トップへ
らんだむコラム


3.27
「明日への遺言(原作 ながい旅 大岡昇平著)」私評


大岡昇平氏の戦争体験に関わる著作には、映画の原作「ながい旅(昭和57年刊行)」の他に「俘虜記(昭和23年単行刊行、合本発行27年)」、「野火(昭和29年新書版発行)」「レイテ戦記(昭和46年刊行)」があります。
私は、何れも所蔵読んでいますが単に戦争体験記録ではなく作家としての深層心理に入り込む表現であり、決して後味の良いものではありません。追い詰められた人間が如何なる状況になるかを知らされます。
今回、映画化された「明日への遺言」を評するには110分の作品評だけでは尽せないので別項で書きます。
私は、映画のテーマである名古屋への住宅地への無差別絨毯爆撃の罹災者であり、その上、太平洋戦争戦争でのフイリッピン戦線で、父を失い、人生の行方も奪われながらも七十才を過ぎた今日まで生かされた思いを、改めて整理すべきかとの思いになりました。既に「空襲体験」と「名古屋市葵町の暮らし」は書きました。
色々な宗教団体にも勧誘されましたが、すぐ疑問に行き当たり、いずれにも入信はしませんでした。然し、全くの「自力」で行くほどの信念は持てません。
結局は「宮沢賢治」の「アメニモマケズ」を書いて壁に貼ったり、薬師寺高田好胤師の「かたよらない心・・・・。」など簡潔ながら凝縮された言葉に辿り着きました。
「法華経解釈」や「歎異抄」にも一応目をやりましたが、却って混乱して悩みが深くなると一切やめ理論より単純、まず「実践実行」にしました。
人生の恩師としては、年代ごとに多くの方に、ご縁を頂き支えられました。それでここまで来れたと思います。
もう終ったかと思っていましたが「明日への遺言」小泉尭史監督(65才)藤田まこと(75才)他の皆さんにより映画化には難しいテーマを敢えて製作された意図を私なりの感想にしようと思います。

「明日への遺言」公式サイトがあります。「YouTube」には4本程あります。ご覧になると宜しいかと思います。 


3.15 再開


終結を一旦決めましたが結局修正しながら継続する事にしました。
新規に始めるといってもどうしても過去に脈絡が繋がっているので関連を断ち切ることは出来ません。
50Mを超えた全体をチェックしましたが何れも十年に亙る記録です。古いものから随時整理しながら進める事にしました。
体力の衰退と活動範囲の限界で今までのようには行きませんが時々訪ねて頂ければ幸いです。

葵町の爆弾 3.19

名古屋市東区葵1(旧板屋町)のマンション建設現場(布池教会南)で爆弾が発見されました。
名古屋空襲の時の不発弾で、22日に、半径300Mの範囲が一人残らず避難の上、撤去作業が行われます。
私は、そこから300Mほど離れた葵町(旧町名)で、昭和二十年三月十九日罹災、止む無くその地を去りました。十九日は東区だけでも、死者32人、重軽傷37人、全焼家屋2.747戸、半焼277戸、罹災者10.922人です。
大型焼夷弾1.320発、小型焼夷弾12.050発が、深夜二時から2時間54分間、雨のように降り注ぎました。その日は爆弾はありません。
今度発見された物は、二十四日、二十二時五十二分から翌二十五日にかけ2時間36分の空襲で投下された、大型爆弾50発、中型爆弾61発、大型焼夷弾921発、小型焼夷弾4.510発、死者541人、重軽傷198人、全焼570戸、半焼30戸、罹災者9.471人(東区分のみ)の物です。(名古屋空襲誌参照)

今、映画「明日への遺言」が公開されています。この映画は、名古屋空襲の際、撃墜されたB29の搭乗員38人を東海軍管区司令官岡田資中将が略式裁判で処刑した責任を問われた裁判で、アメリカ空軍の非戦闘員への無差別絨毯爆撃の戦争法規を逸脱した行為に対する処罰(報復ではない)であるとの主張を法廷で展開するものです。
監督は黒澤明の助監督を永く勤めた、小泉尭史、岡田中将は藤田まことが迫真の演技という評判です。1.50分のうち1.30分が法廷のシーンという事です。
私は、20年前、父の戦死の地フイリッピンの資料調査中「レイテ戦記(大岡昇平)」を読み、その時期、購入した、この原作「ながい旅(大岡昇平)」を読んでいました。裁判の記録なので何度も読まないと理解が難しい話です。
十五年暖めていた構想という事で、映画はまだ見ていませんが戦争の禍根はまだ続いているという事です。

こういう話はもう終わりにしようと思ってもなかなか離してもらえません。
トップへ