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犬山祭
平成11・13・20
平成20.・4.6

「小母衣」
万治元年(1658)より、呉服を背負って行商する姿の「聖」の練り物を出した。
十八世紀から十九世紀中頃までは、三人の聖が参列していた事が知られるが、その後、いつからか小母衣に変わった。現在は五人の子供がかわいい武者姿に小母衣を背負って参加している。

小母衣 籠状のものに縮緬布が被っている 重くはないのですが休憩です
くつろぎ広場から 歴史資料館横 針綱神社石段の各町内の梵天
本町の「からくり奉納」が終わり梵天を外します 色々な模様があります 帰りの岩倉駅では思わぬオマケに出会いました

犬山 H13、4.8

木曽川畔桜、並木は昔どおりですが、
堰により花見客で溢れた川原は消えました・
本町緘英車の気勢は最高潮 古犬山焼。ある、お店のケースにあった。
今はカラフル(前)になった。
我が家にも古犬山の菓子器がある。

犬山祭りレポート H 11.4.4

4月4日、犬山祭り。 インターネットによる資料蒐集の上、じっくり観察させて頂きました
犬山市は名古屋から、名鉄急行30分の位置にあります。名古屋駅からは、東山公園へ行くのと、殆ど同じ時
犬山山車
間と料金)なので「へーつ」と思ってしまいます。

勿論、距離と、雰囲気はぜんぜん違いますが・・。
絶好の好天に恵まれ、三層の車山、からくりの上演は、針綱神社鳥居前広場で10時30分から、13両次々行われ、午後3時過ぎまで、各町内、熱気のこもる迫力で熱演が続きました。

全部を見るにはかなりの努力が必要です。
からくりの中には、犬山から尾張各地に譲られたものと共通するものがあります。
大車輪、綾渡りなどは一宮の石刀神社(大聖寺車は犬山から)の基です。
夜車山もありますから、とても一度や二度で総ては見られません。お囃子は名古屋のとは違います。

珍しい出し物 「大母衣」
犬山祭の初めの頃は茶摘みの練り物で参加していました。承応二年(1653)から車山となり、からくりは「弘法大師の投げ筆」あったと云われています。緞子は町の住人、木曽川犬山湊役神戸弥左衛門家の寄付によるものと聞きます。正徳四年(1714)より大母衣武者による練り物となり、十九世紀後半まで続いたと云われます。平成九年までは幟一本のみの参列でしたが平成十年三月に岐阜県加子母村の協力と町衆の心意気で大母衣武者による練り物を復活しました。
小母衣(こほろ) 緑・白・赤・黄・紫の五人 大母衣
内田組の赤武者 古い町並みをゆく 新町からくりは浦島


詳しくは犬山祭りホームページにありますが、藤田流が源になっているとのことですが、激しさよりも能楽の雰囲気を感じる穏やかさを感じます。
珍しいのは練り物で、もっと調べてみようと興味がつきません。
文化資料館と、からくり展示館が年間、オープンされていますので訪ねてみるといいでしょう。普段の方が、話しも、ゆっくり聞かせてもらえるかもしれません。
犬山城は工事中で足場が組まれ景観を悪くしていたのは残念でした。
木曽川畔のさくらは見事に満開でした。遊歩道を歩く人はかなりいましたが、昭和30年頃の川原での花見風景は今はありません。上流のダムと堰の建設で水量が増え石の川原は無くなって、川原からさくらを見物しながらの宴会風景は今は幻となりました今はモンキーパーク、明治村へと人の流れの変化犬山山車
に時の流れを感じます。
私の家に、古い犬山焼の器(菓子器とカップ)があります。今の犬山焼はどうなっているのか土産物店を覗いてみましたが、原色に近い色使いがポイント使いしてありイメージの違いを感じました。伝統のものもあるのでしょうが、それも又、ゆっくり見に行こうと思います。
犬山は歴史の上からも、名古屋の人の心と身体の保養地であり、祭り以外にも文化を感じる所です。並々ならぬ地元の皆さんの熱意に敬意を表しましょう。
又、訪ねさせて頂きましょう。 (K)

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