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石刀神社祭礼

山車の形式は三輌共屋台式で、上層部はからくり演出場、中層は前面に采を持った木偶を設置、下層は囃子場の木造三層からなる。車輪には欅材の寄木造りで鉄の箍がはめてある。
大聖車。明和九年(1772)改造。高さ8.3M。からくり綾渡り
犬山からという説がある
山之小路車。詳細不明。高さ8.6M。からくり逆立
お囃子は「車切・八部神楽・下がり葉」
中屋敷車。江戸時代と推定。高さ8.8M。からくり大車輪
枇杷島からという説がある。
山之小路車。竜の彫刻,幕
車輪は欅の寄木,鉄の箍(たが)が嵌めてある 馬の塔。六頭
境内には古式や笑う狛犬など珍しい種類が並んでいる 馬の塔。口綱と後綱(子供)囃しながら駈けます。
祭りが終わり各町へ引き揚げ 中屋敷車,町内へ帰り直ちに解体
石刀(いわと)まつり探訪 4月20日 =2000年の歴史=

絶好なる好天に恵まれた祭日。 名鉄電車で石刀駅を12時過ぎに下車。ここから東の方角へ徒歩約15分程で祭礼のある石刀神社へと向かう。
途中、聴信寺の古風な山門と鐘楼が目に止まり少し寄り道。華麗なる飾り付けと彫刻の装飾に感心しながらの見学となる。
参道には三基の山車が2時から始まるカラクリの予行準備。周囲の彫刻などをじくりと見学することとした。
石刀のからくりは「離れカラクリ」人形で大変に珍しいとのこと。後で山車カラクリをしっかりと見られるのが楽しみである。
聞くことろに拠れば、山車は2基が戦災により消失、現在は消失を免れた3基が神前まで引き出されると聞く。
祭りの華でもある山車は探険学のお陰で各地域で多くを見てきたが、ここの山車はスマート過ぎるぐらい痩身である。
各町内の若衆を主にした人々により引き出すことになるが、ゆっくりした動作となる。三層になる山車は、それでも揺れ動く上層部を皆が不安げに見守っている。確かにこんなに背高い山車も珍しい。進行や回転時など大きく振れる上層部や屋根を支える夫々の4本の細い柱を見学者の多くの人は心配顔に見上げる。左右に揺れる度に多くの見学者からは歓声が自然に出る。
毎年、4月19日に近い日曜日に例祭が斉行される。山車が三基、献馬六頭が頭人を中心となし、事情により祭日が僅か1日間ではあるが、古くから今伊勢において引き継がれているのが石刀祭りである。「石刀の神社」は2000年もの歴史ある延喜式内の古神社であり、由緒あるらしい。
駆り出された献馬は三河からのリースとか。近年、サラブレットは競馬場に行けば見ることが出来るものの農耕馬の姿を見ることが皆無である。
古来からの伝統神事など引き継ぐのに苦労がつきもの、準備には大変と思う。
祭り最中も係わらず、30分以上にも渉って石刀神社を中心に地名の歴史、郷土史などについて話を始める。周囲の人達が準備に慌ただしい時間でしたが「私は暇だよ」と石刀神社や郷土の歴史などに関する話をしてくださったのは宮司の木全さん。相当に歴史に詳しく又、地元の教育センターに講師として講演などしているとの事。
頂いた資料によると、祭りの初まりとなる時代は何と関ケ原徳川氏の命による。奉行の吉田伊豆守により社殿の修復、造営をさせるこの奉祝に慶長13年、伊奈備前守に願出。奉納したのが山車と献馬といわれ現在に継承され今日に至るとある。

石刀神社 一宮市今伊勢町馬寄鎮座 祭神 手力雄命 「タジカラオノミコト」外に14柱 延喜式内の古社、崇神天皇の御宇の御鎮座    

文と写真 柴田良成


木村レポート
石刀神社が鎮座する今伊勢地区は、神社由来によれば、天慶年間、平将門追討の後、奉賽の為、伊勢神宮に神戸として貢献せられたところで、両宮を斎祈しましたが、永録年間、戦火に遭い社殿を失った為、石刀神社内陣に遷座。以来、三明神と尊称され享保三年、正一位の神階にお進みになられたとあります。
社殿、境内には徳川様の三つ葉葵の紋所が各所に見られます。尾張西部には、関ヶ原の闘いとか、小牧長久手の闘いなど古戦場があり、出陣の為の集結地が各所にあります。戦闘も行われ供養碑も見られます。
さて、石刀祭ですが、三両の山車の内、二両は山車蔵があり収納されいますが、中屋敷の山車はそのまま収める蔵が無く、山車は祭の度ごとに組み立て、解体されます。
組み立ては、祭礼の2日前、町内道路を封鎖して午前中かかって組み立てられます。車輪に車台を載せる所から始まるのですから大変です。
しかも、全部手作業です。縄がけはありません。方向転換は持ち上げずに、大勢で押して方向を換えます。
その為か、車輪は鉄の箍(たが)が嵌められています。それにしても、 8メートルの高さ迄、組上げますからご苦労な事です。
祭礼が終わると、町内に帰り、すぐ解体です。解体は組み立てとは違い 1時間ちょっとで終り、小さな小屋に収められます。
一部始終はビデオに撮ってあります。いずれキャプチャーした画像を掲載しようと思っています。
お囃子は笛、小太鼓、大太鼓ですが、子供が少なく笛の継承が難しいでしょう。
からくりは、離れからくりで、かなりの技術が必要です。高い位置での演技なので離れた所から望遠で見ないと見られません。
犬山のように階段もないので首が疲れます。山車は戦前は五両あったそうですが、この地域で、それだけの保持をするのは大変な事だと思います。
平成12年は中屋敷車は山車の老朽化と長老が亡くなられたので引き出しが危ぶまれました。方向転換は取り止め、そのままバックしました。
大聖寺車の方向転換。大勢が押し曲げます 削られた砂利の地ならし 三輌の山車の境内への出入り

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