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前文でのカルチャーショック。追加しておきます。
ベートーベンの「第9番 合唱」です。20代初め、私が無けなしのお金をはたいて購入したLPレコード第1号です。年末の夜、市内の幼稚園の講堂で開催の「レコードコンサート」で、寒さに震えながら初めて聞きました。解説は森一也先生。先生はテーマ、展開部など、曲のポイントをゼスチャーで示しながら終始立ったまま僅かな数の客席に伝えて下さいました。私はラジオに繋ぐ玩具のようなレコードプレイヤーで、何度も何度も聞き、恍惚の境に浸りました。乏しいクラシック音楽の知識の原点になりました。

さて「日本画壇の風雲児 中村正義」
1924年豊橋出生(大正14年)という事ですから生存されいれば八十七才ですが、1977年、52才で肺癌の為亡くなりました。中村岳陵に入門。1946年(22才)日展入選。1950年(26才)最年少で特選、1952年再び特選という稀有な天才と認められ、1960年には日展審査員に推挙されたのですが翌年保守的な組織に馴染まず脱退しました。
パンフレットの紹介文によれば日本画壇の因襲への反発心と、画題・画材とも、既成概念を遥かに超越した、多様多彩な絵画を描いて「風雲児」と呼ばれたとあります。若くして肺結核に侵され、生涯、死の恐怖と魂の叫びを、日展脱退後の1960年代から亡くなるまで描き続けました。
展覧会は230点という膨大な展示です。日展脱退までは誠に穏やかな、本来の日本画の技法で確かなスケッチと情緒のある作品が並んでいました。
所が1960年以降になるとガラリと一変、病身とはとても思えないパワーと色彩が展示室の四方から迫ってきます。長い時間居たら精神状態がおかしくなるのでなないかと思う程です。
三島由紀夫などの著名人の絵はポップアートのアンデイウオーホル(マリリンモンローで有名)の表現の影響と思えます。死への恐怖と思う抽象的な表現はムンクの「叫び」にも共通します。
「舞妓」を色々な表現で描いています。救いを求めてか自分なりの表現で「仏画」もを描いています。
正直言うと私は脱退前の絵は好きです。古典的な写実だけではない情緒のある描き方は素晴らしいものです。「川合玉堂」の古典画法でありながら独特な自然の情景画を熟成された生き方と同じように素晴らしい作品が並んでいます。
出身地豊橋には「中村正義美術館」があり、娘の中村倫子さんが2012年完成を目指して「ドキュメンタリー映画」の製作中という事です。

特設展示室の「源平海戦絵巻」
部屋入ると、正面に「紅白吐露(150号)」があります。黄土の背景の中央斜めに空いた空間があり、左右に対峙した源平の戦闘用の小舟がびっしりと描かれています。数える気にならない程の、蜘蛛の子のような集団です。真ん中に筋が見えるのは屏風仕立てでしょうか。
右の壁面に「海戦」「玉楼炎上」です。左の壁面は「龍城煉獄」「修羅」これだけで壁面一杯です。
「海戦」
海の色は日本画の色名では「白郡」で濃水色です。中央に安徳天皇を奉じた御座船が浮かび周囲に小さな源平の戦船が群がっています。その夥しい数。よく探すと右上に「義経」が跳んでいます。いわゆる八艘跳びです。雑誌などに載っている「間違い探し」の、もっと細かい物と思ってください。これは目録に掲載があれば入手して、ルーペで一つ一つの舟や武将の表情を根気よく観察しないといけませんが展覧会では何度行っても見残しがあるでしょう。私は隅々まで隈なく見て来たつもりですが何となく、まだ気に懸かる作品です。

