加納馬場草笛太鼓打囃子
一宮市 千秋町
屋形蔵掲示文

加納馬場草笛太鼓打囃子保存会
馬場には西組、東組とあり。
天保三年 東組 金箔塗りの屋形 弘化二年 西組 白木作りの屋形 百五十年以前の物なり
屋形製作後は獅子芝居が盛んなり。獅子芝居の初めに両寄打囃子、その後に獅子芝居を行う。
祭礼の際には
出掛道行、御供所道行、加納道行、せんだ道行、(せんだの並木道あり)、歌道行、入り掛道行、などを打囃子、要所で悪魔祓いという獅子舞を行った。
元治元年頃に獅子芝居を川口丈四郎、草笛は平松常七、その後、浅野粂衛門、浅野たま、児島留太郎、浅野嘉範が継承す。
打囃子太鼓は、浅野粂衛門、川口勇助、川口富三郎、川口信次郎、浅野芝太郎、後藤為吉、草笛は、小折の、青山金兵衛、杉本磯右衛門、川口米三郎継ぐ。
明治三十五年西組、東組合併す。
昭和三年、御大典記念には右の諸氏により祝賀行列に参加、打囃子を行う。
小郷の大日如来の御開帳には毎回参加す。 右の通り、川口三好様より聞き書きです。
昭和八年、青年会の希望により、後藤為吉、浅野芝太郎、等諸氏により草笛太鼓の打囃子指導を受けました。
昭和五十二年より、草笛太鼓の打囃子継承を目指し、小学生男女、四、五、六年生を指導す。 その後、毎年、四年生を指導し現在に至る。
太鼓  川口定彦  後藤守一  柴田善徳  草笛  中村俊雄  川口時宗

