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 ’05 西枇杷島(空木立ち)&名古屋まつり 
西枇杷島「空木立ち」
五月二十九日、午前八時から六月四.五日祭礼の西枇杷島山車の「空木立ち(組上げ)」が各町で行われました。
東海豪雨水害の復旧対策の為、庄内川堤防嵩上げにより、住民や橋詰神社移転に伴い大きく変わる状況で「空木立ち」が来年以降行われなくなるとの情報で様子を見に行きました。
既に橋詰町は堤防周辺の家屋は姿を消していました。
「王義之車」は水防倉庫兼の山車蔵前での作業。泰亨車は来年以降も「空木立ち」は継続されます。
「頼朝車」は神社の移転と共に山車蔵も作られる予定だと言うことです。
五輌勢揃いの時の、からくり「静御前」の舞の所作の芸の細かさを話したら憶えておいででした。
「紅塵車」は山車蔵があり動きはありませんでした。六軒神社は準備万端。「頼光車」は見に行きませんでした。それにしても各町、大勢の人の協力ぶりには感心しました。祭りの顔とは違う雰囲気がありました。
枇杷島橋から西の一角も取り壊しになります。今秋の清洲との合併で「清須市」となり、町としての祭礼は今回限りとなります。

名古屋まつり

山車揃えの出発は10.30頃なのでそれまでに集合場所へ行く必要があり9.30に西枇を離れました。山車の出発にピッタリ間に合いました。例年より人出は少ない感じ、五月開催を知らない人もあるのか万博へ行ったのか、市役所辺りの歩道はスイスイ通れます。私は規制ロープ内へは入りません。密着したければ地元祭礼に行けば良いのでマナーを守って見物している人の視界を妨げてはいけません。
「名古屋まつり」は見物主体ですから取材は規制内でテクニックを考えましょう。のんびり見物は桜通り付近が宜しいかと・・。「どんてん」や「からくり」はみれませんが。
私は、しばらくビルの前で腰掛けて眺めておられた玄人っぽい感じの老婦人二人と並んで見物していました。
「日本の古い踊りか唄でもおやりですか」と声を掛けたら「いえ、何も出来ませんが、こういうのが好きだから」と。末広町(若宮氏子)の方で戦前の「黒船車」をご存知でした。

平野町石取車後文で

西枇杷島山車空木立ち
泰亨車(東六軒町)は始まったばかり
頼朝車(問屋町) 大勢の人でどんどん進行します
飾り金具はピカピカ。彫刻もカラフル、貝は本物 9.30にはここまで進行
王義之車(橋詰町)すぐ横は名鉄踏み切り 数年毎に調整の為「空木立ち」を行うそうです
名古屋まつり
鳩が飛ぶ 名古屋市役所前総揃え 噴水と山車
平野町石取車
平野町 石取車三輌 二番車の幕 高砂 
法被は個人名入り オール女性連
一番車 前面

平野町石取車
津島の石取車は秋祭りで見ました。鉦がもっとデカかったと思います。叩くとウオーーンとエコーしていましたから・・・。
桑名のは、数年前、ここエンゼル広場で見ましたが叩きは聴いていません。
車も大きかったと思います。灯り(バッテリ−らしい)も一杯付いていました。この辺りは桑名の人に聞かなくては判りません。私は父の勤務で桑名生まれですが二才くらいで名古屋に帰っているので記憶はゼロです。
ここ平野町津嶋神社の石取は昭和十年からと解説がありました。則武は陶磁器産業(ノリタケチャイナなど)で繁栄の地ですから祭りにも力を入れたのではないかと察します。
祭囃子の響く町を訪ねると元気を貰えます。
夏祭りの始まりです。出掛けましょう。

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