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白鳥おどり

2000 一宮七夕祭りに岐阜県郡上郡白鳥町の正調白鳥おどり保存会の皆さんが昨年に続きおいでになりました。
7月23日夜、踊り講習会の後,駅前特設ステージで出演されました
白鳥町は白山文化の香り高く民族芸能にも多くのものがあります。
一宮市は毎年4月に行われる「太平洋と日本海を桜でつなごう」国際ネイチャーラン250K、ウルトラマラソン270Kのコースであり、元国鉄バス名金線の車掌佐藤良二さんの桜が裁判所前にあります。毎春美しく咲く枝垂れと山桜がそうです。
一宮市AV技術者の会がレースのビデオ撮影とエイド(給水補給)をしています。
その関連もあり今回の来演は一宮市と白鳥町の友好に大いに貢献されるでしょう。
東海北陸道の開通もあり奥美濃との交通も便利になりました。

今後も交流は深まる事でしょう。
私も民踊連盟豊香会に10年近く所属して「神代、源助さん」共よく踊りました。
一宮、名古屋市民会館にも一宮民踊クラブの皆さんと
「神代」で出演しました。
随分、前になりましたが、ここで又機会が出来た事は本当に嬉しい事です。

2000 白鳥踊り講習会と七夕特設ステージ出演
伝三アーケード講習会 なかなか一般の人は入れない。 白鳥観光課長さんから一宮民踊連も加わって・・。
「ひだ清見ふるさとプラザ」で一休み。 特設ステージ。囃子方4人,唄い手,3人。 踊り手,9人。唄も踊りも見事です。
白鳥徹夜おどり 参加見聞記
2000.8.14 。PM4.00 。一宮を出発,白鳥徹夜おどりに,踊りとビデオ撮影を目的に行って来ました。
伝三商店街ひだ清見ふるさとプラザの募集は昨年に続き2回目です。
往復バス,しろとり美人の湯,入浴,食事付き¥4000(夜食も追加)という大サービスです。

踊りは,白鳥駅前踊り会場,PM8.00から翌日AM4.00まで8時間,ぶっ通しで行われました。
唄は「くどき(語り物)」なので1曲が30分位,延々と続きますから呼吸を整えないと続きません。

ヨタヨタになります。踊ったり,ビデオ撮影をしたり,商店街の人達と夜食を買い入れに,白鳥大橋を渡り300M程の,156沿いのコンビニへおにぎりと,お茶を買いに行ったりしていました。
眠気は感じませんでした。8時間の内,2時間位は踊っていたでしょう。ビデオは40分程撮影しました。
免許は指名された人がリボンを付け,その踊り振りを保存会
の人達が審査,授与されます。
自分の踊りは,どの程度か分かりませんが頂く事が出来ました。
15日,AM4時過ぎ,踊りは終わり,着替えの後,4.30頃白鳥出発。八幡迄は156を通り,東海北陸道経由,6時に一宮に帰りました。白鳥出発の頃,わずかに空が青くなっていましたが「さくら道」のランナーは,この暗闇と睡魔,疲労した身体で,夜通し走るのかと外を眺めながら思いました。
踊り会場で地元の人と話しましたが,事故には万全を期しているとの事でした。帰宅後「トランスえぞ」の事故を聞き,常に危険が潜んでいる事を知りました。
白鳥とは「さくら道」と「白鳥おどり」で一層,絆が深くなりました。
8.14 PM3.30集合 天然温泉,美人の湯。露天風呂あり。ここで食事 保存会による会場講習会
白鳥踊りのシンボル切子灯篭 屋形の上では笛,太鼓,三味線,唄がぶっ通し 夜も更けると地元の若者が姿を見せる
AM 4.00フィナーレが近ずきテンポアップ,最高潮 商店街を飾る大きな切子灯篭の下を踊る 15日 AM 4.07分,行灯に「おつかれさまでした」の表示が灯り踊りは終わります
9月16日(土)は変装おどりコンクールがあり,すべての幕を閉じます
今年は7月22日の一宮七夕から始まり,8月20日の「ど真ん中祭り」まで,白鳥おどりとのお付き合いが出来ました。
生活にリズム感が出来る事は楽しい事だと改めて実感しました。

