はんだ山車まつり ちんとろ船 子供三番叟 |
「三番叟」は色々見ていますが、原点である、能「翁」から様々なバリエーションが展開し数え切れないほどの「三番叟」が、歌舞伎・舞踊、民俗芸能に至るまでご祝儀番付けとして有ると聞きます。 今回は「ちんとろ船」の、子供三番叟はどういうものなのか期待をして出掛けました。 能の「三番叟」は、烏のような真っ黒といえる衣装(素襖)と烏帽子で舞われますが狂言師が舞う「三番叟」は、地味な色の衣装に、鶴・松竹梅が素襖に描かれています。烏帽子は共に黒ですが無地です。 これが、歌舞伎や舞踊になると、烏帽子が、黒・黄の横縞に赤丸が付き縦の長さは短くなります。これは動きが激しい事にもよるのでしょう。「操り三番叟」などは、回転、跳び上がりなどの連続です。衣装も、白地に大きな松・鶴・松竹梅が描かれ大きな赤丸が描かれます。 「三番叟」といっても「郭三番叟」のように花魁、中間、幇間で見立て、鈴の代わりに南天の枝という全く違う姿になるものもあります。 「ちんとろ船」の、子供三番叟がどういう形なのか興味がありました。 南組、北組ではそれぞれが男らしい力強さと、女らしい優しさを表現するという事ですが、今回は南組だけを見ました。 装束の違いは「烏帽子」だけだと思います。南組は黒地に黄丸。北組は黒・黄の横縞に赤丸です。 お囃子は、南組は、小太鼓一、笛四、鼓四(内一つは立てて撥で打つ・大鼓(おおつづみ)を表すと思う)です。小太鼓は前囃子と、舞の前に師匠が打ちますが舞には使いません。舞が始まると師匠は太鼓を片付け、分厚い板に二本の柝をパンパンと叩き「ハーイ」とか「ソレ」とか拍子を取り声を掛けます。 舞の始まりには「とーたり・とーたり・よろこびありやー・よろこびありやー」と謡います。これは能・狂言と同じです。 お囃子ですが、これは聞いた事は無いものでした。「三番叟」というと「とうとうたらり・とうたらり」と反復されるお馴染みのメロデイが山車の道行きにも有りますが全く違うものです。 舞は鈴は使わず、扇を使いますが閉じたままで開きません。「三番叟」は天下泰平・五穀豊穣・無事平穏を天地に祈る儀式といわれ「踏む」といいます。しっかり踏みしめていました。能・狂言では「烏跳び」というジャンプがありますが、四回ほど斜めに跳ぶ所作がありました。 微妙に違う、繰り返しの所作を十二分間やり遂げました。これは「揉みの段」と同じ時間です。 能狂言はこの後、黒尉の面を付けて「鈴の段」の農耕の所作が舞われます。 南組の「三番叟」は以上です。木札に「三番叟 澤田忠成」とありました。本当に良く舞われました。 最高の賛辞を送ります。 北組は道行きから船に乗る所までは見ましたが舞は見ていません。お囃子道具の構成も違うようです。大太鼓が持ち込まれました。小太鼓が二つ船上で打たれ、笛が四人程行きました。鼓は見掛けませんでした。 「ちんとろ船」は、本来は住吉神社の宮池で行われるのですが、五年に一度の三十一輌総揃えの時は運河で行われるようです。北組は又の機会に是非拝見したいと思います。 はんだ山車まつり「ふるさと交流ステージ」の「新城子供歌舞伎白浪五人男 稲瀬川勢揃いの場」と「横須賀公通組からくりお囃子」は別のサイトで・・(準備中)。 |
ミツカン酢の里博物館 十時 この後、長蛇の列が出来た |
運河沿いにオープンテラス | 北船三番叟 南とは烏帽子が違う |
お囃子の道具も違う | まず最上段へ | 六・七才かな |
南船 入宮丸 | 四・五才くらい | 前囃子 師匠が太鼓を打つ |
太鼓が終り所作が始まる | とーたりー とーたりー | よーろこびありやー よーろこびありやー |
木の台に析二つを打ち付け拍子をとる | ハーイ ソレ しっかり足を踏みます | 両袖を巻きます |
四方へしっかり踏みます | 烏跳びをします | 頭を左右に振って間もなく所作は終わります |
良くやり遂げました。師匠が労います | 南北の船の場所入れ換え | 対岸から見ると見物衆が膨張していました |
動画でないので音や動きが伝えられないのが残念です |
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