トップへ

 出 来 町 天 王 祭  
出来町へは六年続けて行っています。実は、それまでよく知りませんでした。筒井町の天王祭りは報道されることが多く、私が幼時、住んだ葵町からも近い代官町へは、よく行っていましたから、そのすぐ向こうです。
代官町は映画館もある下町商店街で、映画も見に行った事があります。祭りを見た記憶はありませんでした。
東照宮、那古野神社や若宮祭りは、祖父たちが住んでいた外堀町のすぐ傍。父の生まれたのが長者町と、祭り町内にいたようなものですから雰囲気は感じていました。そんなわけで、筒井町を訪ねて、お囃子が聞こえてきた時には胸が高鳴りました。
「いやー、今でも、こんな祭りをやってるの」
名古屋まつりの山車揃えは前から知っていましたが、並んでいるのを見ただけで、さほど感じる事はありませんでした。
祭り自体が寂れて、存続がやっとであったと聞きました。
祭りが素晴らしいものだという事がわかり、再び、活気を取り戻したのは、まだ最近になってからのようです。

暫くビデオなどを撮影。建中寺さんも拝見。
「そうだ出来町も祭礼の筈、行ってみよう」

と、以前、常磐津の資料を見に行った徳川園蓬左文庫の方へ歩いて行きました。狭い道路から現れた山車が、広い道路を横切って行きます。ついていきました。まもなく、小公園があり屋台が並んでいます。辺りが賑やかです。
ここは大松通りといって両側が商店街になっています。ここでは祭り装束の兄さん、お姐さん、子供衆、長老方が大勢いて、囃子に乗って山車の曳行、どんてん(方向転換)すれ違いで熱気が盛り上がっていました。
「やあ、これは凄いわ」なにか野性味を感じました。
その時は、まだインターネットはやっていませんでしたが、その後、古出来町の王儀之会のHPを知り、町の幹部でもある水野さんと交流しています。続きは後文で・・・。
古出来町(東之切)の山車曳き出し 綱頭の安江さん、実は町の人形師 采振り 微妙な動作が可愛い
木遣りの後、出発の気勢をあげる
先導は王儀之会(HP)の水野さん
指定文化財 「人形囃子」 にのせて、からくり奉納 「人形囃子」の特色。リズム感溢れる太鼓のテンポ
出来町(中之切) 若い衆の強力(ごうりき)
一人で山車を持ち上げる
大松通りに山車集結。山車のすれ違い、譲り合いの挨拶 出来町三町内、綱頭による祭礼の挨拶
最終日宵、大松通り。三町内全員による千秋楽の御祝儀と手〆、万歳 当番町内による千秋楽の 御祝儀。手〆、万歳の後、各町内へ「帰り囃子」に乗って散っていく哀愁の別れ。 新出来町(西之切)の須佐之男神社へ帰る山車。各町内毎に千秋楽の御祝儀と手〆、万歳でお囃子の音も途絶え祭り行事は終わる。十時を過ぎています。
山車の詳しい解説は「尾張の山車祭り」に譲ります。
山車の変遷は、西之切の「鹿子神車」は空襲から逃れたようですが王儀之車は全焼しました。
河水車は、戦後、住吉町から譲り受けましたが、人形は疎開していて戦前からのものが乗っています。
戦前は「石橋車」で写真が社務所に掲げてあります。可愛らしい顔の石橋獅子の髪洗いの激しい動作は感動的です。
私は、これが好きです。あまりの激しさに頭が吹っ飛ぶ事もあるそうです。
王儀之車は、昭和23年から5年がかりで、町内の皆さんの手で造られたものです。改造、追加は今も続けられています。
人形は人形師によって造られたものですが、地元の安江さんが試行錯誤を重ね、新しい人形を今も製作中です。
肩に乗った獅子が、扇をパラリと開く仕掛けには苦労されたと伺いました。
山車は、戦後、若宮から譲る話があったようですが高額な為、自ら造る事にされたそうです。
他所には無い「人形囃子」が市無形文化財に指定されています。
山車は、文化財指定ではないので保存修理の助成が無く、飾り物の調達の費用は大変なようです。
水野さんの HP 「王儀之会」をご覧下さい。町の皆さんの心意気に敬意を表しましょう。

トップへ