'99 一宮駅前特設ステージ


白鳥踊り

白鳥おどりの紹介(由来、日程表、おどり地図)は白鳥町ホームページイベント情報コーナーにあります


 歌 詞 七 曲

 

白鳥おどり

神代(じんだい)


岐阜県郡上郡白鳥町に古くから伝承されてきた盆おどり唄の一つで、本来この唄は「ドッコイサ」の囃子言葉をそのまま曲名にしてきたが、近時に至ってあまり古い唄であることから神代になぞらえて「神代」と呼ぷようになった。
歌詞は著名な神社・寺院の名があげられ、古からの神仏習合の一面を表わしている。
この踊りは輪の方向へ進むとき、前の人の肩に手をかける盆おどりには珍らしい振りがあるが、これは、前の人の足を下駄で踏まない心づかいなのか、或いは前を踊って行く娘さんの肩にソッと手をふれてみたいしぐざであろうかともあれテンポが早く、活気にあふれ活動的な若い人々に喜ばれる踊りである。( 岐阜県白鳥町観光協会 )資料より

(ドッコイサーノドッコイサ) 踊り子様よ ちょっと出まして ソウリャ 〈ドッコイサーノドッコイサ)

べんこそなけれど四角四面のやぐらの上で ,音頭取るとはおおそれながら, 私しゃ山がの山中に住めば,
声も鳴たなきや支句やも知れぬ

知らぬながらも 一つはくどく

暗い夜道はちょうちんたより, 船に乗るなら船頭さんがたより, やせた畑は肥がたより

村の若い衆は娘さんがたより ,そして娘さんは若い衆がたより, 下手な音頭はおはやしたより

誰もどなたも はやしておくれ, はやし有るなら しばらく話す

一にゃ,きのとの大日如来じゃ ,二では新潟の白山様よ, 三にゃ讃岐の金毘羅様よ, 四では信濃の善光寺様よ,
五つ出雲の色神様よ
六じや六角堂の六地蔵様よ, 七つ七屋の天神様よ, 八つ八幡の八幡様よ, 九では熊野の権現様よ, 十じや所の氏神様よ