昭和六十一年九月吉日

熱田社拝受 六百五十一年前 花園天皇


一宮市千秋町加納馬場 熱田神社祭礼
  草笛太鼓打囃子レポート 平成九年十月

毎年、八月、一宮市民会館で開催される、いちのみや民俗芸能のつどいを見ています。
十団体ほどの保存会が出演します。
一宮市には三輌の山車を持つ、今伊勢、石刀神社の人形からくりなど、既に祭礼当日、取材はしていましたが、千秋の打囃子は、まだ、当日現地取材がしてありませんでした。
保存会長の川口時宗さんに、どういう行事があるのか電話で尋ねました。
千秋町へは岩倉、小牧へ行く時、通過はしていましたが、どういう地域なのか、よく知りませんでした。
十月第三日曜が例祭ということなので、数日前に下調べに出掛けました。
川口さんは、その時、八十二才といわれましたが大変お元気で気迫充分な方でした。
「謝礼などはできませんが」と言われるので、一宮市AV技術者の会員という事を申し上げて、そういうお気遣いは一切なさらないようお断りをした上で、どういう祭礼なのかを教えて頂きました。
祭礼蔵へも案内して頂いて獅子屋形なるものを見せて貰いました。 これは各地にある神楽と同じような物でした。
神楽というのは、津島、名古屋では港区南陽町下之一色地区、蟹江などにあるものと大きさも大体同じですが、ここの屋形は拝殿作りの屋形の中に獅子の頭が置かれています。
天保三年(1832)製作と記録されています。 屋根には説明に依れば、大阪城夏の陣を著したという、甲冑武者や城郭の彫刻、旗指し物がビッシリと飾り付けられています。竜や獅子などの彫刻もあります。
二輌ありますが、一つは金箔張り、もう一つは白木造りです。白木といっても百五十年経過していますから茶色に近い色です。
車輪の付いた台車に乗せてあり、祭礼当日には紅白の幔幕を周囲に巡らし前綱を付け地区を巡ります。
熱田神社は永仁(鎌倉時代)(1308)花園天皇より拝受とされ、約六百五十年前から鎮座と記されています。
祭礼当日、午前は十一時から、神事が本殿で行われます。屋形は祭礼蔵から引き出され太鼓の飾り付けを行い境内に置かれます。
太鼓は上部に横置きに一つ、腰のあたりの高さに〆太鼓が取り付けられます。 上の太鼓は丸棒の撥で右横から、〆太鼓は進行方向に向かって平竹の撥で打ちます。
名古屋港区の神楽は今は獅子頭は乗っていません。太鼓は二つの太鼓を一人が長い平竹撥で打ちます。〆太鼓は破れる寸前まで張ってありますからカン高い音がしますが、千秋の屋形は二つの太鼓を二人で打ちます。
名古屋の神楽ほどの高い音ではありません。太鼓は男子、笛は女子が吹きます。 それぞれ三十人ほどがいます。 子供獅子は朝から鈴を鳴らしながらワッショイワッショイと地区を巡ります。
本殿では神官による祝詞奏上に続き、雅楽奏上に乗せて少女による献花と鈴宝剣による四方の祓いの巫女舞が奉納されます。
川口会長さんは雅楽の笛も演奏されます。 午前の神事は正午前には終わります。
午後、当番町内に屋形が移動します。宿を表す提灯が掲げられた家の前にお神酒が用意され出発の時を待ちます。
毎年、屋形が巡回する道順は変わるそうですが法光寺と津島社と総代さんの家は必ず行く事になっています。
出発時間、子供の人員点呼の後、いよいよ出発です。
まず、寄太鼓で景気付けと人寄せを行います。
会長の出発の挨拶の後、道行きが始まります。 草笛と太鼓の道行きは、如何にものんびりとした、楽しい道中です。
地区毎の総代さんの門前では祝儀の寄囃子を奏します。お神酒やお祝いを頂いて道行きは続きます。
地区から地区への間には黄金の稲穂が豊かにに実り、屋形の道行きを一層風情のあるものにしています。 稲刈りは祭礼が終わってからということになっているのでしょう。
豊年を喜ぶ祭りという感じが伝わってきます。
古刹法光寺の山門前では、囃子の競演が行われます。 この時、この場所へ各地区の子供獅子が家族総出で集まってきます。 これが、がかなりの数で三〜四十組近くが集まってきました。親獅子の屋形に従って道行きは大行列になります。
稲穂とコスモスの花道を太鼓と笛の音が響き千人近い人が子獅子と共に続きます。 柿の実も色づき、秋日和の中を道行きは津島社へ向かいます。
津島社は田んぼの中に木立と共に鎮座されています。 津島社へ打囃子奉納、次の地区へと向かいます。
総代さんの家などで御祝儀の後、三時ごろ熱田神社参道にさしかかります。
鳥居正面から本殿に向かって百メートルほどの道行きです。
二つの屋形は横一列に並び進みます。ゆっくりゆっくり進みます。
境内に近づくと道行き囃子は「歌道行」に変わりりました。
「めーでーたーの めーでーたーの よーいーやーさ」 「めーでーたーの めーでーたーの よーいーやーさ」
いよいよクライマックスです。 二輌の屋形は境内に入りました。本殿前に向かいます。
本殿前での寄太鼓で最後の盛り上げで目出度く終了というのが何時もの事なのですが、この日は、ビデオで完全記録をする主旨でしたから、お囃子全曲の奉納となりました。
先輩の若者の熱演で凄い熱気となり、子供たちも一生懸命がんばってくれました。
会長さんも「めくり」を用意して「寄囃子、出掛道行、御供所道行、加納道行、歌道行、入り掛道行、最後に寄囃子二曲」
まだ、名残を惜しむ子供達の太鼓を打つ音を余韻にして祭りは四時前、終わりました。
この日は、朝から雲一つない絶好の祭り日和で、私も心の垢落しになりました。
朝から夕方までビデオ撮影しましたが完璧な取材でした。
後日、神社境内の公民館でプロジェクターによる上映会を行いました。
超満員の会場で、ステレオアンプとスピーカーを設置、大いに盛り上がりました。
ダビングしたテープを二本寄贈、名古屋の山車祭りと神楽揃えのビデオも参考に川口会長さんに寄贈しました。
今年川口さんは八十五才です。この夏、市民会館でお会いしましたが、子供と一緒に笛を吹いておられました。
神楽囃子は各地に多くあるようですが名古屋の神楽は伊勢湾台風以後しばらく途絶えていた時があったようです。
ここ加納馬場打囃子は学校の協力などで途切れる事無く継続されてきました。
これは保存会の長老の方々の熱意が地域の皆さんの協力を得て立派に受け継がれている事を証明しています。
熱田神社本殿 獅子屋形二輌 川口保存会長は雅楽も演奏 地元女子の神楽奉納
宝剣の舞 寄せ太鼓で道行が始まる 祭り宿を出発
黄金の稲穂の中の道行き 名刹法光寺 山門前に集合
囃子の競演 各獅子連が集合 コスモスの道を大行列が行く 田圃の中の津島社へ
津島社へお囃子奉納 熱田神社参道、屋形蔵前、
二両の屋形は並列になり境内に進む
道行は終わり熱田神社参道へ
宮入り 境内は見物衆も一杯 青年OBの熱演
撥も跳ねる 大熱演 女子は笛方
笛の名手 中村さんと 歌道行 納めの寄せ太鼓
かなり古い旗 一宮合併前の丹羽郡とある 祭りは終わりました 旧屋形蔵の棟札弘化二年の書き込み


