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 稲沢市下津 謡い馬展示 
下津市民センター  TEL 23-0771


コメント
私の住む町内に、十三年前、拝借した桃花祭の馬(張りぼて)を貸して頂きたいという申し入れが、稲沢下津の代表の方からありました。
十三年前、今回とは別の(新町)展示の写真を拝見し、真清田神社宝物館に展示してある馬から飾りを外して、お貸ししました。
私は、下津地区に、そういう行事が有ったことは全く知りませんでしたが、十数年ぶりの展示という事で十六日、拝見してきました。
公開は18、19の両日でした。今回展示の「方町」は四十一年ぶりの公開という事です。
謡いは公開されない(或いはテープで?)ようです。
写真をご覧になればわかりますが、余程、飼い馴れた馬と馬方が居なければ長時間の行事は不可能でしょう。
それは、現在も、これからも出来ないでしょう。四地区の内、新町、片町の他は傷みが酷く使用不能という事です。
今回は道路建設のため市民センター新築を前に記念行事として「ふれあい広場」のイベントの一つとして企画されました。
再び展示されるのは何時の日か。
「下津 謡い馬について」
下津総鎮守住吉神社の祭礼は毎年十月二十六日の豊作の時に行われた。
豊作を決めるのは、その年の四町(現在の下津四区)の年行司の集まり、神主立会い相談し決められた。
祭礼の日は、役馬、中老馬、若い衆馬、子供馬といって、御幣と鞍をつけた笹馬を威勢良く繰り出し祭り気分を盛り上げ謡を奉納し 五穀豊穣を感謝したものです。
謡い馬は戦争で中断し、ようやく昭和二十七年に復活したが昭和三十一年以後中止され現在まで実施されていない。
                             (鞍の木箱から安政四年の記録が残っている 1854年頃)

「馬の飾り」
馬は緞でかざりをつけ、左右につづらのような駄荷(大麦を入れる籠)をつける。
重さは、各大麦一俵分、そして、その上に緞子の華麗な四枚の大座布団を積んで帯で崩れぬように締めて町名を書いた小旗か木札をつける。

「行列」
行列の最先頭に、白丁、烏帽子姿の露払いが塩を振って道を清め陣羽織、道中袴の旗担ぎが、四ッ目菱紋の旗を持って続くのが古い習慣であった。
行列は、まず、一文字笠の紋付羽織、道中袴を着てわらじ履きで杖をついた一隊が先導となり、次いで馬、次に編笠に紋付羽織草履はきで、 日の丸の扇を持って謡うたいが続き、その後ろに一般のものが大勢従ってはやし方となり行列をなした。
                   (四ッ目菱の紋 江戸時代に下津一円を給地としていた竹腰家の紋)
四十一年ぶりの展示(方町) 見えないが鞍は螺鈿が施されている つづらは古いが飾りは殆ど傷んでいない
人が着て馬に乗ったというが・・・。 鬼が武将の兜を掴んでいる。
金札の高札など意味は?
十三年前の謡い披露。日の丸扇を持つ。
振鈴を持っている人がいる


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