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 一宮浅井町黒岩石刀神社祇園祭 


一宮市浅井町黒岩祇園祭 八月第一土曜

黒岩は、木曽川の二重堤防の間に位置する。船祭が途絶えた中にあって、祭船を出せなかった(土地の人はその権利がなかったという)黒岩は、巻藁船のように提灯で飾った山車の出る臼台祭(祇園祭)を、今も八月第一土曜に行う。
山車前方には、船の舳先のように赤白の提灯(アマゴイ)もつけられる。
七月の津島朝祭りの日に、代参者が津島神社でお札を受け、石刀神社にある常設の小祠に祭る。
祇園祭の山車は、この天王社と木曽川の水神を祭る「川神」に至る堤防上を行き来していた(今は、公民館と神社の間のわずかな距離を動くだけになった)。
この日に、送り船の行事もある。送り舟の材料は大麦の麦稈(カヤともいう)と竹で、いろいろな形の提灯がつけられる。
山車が公民館に帰ってくると、赤白の提灯が参加者に配られる。持ち帰るとその一年は、家族全員が元気に過ごせるという。
提打の片づけが終わると、青年が、オクリプネを木曽川と宮田用水の合流点に流す。
なお、同じような送り船は、犬山市三宅神社の疫神送りにも見られる。
また、八月第2土曜日には、天王社の前でお囃子を奉納する天王祭も開かれる。
黒岩の祭りには、山車が水神と天王社を行き来すること、送り船に疫病を込めて流すなど、天王信仰の水神的な性格がよくあらわれている。

「尾張の天王信仰」名古屋市博物館1999.1.23発行誌より

近くに住まわれる方の撮影されたビデオからキャプチャーしました。
堤防から囃子方が到着したのが午後七時三十分頃。
八時頃から提灯が付けられ三十分ちょっとで完成しました。
お囃子は八種類あります。寄せ囃子、山車を回転させる時の早い調子。終りの燗高い調子など。
太鼓四人、笛四人くらいと思いますが、かなり力のこもった音と気迫が伝わって来ます。
祭は九時頃には終り、後片付けになります。
山車は二層、唐破風、屋根は格子状になっているようです。普段は屋根を下げて格納してあるそうで機会を見て尋ねてみようと思います。
黒岩石刀神社と今伊勢の石刀神社の関連については諸説あるようですが、それは地元の方の言い伝えに任せましょう。

お囃子は熱田神楽で
「大寄せ」「大道行」「善治野」「歌道行」「山車」「ニョッコイ」「岡崎」が伝承されています。

川神から堤防沿いに、神官を先頭に囃子方が
石刀天王社に到着。石段を降りる。
石段中程で囃子の演奏。太鼓、大小二組。 笛方。
総代に到着の報告。
提灯取り付けまで囃子は休み。
月を表す十三個(閏を含む)の提灯 一個づつ提灯を麦藁の筒へ差して行く
行灯に灯が入る。
紅白提灯は「アマゴイ」と云われる
弓張り提灯に灯が入る。
すべて和ろうそくです。
「アマゴイ」にも灯が入り
提灯付けは完成
完全な半球形ではないがこういう形となる 川祭ではないが舟形になっている。 神社境内を引き回される
奉納された提灯 一年を表す三百六十五個の提灯 公民館前に止まった山車は
提灯を下ろします。
麦かやで作られる「送り船」 一切の厄を乗せた「送り船」は
川に流されます。
暗闇の川面に向かって「送り船」が去り
祭は終わります


木曽川中流、川沿いのムラ

木曽川流域の葉栗郡を中心とした地域と対岸の岐阜県 側には、天王祭りに津島の巻藁船を模した川船を浮かべるところが多かった。
愛知県側の起、北方、河田、南野、草井、犬山と岐阜県側の笠松、渡島、無道寺、円城寺などである。
しかし、そのほとんどが途絶えてしまった。

わずかに、昭和38年(1963)から途絶えていた渡島(岐阜県川島町)の川祭が、平成5年1963)から復活している。
この地域の特色は、木曽川に面していることもあって、天王信仰が水神と密接に関連していることにある。


瀬部臼台祭

一宮市瀬部八剣社、観音寺8月16日
山車の上に一年の月数と日数の提灯をつけてそれを回す。
中心は木で作られた臼(穀物を粉にする臼(実物は石)状の台になっていて、それをグルグル回します。提灯全体がクルクル回り、歓声が上がります。
今は山車は一箇所に固定されていますが、かっては境内を曳いていたといいます。
この祭の始まりは、はっきりはしませんが、ある時、観音寺の大銀杏の木に琵琶湖竹生島の観音様が舞い降りて木の上で光っておられるのを祭ったと伝えられますが、よく分からないそうです。
お囃子は「祇園囃子」と言われていますが「熱田神楽」だと思います。
「道行」「宮入り」「カンカラ」「神嘗」「寄せ」「新車」「ヤナギハラ」「オヒャララ」「おどり込み」「歌い道」「車囃子」など、〆太鼓と笛です。
私は大分、以前に見ましたが、夜かなり遅くなるのと、お盆の翌日という真夏なので、終日の取材は大変なので、地元の人に取材を頼んでいますが、まだ叶えられません。
ビデオを見つけて、又お伝えしましょう。


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