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はじめに


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昭和八年住居図
名古屋市東区葵町(1940〜1945)

2008年(平成二十年)区誕生100年という事で記念事業が計画されています。
その一環で、ホームページが立ち上げられました。それとのリンクという事で私が暮らした1940(昭和十五年)から昭和二十年三月十九日の空襲被災で、その地を去るまでの想い出せる限りの記憶を辿りたいと思います。
六十年前の事ですから差し支えの無い程度に、屋号、実姓は述べようと思います。
幼時(5〜9才)の記憶ですから思い違いが有ることを考慮して下さい。
あくまでも私の主観である事をお断りしておきます。
知る限りの資料の裏付けはします。
まず、固有名を列挙します。

「葵町」
葵国民学校・アメリカ領事館・旧名古屋高等女学校校舎・尾張時計・安藤内科小児科医院・加藤産婦人科医院・石原助産院・榊原・佐藤・竹内・小沢・渡辺・長谷川・佐々・駄菓子屋・木立ちのある稲荷山・葵国民学校K先生・地球堂(文具・駄菓子)など。
「新栄町」
市電電停・交差点北東角から東へ、銀行・書店・喫茶店・銭湯。交差点北西角、栄楽亭食堂。南西角の南にレコード店など。
「小川町」
葵町の西は、寺とその墓地。墓地に沿って北へ行くと布池の銭湯。近くにアイスクリームの店。
「布池」
市電電停・南東角に、東区役所、桜通りを隔てた北に大洋商工ビル。
「代官町」
布池から北へ、東側に弓道場・代官町商店街入り口角に音羽館(映画)など。

個別の資料は順次記述します。
私は「安藤内科小児科医院」の次男です。当時の生活状況はプライベイトな事になりますが、差し支えの無い範囲で、その時代の暮らしぶりを具体的に記述します。
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