「玉楼炎上」
背景は栗茶です。源氏方は小舟に火を乗せ御座船に炎を燃え移らせます。岸に逃れようにも、そこからは敵方から矢を射掛けられ行けません。炎上した御座船は行方を失い、武将は次々討ち死に、安徳天皇を抱いた二位尼は「浄土は海の底にもはありまする」と、三種の神器と共に身を投じます。建礼門院徳子はじめ、次々入水する女官、源氏方は熊手で引き揚げんとしますが多くは血に染まった海中に巻き込まれていきます。

「修羅」
背景は緑青です。鮮やかな緑の海中に平家の鎧武者が潮流に巻き込まれている場面です。鎧には金粉が掛かり幻想的にさえ見えます。これは写真では判らないのではと思います。実物では確認できます。

「龍城煉獄」
背景は紅です。明るい赤です。生々しさは感じません。渦が描かれています。女官の緋の袴が平家武者の鎧に絡み付いています。激しい海流に翻弄されている姿が表現されています。
簡単に説明しましたが誠に不思議な絵です。残酷さや悲壮感は全く感じません。伝統的な歴史画のような写実ではないのです。作者の自由奔放な発想がユーモラスに感じるほどです。漫画チックな武将の表情があります。
映画の為の創作という事ですが、どういう動機で中村画伯に依頼したのだろうという疑問を感じました。悩みと苦しみの生涯だったという事ですがこの絵からは「楽しさ」が感じられます。幾らだかわかりませんが大作の為という報酬が約束されていて自由に描いたのかもしれません。この5点の作品はほかの絵とは全くの「別物」で特別特異です。国立近代美術館買い上げという評価をされたのでしょう。
「怪談」は日展脱退直後の1964年の映画ですから中村正義40才若さと解放感に溢れていたのでしょう。娘の倫子さんの回想では中学校から帰って来る度、だんだん舟や人が増えて行ったそうです。
日展脱退の時には奥さんに「これからは全く絵は売れなくなるかもしれない」と語ったとか・・。それ以降の葛藤は前文に書きました。

北川鶴昇さんは「紅白吐露」を背に「壇ノ浦」を演奏されました。八十才という熟練された薩摩琵琶の響きと語りは所を得て平家滅亡の哀愁を伝えられました。北川さんは武満徹の難曲「ノベンバー・ステップス」を、愛知芸術劇場コンサートホールでセントラル愛知交響楽団と共演しておられる方です。自宅には琵琶の名品が多くあり空調で管理したコーナーが設けられ拝見させて頂きました。

さて画像ですが北川さんのブログに「玉楼炎上」がありますから紹介させて頂きます。他の絵は画質・色調が不十分ですが著作権などの事もあり思考中です。

「名古屋市美術館」のHPには展覧会のパンフレットがあります。

「常設展示室(開催展入場券必要)」には、所蔵品展示があります。これは誠に豊富です。とても、ゆっくり見ている体力・時間が無かったので目ぼしい作品のみ見て来ました。名古屋市美術館・目玉の、モジリアニ「おさげ髪の少女」サンローラン数点、日本画では、横山大観・前田青邨・片岡球子など。モダンアートから多種に亙る展示は度々行かなければ無理です。

特筆すべきは岡本太郎の「明日の神話」の下絵(132.7×728.9Cm)
この絵は太陽の塔と同時期に製作していたメキシコのホテル「オテル・デ・メヒコ」の依頼による壁画の最終下絵です。縦6メートル横32メートルの壁画はほぼ完成されていましたがホテルはオープンせず壁画は所在不明、2003年7枚の分割された状態で発見。修復後、2008年東京渋谷に恒久設置された話題のものです。原色でビキニ環礁の原爆実験のモチーフを元に戦争の不安・死の灰・地球のな破滅を描いていて近代地獄絵なのですが奇妙な皮肉を喜劇的に描いているという解説文です。
原発事故発生の今、再び警告を発していると絵の前で考えます。

長々と書いてきました。久し振りでくたびれました。
又、機会を見て書く事にします。勝手な事を書きました。今回はこれにて失礼致します。
                                  
                                  2011.11.12
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