こんなひようひやく,文句さの外よ, さてもこれから文句さにかかる

俺が住む町この白鳥は、飛騨と美濃とのお国の境 ,水を分かちし大日ヶ岳、峰の小笹に溜りし露が

落ちて流れて泉となりて、谷と谷とが寄り集まりて, 川と流れて滝ともなつて、此処に名高き阿弥陀ケ滝は

清き長良の源となりて、滝のしぶきで夏寄せつけぬ, 右の坂道曲がりて登る、行けぱ程なく桧の峠

ここを下れば石徹白村で、音に聞えし加賀白山を, 伐りて開きし泰澄大師、高き石段登りて行けば

ここに貴き虚空蔵菩薩、祈る社を過ぎ行くならば, ここに威徳寺さて円周寺、上の在所の中居の宮居

神の鎮まる社の彫りは、粟や鶉の見事なものよ, 国は信濃の周防なる村の、その名立川昌啓殿の

技のがぎりの名作物よ、脇の障子も見事なものよ, ここの村にはその昔より、秘めし幾多の話しもあれど

奥の大杉観て帰るなら、ここは前谷村間が池や, 干田野歩岐島忘れてならぬ、昔義民の百姓達の

聞くも語るも涙の種よ、寺のその名は悲願寺様じや, 橋を渡れば平家が平、さてもこれから長滝村へ

行けぱ程なく白山様と、音に聞えし長滝寺様と, 共に貴重宝を残す、年の始めの六日の祭りや

六日祭りの延年こそは、世にも希なる尊き舞よ ,今も昔も受け継がれける、

上手で長けりゃ面白けれど ,下手で長いのは皆さんの邪魔じゃ, ここらあたりで止め置きまする, どうも失礼


 拝殿おどり

白鳥町野添地区では、地区の貴船神社で八月二十日、前日作った、きりこ灯篭を神社拝殿の天井に下げます。
この灯篭は、成仏した仏の姿を表すと言われ、江戸時代から伝わる行事だと言われています。
夜八時になると住民が集い、拝殿の中で、床を下駄で鳴らしながら踊りが始まります。
まず場所踊りという、月の輪のように踊ろうという歌詞に合わせて踊ります。

続いて源助さん、神代など古老の伝える十曲ほどの唄と踊りが夜更けまで行われます。
室町時代からの名残があり、以前は、若者が浴衣姿で、各地の拝殿踊りを踊り歩く姿が見られたと言われます。


 源助さんげんすけさん

岐阜県郡上郡白鳥町を中心に、この地方一円で唄い踊られている、盆おどり唄である。
由来は約六○○年程前に遡る。浪士風の美男子、源助(玄助とも伝えられている)が、ふと白鳥部落に現われ、とある民家に泊まった。
その民家の美女おとよ(十七歳)と、かりそめの契りを結んだが、逗留三日にして源勘は北の国へ姿を消した。

庭のかんば(樺)の木に来て鳴く小鳥を友として〃源助さんよ、源助さんよ“と死ぬほど恋しい人の名を、狂い呼びながら世を去ったおとよの姿は、秋の落葉のあわれさがあった。
ちなみに、白鳥の名は、仲哀天皇のころ、一羽の白鳥が空に舞い、一本の羽をこの地に落した。
村人がこれを祀ったのが白鳥神社で、この部落を白鳥と呼ぶようになったと伝えられている。

(岐阜県白鳥観光協会)資料より

ハー 源助さん源助さんと言って鳴く鳥は (源助さんコリャショ)

小さな鳥だよ チョィト 色鳥よ 小さな鳥だよ チョイト 色鳥よ 源助さん コリャショ(ホラ 源助さん 源助さん)

お前百まで,わしや九十九まで, 共に自髪のはえるまで

恋しやさしや席駄の音は,主はどなたか知らねども

毎夜毎晩おかどに立ちて, とがめられてはおくれるな

郡上の白鳥住みよいところ, 水も清いが人もよい

郡上の白鳥踊りにござれ ,じじも婆さも孫つれて

貴方廿年で妾しは十九、月も朧の浴衣がけ

二人寄り添い月影踏んで、そぞろ歩きの粋なこと

私と貴方は羽織の紐で、固く結んで胸にある

浴衣姿に髪ゆいあげて、見せてやりたやあの人に

恋に身を焼く蛍じやないが、私や源助さんに身を焦がす

右と左の手と手を繋ぎ、人目偲んた夜も更ける

貴方源助さんで私はお小夜、共に恋した二人仲

燃えて散りゆく煙火じやないが、妾しや源助さんに燃えて散る

源助さん源助さんと云うて鳴く鳥は、八千八声のほととぎす

恋に身を焼くほととぎす

音頭取りめが取りくたぶれて、さいた刀を杖につく

この他、

恋に焦がれて鳴く蝉よりも ,鳴かぬ蛍が身を焦がす

高い山には霞がかかる ,若い娘が気にかかる など


猫の子(ねこのこ)

アハヨーホオーイヨーヨーイ

誰もどなたも猫の子にしよまいか(ア猫の子にしよまいか)

猫は良いものヨツコラねずみとる (アねずみとる良いもの猫は)

