四代目尾上松緑 お練り行事 |
平成十四年九月二十七日 大須・広小路・御園通り・からくり人形前 |
午後一時万松寺を出発。仁王門通りを経て大須観音に到着。大入り祈願の後、挨拶。 二時四十五分から広小路出発。御園通りを経て「からくり人形前特設舞台挨拶。 |
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襲名披露演目「土蜘」舞台 | 招き看板 | 名妓連の綺麗どころが花を添える |
「音羽屋〜四代目〜紀尾井町〜」 と大向こうから |
歓声に応えて | 仁王門通りを行く |
松緑夫人? 大須商店街贔屓筋 | 大須観音ご挨拶 | 観音様は大勢の人々 |
御園通りを行く | 窓からは紙吹雪 | 御園座へ |
特設舞台。御園座長谷川社長から挨拶 | 四代目の頼もしい挨拶 | 「白波五人男からくり」前には溢れる人 |
四代目尾上松緑襲名
特別展が九月十一日から十六日迄、JR名古屋高島屋で公演に先立ち開催されました。
二世、三世、現四世の活躍を紹介するものです。
撮影禁止なので画像は紹介出来ませんが、珍しい貴重な資料が展示されていました。
衣装は「手を触れないで下さい」という表示がありガードマンが監視していました。
「御所五郎蔵、土蜘など」衣装四点ほど、「勧進帳」の金剛杖、大数珠、中啓(能の扇)など。
間近で見ると思っていたより大きな事に驚きます。
これらを身に付け大きな所作事をするのですから大変な事です。
隈取写し、二代目使用の鏡台、三代に亙る活躍のパネル、色紙、刺繍額など。
私は二十代に、二代目の「供奴」を見ました。これは、先日、亡くなった羽左衛門の襲名興行だったと記憶しています。
団十郎のお父さん、当時、海老蔵、梅幸さんも出演していました。
「勧進帳」は、度々のTV中継を録画してあります。
多くの役者さんの「勧進帳」を見ますが、未だ、二代目を超えている人はいません。
殊に「延年の舞」を含む踊りの辺りは見事で、いずれは、襲名した四代目が修練を重ね、超えることがあるでしょう。
期待出来ると思います。
三代目(辰之助)は、大いに期待していたのですが残念ながら四十才での夭折でした。
声良し、踊り良し、芝居良し、大いに期待していたのですが、これからというのに残念でした。
「松緑」三代目として追贈されました。
四代目は、まだ幼少でしたが、祖父二代目や親類の激励と指導で良く頑張って来ました。
まだ二十代と若いですが、成長は著しく、舞踊藤間流勘右衛門家元としても良く修練されています。
藤間流「藤盛会」のHPに歴史が紹介されています。トップページが楽しく見事です。
公演を前に「お練り」が二十七日行われました。
午後一時、大須万松寺を出発しました。あいにくアーケード工事中。仮天井に工事用ランプ。折角の「お練り」は雰囲気は良くありませんでしたが「大向こう」の人達が「音羽屋〜四代目〜紀尾井町」と声が掛ける。
仁王門通りからは町も明るく商店からも声が掛かり良い雰囲気になりました。仁王門も工事中。
大須観音へは一時四十分頃到着、大入り祈願が二十分ほど行われ、それから階段踊り場で、ご挨拶。
午後二時四十五分、ヒルトンホテル前出発〜広小路通り〜御園通り〜御園座前からくり人形前特設舞台から、ご挨拶。
多くの人達と紙吹雪が「音羽屋〜」と大声援を贈りました。
昨年の「三津五郎さんお練り」よりはアッサリしていました。
「松緑」という大名代、かなりの重荷でしょうが立派に成長して行かれる事でしょう。
私見ですが「勧進帳」で二代目に迫る事が出来れば、その時、名実共に「松緑」になったと言われるでしょう。
大いに期待できると思います。
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