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07歩こう!文化のみち

99年に始まり9回目になる「歩こう!文化のみち」は、例年通り、十一月三日、名古屋城から徳川園までの18ポイントのスタンプ地点を巡るコースで開催されました。
今年は名古屋城と市役所本庁舎が加わり、各所それぞれでのイベントも豊富で総てに参加、或いは見学することは出来ません。
99年には存在した建物の消失や見学禁止になったものもありますが、それぞれ止む無い事情も有り永久保存は望めません。鳥屋筋の長屋も部分的な消滅がありました。双葉御殿は解体移転し、イメージが変わりました。移り行く状況を記録して行くのも必要な事だと思います。
限定配布される「東区文化のみち あれこれ」は、今回がNo5ですが在住の人ならではの情報が掲載され、旧区民の私ににとっては是非入手したい冊子です。今年も、それを第一の目的に、9.00に「豊田佐助邸」に来場者No1で訪ねました。私が持っていたパンフレットには書いてなかったのですが配布は11.00からという事だったので、それではと「市役所本庁舎」からスタートという事にして市役所へ向かいました。今年初めての参加ポイントという事で、9.20頃でしたがここでもNo1だったようです。40分ほど居ましたが詳細は画像と共に説明します。今回の撮影は、ここと「金城学院」だけです。
では、18ポイント中、歩いた14地点を中心に紹介します。
「豊田佐助邸」「市政資料館」「市役所本庁舎(正庁・貴賓室・控えの間)」「主税町教会」「大森家お庭」「撞木館」「鳥屋長屋」再び「豊田佐助邸(お茶・元贇焼・冊子頂く・東区検定に挑戦)」「堀美術館」「東区100周年記念事業ブース(写真撮影・非常食を頂く)」「「鬼頭邸(盆栽拝見)」「主税町長屋門」「双葉館」「百花百草」「金城学院栄光館(パイプオルガン拝聴・地塩館ステンドグラス」「熊野屋(おじいさん健在)」「陶磁器資料館」「建中寺(光友公墓所)・尺八拝聴」「徳川園」。
今回は以上ですが、有料や混雑している所は再訪する事とし、鍋屋町方面は二年程行っているのでパスしました。毎回、スタンプは満タンにしていましたが今年は重点主義にしました。
思い出せば、昨年は「貞祖院」で水琴窟の音を聞いている時、ドラゴンズセリーグ優勝パレードの取材ヘリの爆音がやかましかった事を思い出します。日本一のパレードが17日と聞いていますがどんな事になるのでしょう。
「市役所」には、日本画が多く掲げてあり「豊臣秀吉・織田信長」の肖像画もありますが、調度や装飾を見ると名古屋の象徴は「豊臣秀吉」だという事がよくわかります。マントルピース・腰壁・格天井の鏡板も五三の桐です。「太閤さん」が名古屋のシンボルなんですね。
織田信長は岐阜、徳川家康は三河ですし、何と言っても尾張は「太閤さん」なんでしょう。吉川英治の「太閤記」が昭和初期に一層、太閤人気を盛上げたんでしょう。葵町の私の家にも全巻有りましたから、それで黒田官兵衛や竹中半兵衛の事を知りました。夏目漱石全集も有りましたが、何もかも総て空襲で燃えてしまいました。
冊子「文化のみちNo5」に、葵国民学校の終戦直後の様子の文が掲載されています。私の去った後の当時の状況を初めて知りました。旧東区役所・大洋商工ビル、桜通りの延長拡張の事など・・。
                                              (後文に続く)
市役所本庁舎 正面階段の花文様の飾り 貴賓室 照明 控えの間とセット
画は市民会館緞帳の原画 
灯りは清正の槍を思わせる
マントルピース 組金具は緻密 五三の桐 腰壁も同じくセットになっている
正庁 腰壁・演壇は大理石張り 天井照明は二基 格天井 鏡板は五三の桐
金城学院「栄光館」
デザインが素晴らしい時計 バイプオルガン演奏
ステンドグラス前 美術・書道の展示 地塩館(天に星、地には塩だったかな・・) 星・葡萄・百合
星・百合・水仙 栄光館 鳩・百合・星
「金城学院」へは関係者以外は、この日だけしか入れません。昨年は反対周りの「徳川園」9.00スタートで「栄光館」では、10.00、中・高グリークラブ(約50名)の女声合唱団演奏。折りしも同時刻、広小路では「中日ドラゴンズ優勝パレード」が始まった頃、特別追加で「燃えろドラゴンズ」がアクションを付けて歌われ客席からも手拍子が鳴りました。今年は、12.00少し前に行きました。パイプオルガンは今まで聴く機会が無かったので初めて聴く音色に癒されました。芸術文化センターのパイプオルガンは演奏会で聴いています。演奏方法も音もダイナミックでしたが中ホールの演奏会も良いものです。「地塩館」は隣接していますが断わり無く入れません。OG(卒業生)かと思われる初老の五人ほどのご婦人がそちらへ行かれたので付いて行き一緒にステンドグラスだけ見てきました。
「建中寺」は尺八の演奏中。回廊に掲げてあった年代毎の境内図で西奥に二代藩主光友公の墓所が有ると知り訪ねて来ました。平和公園の七代宗春公と同じ姿です。上のほうに横に亀裂のように筋が有りますが空襲で被害を受けたのでしょうか。初代藩主義直公は定光寺に有りますが他の藩主の方はそれぞれの国元へ帰られたのか無いようです。明治維新で国情は一変しましたから測り知れない混乱があったと思います。
2.00過ぎ、今年の「歩こう!文化のみち」を終えました。
各所での大勢のボランティア、関係者の皆さんの明るい接待に感謝します。
東区100年記念事業PRブースでは記念写真撮影HPにアップして頂きました。プリントアウト保存しました。「鬼頭邸」の三百五十年の盆栽など五十点感嘆するばかりです。
入場していない所は近々伺います。来年も参加できる事を願っております。

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