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津島くつわ踊り


津島くつわ踊りの復活情報

「津島くつわ踊り」については、既に、当HPで紹介していますが、その後、これはという情報は伝えられませんでした。
昨年(2010)「名古屋開府四百年」の行事が、名古屋市を中心に数多く行われました。これも不充分ではありますがご紹介しました。
その中で「清須返し」という行事が、かっての清須越し(名古屋城を中心とした町造りに清須城下が町ぐるみ転居した)のお返しとして美濃路の八坂神社(名古屋市西区)から清須城への行列と枇杷島の山車の繰り込みが行われました。
その行事の一つのイベントで「くつわ踊り」の紹介がありました。

まつりの館津島屋 尾張津島公式サイト

「くつわ踊り」サイトで紹介されています。
 イベントでのくつわ踊り出演

愛知県ビデオコンテンツ(くつわ踊り)
に記録がありますが撮影日時は不明です。

そして今年(2011)の「尾張津島津島秋まつり」(10月1(土)2日(日))の、2日(日)に踊ることになった。という記事が中日新聞県内版に紹介されました。実に十四年振りの復活になります。過去には、中野町に伝えられていたのですが、それは少子化などの事情で無理になり、かって、中野町で二十一才まで生まれ育った八谷順一さん(47才)が、地元の南小学校で説明と呼びかけを図り、十六名が週一回練習を重ね本番に備えているという事です。
私が撮影した1997年が最後のビデオでしたがYouTubeに投稿復活の一助になったかと嬉しい気持ちです。
個人的には、何のご縁もありませんが、伝統芸能を伝える事の重要さを重視し発展継承されていかれることを望みます。
くつわ踊りは市制施行五十周年の平成九年(1997)に津島駅前で披露されました。
それ以降、披露される事は無かったのですが、平成十二年(2000)に津島北高校文化祭で生徒たちによって九月九日に披露されました。
「くつわ踊り」は、保存会が守り続け県無形民俗文化財に指定されていますが、踊り手不足で休眠状態が続いているのが実情です。これ以後又中断の模様です。
この時は、保存会の佐藤清治さん(当時58才)の指導で男子が傘を回し女子がくつわを振り子供が「豆拾い」という所作をしました。数年前「武将のふるさと愛知」というサイトを愛知県を主宰に各組織が協力立ち上げました。その節、私に織田信長ゆかりの民俗芸能として「くつわ踊り」の資料の問い合わせがありました。津島市役所や取材していたCATV局などへ尋ねられたのですが資料が無かったとのことでした。
撮影のビデオは4分位ですが実際は10分程と思います。が紛失していたのと手元に有ったパンフでは画質不良という事で、そのままになりましたが「くつわ踊り」が行われたという事は聞かれません。

くつわ踊りの起源は、織田信長が四百余年前、津島神社に参拝の折に踊った「津島おどり」に発するといい、又、古くから津島神社の神霞流着岸に伴う懸け踊りとして奉納されたようであります。

今様のような唄に合わせ(浦島太郎がなんとか・・・)、朱塗り傘に錦の布を三枚下げ、紫の、たっつけ袴に白の上衣、たすき掛けの踊り手が四人傘を回す。他の四人は首にかけた紅白の紐についた轡を太鼓に合わせて鳴らし踊る。
八人の間を子供(豆拾い)がタンバリンのような物を手に駈け回ります。
なにか、おっとりした平安朝のような雰囲気があります。

動画へ

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平成十二年中日新聞に紹介された津島北高校文化祭での「くつわ踊り」記事
この後、公演されていないようです。
「津島踊り」といわれる数々の種類の一つです。
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