猫は良いものヨツコラねずみとる

猫がねずみとりや、いたちが笑う、いたち笑うな、われも取る

いとし殿まの草刈る山で、笹や茨がなけにや良い

馬は三才馬方二十才、つけた葛篭の品の良さ。 西の山から東の山へ、お前さ尋ねて北の山

郡上の自鳥踊りにござれ、爺も婆さも孫連れて。 若い娘と新木の舟は、人が見たがる乗りたがる

桜三月あやめは五月、菊は九月の土用に咲く。 山は焼けても山鳥や立たぬ、子ほど可愛い者はない

来るか来るかときりこの下で、わしの待つ人まだ来ない。 滝を見るなら阿弥陀ケ滝よ、滝のしぶきに紅の橋

唄も続くが踊りも続く、月の明るい夜も続く。 郡上の白鳥お宮の森に、木陰吹く風ぜ夏知らず

音頭取りめがとりくたびれて、さいた刀を杖につく


 民族芸能の中(民謡にも)にくどきと言われるものがあります。これは発生した事件(心中が多い)を物語り風に節を付け、唄うものですが、これに人形などを使い舞台に乗せるようになったのが義太夫と人形による人形浄瑠璃になったと云われます。あまりの流行に幕府から禁止令が出たほどだといいます。
浄瑠璃の中に義太夫、常磐津などの語りものがありますが、義太夫による人形芝居と、人による地歌舞伎が各地に多く存在します。その原点がくどきだと云われます。
お寺の説教に節を付けた節談説教なども、落語、浪曲の原点といわれ小沢昭一さんが纏めておられます。


 老坂(おいさか

 

(アラヨイサカサツサイ) 一にや朝顔ヨーイ 二にや杜若

(アラヨツサカサツサイ) 朝顔ヨイ 二にや杜若(アラヨツサカサツサイ)

三にや、下り藤、四にや、ししぼたん 。五つ位山の千本桜、六つ紫は桔梗の花

七つ南天。八つ山桜。九では九月のちゃぼ菊の花。十で所の山吹の花。

こんなひようひやく文句の外よ

さてもこれから文句やかかる

聞くも哀れな義民の話、時が来たのか三千余人 、席旗やら竹槍さげて、百姓ばがりが雲霞の如く

既にお城へ寄せんとすれば、待てよ暫しと人押し分けて 、中に立ちしは明方村の、気良じや名主の総代つとめ

人に知られし善衛門殿で、江戸に下りて将軍様に 、直訴がこそを致さんものと、皆に図ればあまたの者が

我もわれもと心は一つ、わけて気強い三十余人 、道の難所と日数を重ね、やがて着いたが品川表て

されど哀れや御用の縄は、疲れはてたるその人びとを 、一人残らず獄舎につなぐ、聞くも涙よくどくも涙

ここに哀れな孝女がござる、気良の名主に一人の娘 、年は十七でその名はおせき、父はお江戸で牢屋の責め苦

助け出すのは親へのつとめ、そつと偲んで家出をいたし 、長の道中もかよわい身とて

歌のつづきはこのあとあれど、ここらあたりで切り止めまする


シッチョイ

(ア シツチヨイ、シツチヨイ)

一にや ヨオーホイ石徹白の ソーリヤ

(ア シツチヨイ シツチヨイ)

威徳寺様よ 一にや石徹白の威徳寺様よ (アシツチヨイシツチヨイ)

