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 木曽川町クラボウ佐藤桜移植 

クラボウ「佐藤桜」

昭和49年(1974)佐藤良二さんは、岐阜〜名古屋間の植樹をされました。
植樹日記には次のように記されています。

「三月二十日 今朝いよいよ植樹実施の日。朝三時起床、頭がクラクラする。フワフワする。浮いて歩いているような、考え事が一杯で、高ちゃん、三輪君、山田幸さんと四名で出発。
機関区(
稲沢と思われる)三、学校三(枇杷島小学校か)三、交通地蔵様(稲沢赤池か)一、紡績工場の塀際(木曽
川クラボウと思われる)三、帰りがけの幼稚園一、女子大一、計十五本植えた」
      「さくら道(太平洋と日本海を桜で結ぼう)」風媒社刊、初版230P参照


その三本が移植されました。クラボウ閉鎖後、大型総合ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ」建設中の敷地のメイン広場と思われる場所です。
道路向かい側の自動車整備工場の主人にその様子を聞きました。この方とは以前にも「佐藤桜」の話しをした事があります。
目の前の作業であり、一部始終を眺めていたということです。道路沿いの塀と従業員寮の間という悪条件です。そのまま残るかそれが駄目なら切られる運命だと思えました。
今年に入り、塀の撤去と、側溝と電柱、歩行者用のフェンスと車道の一部を壊し、根回りをしっかり確保して後、幹を傷めないように布を巻きクレーンで吊り上げ敷地の中程へ運んで行ったそうです。
三本の桜は接近していましたから根も複雑に絡み合っていたのではないかと思います。
ソメイヨシノは移植は難しく寿命も百年位と言われます。手入れが良ければ延びるとは言われています。
植樹から三十年近く経過していますが樹としては成長期なので移植ということになったのでしょう。
樹を吊り上げて移動する様子はスケールは桁違いですが「荘川桜」移植の姿がオーバーラップされるように感じます。
スタートして十年を経過した「さくら道国際ネィチャーラン」には日本造園建設協会が運営スタッフに居られ愛知県内の造園建設業協会のスタッフがランナーの為のエイドサポートをされます。
「荘川桜」移植の大工事をされた豊橋の「庭庄さん」。「桜紀行」を放送したNHK。「さくら道」を発行した風媒社など、この木の事は多くの人に知られていたのでしょう。
「ネイチャーラン」や、同じくスタートした「ウルトラマラソン270K」が始まってすぐ、私は「クラボウ」にレースの録画ビデオや資料を持って訪ねました。
その時「佐藤桜」の事を訊ねましたが「その話は承知している」というお話でした。
木曽川町にも、今は消えた黒田交番の「佐藤桜」と共に伝えました。特にこれという反応は有りませんでした。
先の自動車整備工場主人とは以前に、この話はしていましたから
「太平洋と日本海を結ぶ桜ということを知らなければ、あれ程手間を掛けてまでは移植はしないだろう」と言っていました。しかも一番目立つ良い場所に移しました。きっと「太平洋と日本海を結ぶ桜」と立派な掲示板など設置してショッピングの皆さんの憩いの場となると思います。機会を見て造園関係の人にも訊ねてみます。
愛知県内に「佐藤桜」は少なく、消えてしまった木も有る中「佐藤桜」が、こうした形で多くの人の心に潤いを与えて欲しいと思います。
楽しみに見守っています。
桜は三本移植されました かって佐藤良二さんが植えた場所は・・

四月末、ウルトラランナーが通る ’65 毎年四月には満開だった
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