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名 古 屋 の 山 車、車楽 今 昔


宗春公の墓碑は名古屋市、平和公園、建中寺の墓地に佇んでいます。
将軍吉宗に隠居を命じられ百年間、墓碑には網が掛けられていたと言われます。

向かって右端に見える焼け焦げは建中寺で空襲に遭った時のものです。
なお墓碑は戦後、筒井町建中寺から、この地に移さ れました。
平和公園宗春公碑所在地


名古屋開府四百年

徳川宗春公墓碑

建中寺空襲被災で焼損していた箇所を補修、洗浄もされたようで、新設のようになりました。

平成二十二年


絵図に見られる昔の祭りの様子

参考資料 名古屋東照宮祭礼図(蓬左文庫所蔵)。富部神社社務所写真。名古屋市博物館。

電線が多く立ち、この時が最後の曳き出しだという。 熱田まつり大瀬子大山
高さおおよそ22M、明治半ばからは飾るだけになる
熱田まつり中瀬町車楽
名古屋市博物館に現存するという。高さ8.6M
呼続、富部神社高砂山車。三層の上に祠を置き翁と尉の人形を置き松を立てる。
形は車楽です。これは上部です。
左のものの下層部。今は下二層部のみが蔵に収められ十月大祭にそこで人形を飾ります。
囃子は消滅しました。
東照宮祭礼図巻
橋弁慶車(七間町) 焼失
亀尾天王社 (那古野神社) 方端壇尻車 高砂 唐子遊車 (宮町) 焼失 湯取車 (桑名町) 現 筒井町に譲渡
東 照 宮 祭

名古屋東照宮は、元和二年(1616)4月17日に亡くなった徳川家康を祭るため、元和五年(1619)家康の九男、尾張初代藩主徳川義直が建てました。格式高い祭りとして4月16.17日に盛大に行われました。
元禄時代から華やかになり、山車が沢山造られたり練り物行列も多く出ました。
戦災前の様子は名古屋市博物館のビデオコーナーで見る事が出来ます。

天 王 祭 (那古野神社)
天王社は明治初年まで名古屋城三之丸に鎮座し「三之丸天王社」と言われていました。この祭りは毎年6月15.16日に行われていました。疫病を防ぐ祭りでした。江戸時代宵祭りには提灯を飾った車楽とからくり人形を乗せた見舞車という小型の山車が出ましたが殆どが焼失しました。現在は7月15日の夜に車楽一輌が飾られます。
若 宮 祭

「尾張の山車祭り」 を参照下さい

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