神楽屋形
神楽については、あまりよくは知りませんが、今、分かっている範囲で書いてみます。
神楽を始めて見たのは、なごや祭りの神楽揃です。
山車揃を見に名古屋市役所前へ行きました。
山車揃は、なごや祭りが始まった頃から既に行われていました。
なごや祭りは昭和二十年代から行われ、私も見た事はあり、写真も撮ってありましたが、その頃は今のように生活も豊かでなく、各地の祭りも、戦争の後遺症がまだ尾を引いており途絶えている所も多かったのです。
名古屋の山車も、肝心の東照宮が社殿と共に焼失してしまったので、以前譲られて空襲から辛うじて免れた若宮、筒井町、出来町、柳橋神明社などのものが披露されていました。
神楽揃は何時から行われていたか知りませんが、山車からくりの披露が終り、栄方面への道行きとなりました。 山車が移動ししばらくして、カン高い太鼓の音が聞こえてきました。金ピカの飾りの一杯付いた小さな社殿のようなものが法被姿の人達に引かれて現われました。
カンカラ、カンカラと早いテンポのお囃子です。
社殿の屋根には鯱がゆらゆら揺れて屋根一杯に彫刻の飾りが乗り、長い瓔珞が四方から下がり、金箔が煌く奇麗なものです。神楽の左後ろに太鼓の打ち手が歩きながら上下の太鼓を打ち分けます。
港区には三十八台もの神楽があり、この地方の独特の文化財として名古屋市の指定を受けています。
獅子頭は乗っていません。
太鼓が一時途絶えた事があり、当時、下之一色に住んでいた西川新次郎さんが、蟹江町、舟入の方々から笛、太鼓の伝授を受け復活されたと伝えられます。
蟹江では江戸時代から神楽屋形が伝統芸能として伝えられ、現在も、十四台が保存され豊作祈願の神楽太鼓が披露されています。
津島にも山車と共に神楽があるとTVで見た事があります。
獅子芝居

これも詳しくは知らないので簡単に書きます。厄払いに采を振る儀式をします。
獅子芝居では女形は牝獅子の頭を被り、黒紋付きの着流しで、いろいろな所作事をします。
私は実際に見た事はありませんが TV で見た事はあります。
厄払いの獅子舞の変形した物と思いますが、女形だけが素顔を見せずに演じます。
髷を付けた世話物や舞踊、簡単な歌舞伎など多芸な人達が一座を組んで巡業していたようです。
三河の形原に獅子芝居の一座が保存会として有りました。今は消滅しました。五人の男衆で三味線、太鼓、鳴り物などで興行していたとの事です。
各地の祭礼の出し物に呼ばれていたのかと思います。お祝い事なので沢山の御祝儀と、芸人としても、かなり、もてたようですが道楽が過ぎて家庭の維持は出来なかった人もいたらしいのです。
三ヶ根山には獅子芝居保存会の碑があります。
千秋でも獅子芝居が盛んであったと記されていますが地元にそのような人が居たのでしょうか。
祭礼などが有ると、 神社やお寺の境内での興行がありそれも祭りの楽しみのひとつだったのでしょう。
大きな町に芝居小屋が確立されるまでは、各地で多くの芸能が行われていました。
その名残が今も各地に残されています。

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