二では西坂の正法寺様よ、 三にや西円寺は二日町のお寺、四では白鳥の来通寺様よ、 五では小駄良の円覚寺様よ

六にや六ノ里の善勝寺様よ、 七つ中西の円徳寺様よ、八つ山本の養林寺様よ、 九つ越佐の専竜寺様よ

十で徳永の恩善寺様よ

さてもこれから文句さにかかる

ここに過ぎにしその物語り、国はどこよと尋ねるなれば

ここは濃洲郡上の里に、世にも名高い長滝村の おまむ桜の由来を問えば、時は元禄半の頃に、数あるお寺に天台宗に、

そのやお寺にひとりの娘 、年は十四でその名はおまむ、憐り近所の評判娘

他所や在所の若い衆達が、我も我もとおまむを目指す 、ある日一人の若さむらいが、年の頃なら十九か二十才

今に伝る花奪い祭り、その日、おまむをみそめてからは 、魚売りにと姿を変へて、今日も明日もとお通いなさる

月は流るる水より速く、もはや五年の年月積もり 何時か二人の心は通う、示し合せて人目を偲び

今宵みの刻、高五郎谷の、春に花咲く桜の根元ここに逢引約束いたす、それは長滝祭りの夜で

雪の隆る中小源次こそは、兼て約束桜の下を 、行きつ戻りつおまむを待てど、ついにおまむの姿は見えず

唄の続きはこの後あれど ここらあたりで止めおきまする


 八ツ坂(やつさか

(ア ヤツサカ ヤツサカ) アーリヤア 今度哀れな、炭焼きくどき(アヤツサカヤツサカ)

今度哀れな、炭焼きくどき(アヤツサカヤツサカ)

一つ、人目にや楽そに見えて、二つ、二度びこんな商売せまいと、三つ、見る問に釜の火ばおこる、
四つ、ヨキナタ研がねばならぬ 、五つ、いつもかも油断はならぬ、六つ、無理やきや炭や細なる、
七つ、泣き泣き釜の火を寄せて、
八つ焼いた炭や値段が安い、九つ、この山株代が高い、
十でとっくり勘定したら、女居のもんぺも買う金も無い

誰も何方も踊り子様よ

ここらあたりで文句やにかかる、かかる文句は何よと間えぱ、ここに過ぎにし、その物語

聞くも哀れな義民の話し、時は宝磨五年の春よ

所は濃州郡上の藩に、領地三万八干石の、その名、金森出雲の守は

時の幕府のお奏者役で、派手な勤めにその身を忘れ、すべて政治は家老に任せ

今日も明日もと栄華に更ける、金が敵か浮世の習い、お国家老の粥川仁兵衛

お江戸家老と心を合せ、ここに悪事の企ていたす

哀れなるがな民百姓は、あれもこれもと課税がふえる、分けて年貢の取立てこそは

歌の続きはこの後あれど、ここらあたりで止めおきまする


 世栄(よさかえ

 

(ア ドツコイ、ドツコイサ‐)(ドツコイサでドツコイシヨ)

アリヤサここに過ぎにし、その物語り (アドツコイシヨイ)

トウジヤイナその物語り (ハアドツコイ、ドツコイサ‐)

〈ドツコイサでドツコイシヨイ)

六十四州は国広けれど、恋と無情は不変なものよ、明治二十一旧三月の、中の五日に西洞村に

さても哀れな心中の話し、村でなにがし徳左ヱ円の 、一人娘にお福とありて、小野の小町か、てるての姫か

顔は桜でそのはだ雪よ、近所隣の若衆達が 、お梅お梅、と恋する中に、大家伊平の一人の息子

年は二十五で寅造とありて、近い頃まで兵隊務め 、村に帰りてお梅を見そめ、そこで二人は契りを結び

今日も明日もと二人の中は、いとし恋しとその日を送る 、それは良けれど踊り子様よ、花の盛りもすぎにし頃に

大家伊平の嫁どり話し、村の庄屋の重左ヱ円の 、一人娘におたのとありて、年が二十二で利発な者よ

ぞれが良かろと相談きまり、伯父頼んで寅造に意見 、そこで寅造は伯父に向かい、私も今年は二十五の厄よ

嫌でござるといろいろ言えど、伯父意見が厳しき故に 、はいと答えてその場を去りて、そこで伯父は重左え行きて

ここの娘を伊平が方へ、嫁に下され媒介致す 、そこで重左の二親達も、何かしゅうかいお任致す

よろしゆう頼むと、挨拶いたし、そこで祝儀の日取りも決まり

こここらあたりで止めおきますで、誰が何方か息継ぎを頼む


 歌詞が長くなると歌い手も、息絶え絶えになり、これで失礼、と歌い手が代わります。

 

日本の美しく、楽しい、ことば遊びを見直したいと思います。



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