われたようですが殆ど傷んでいないようです。提灯が少し切れている程度で想像より大きなものでした。人が乗れるとは思ってもいませんでした。梵天柱はアーケードのアーチすれすれなので写真のように寝かせて通過です。柱には「陵王面」が掛けられていました。「御洒落」のお囃子は見事なもので録音とは違う生音が商店街に響きました。
道行の為の「子供囃子」が一生懸命でした。「ドンチキチ・ドンドンチキチ」と懐かしい音でした。
かっての梵天・笹提灯が揺れる古い写真を載せておきます。
おまけは「花魁」です。 |