文化の秋あれこれ (2001・11.10)
この所の気温の変化の激しさに風邪気味で体調は良くないのですが多少気にしながら十月末から展覧会、文化施設ウォークラリー、音楽会などを訪ねています。
順番にいうと、十月二十八日(金)愛知県美術館での私学美術展(絵画・デザイン・写真・書道)の写真の部に出品した孫娘の写真が出品38点の中での中日新聞奨励賞2点の内に選ばれたという事なので行ってきました。因みに賞というのは奨励賞だけという事でした。初めての出展で選ばれたという事なので誠に結構なことでありました。
ついでに、開催されていた他のギャラリーの展覧会も見て来ました。
「島田章三展」は大き過ぎるので又という事にして「我楽多展」という絵葉書サイズの絵手紙・インド紀行・東日本大震災などの小品展、「彩の会」という、風景・花・草木などの写真展。ここまでは所謂、アマチュアの趣味の範囲でオッという程ではありません。
巨大な、中央吹き抜けのエスカレーターを一階降りた所で「イラストレーター協会展」というのをやっていました。これは、プロ、或いはプロ志向のイラストレーターの展示で、さすがに技術、発想が違います。解説員の説明の前には40人程の若い感じの人達が聞き入っていました。緻密さ、構成など相当な勉強が必要と思いますが、プロへの道は簡単ではないと思います。初志を貫遂出来るのは厳しいと思いました。
翌二十九日(土)本町一帯で「イタリアン!!・」というイベントがありました。「木曽川少年少女合唱団」の出演が宮前広場であるという事なので、久し振りに聞きに行きました。季節外れの強い日差しの中、正面から西日が当たるの30分の出演はご苦労様でした。いつもの事ですが野外コンサートはアンプの音質も悪く実力は伝わりません。イタリア民謡を主にフィナーレは震災復興を願っての「上を向いて歩こう」でした。「ルボ伝三」で開催の「のむらしげよとその仲間たち展」に立ち寄りました。毎回案内を頂くので懇意でもあり毎回拝見しています。障害者と家族・賛同者が出品しています。自己表現の場として、画家で元教師の、のむらしげよさんの主宰する絵画教室の仲間たちの発表の場です。
それ以前に「名古屋まつり」10月16日(日)に行きました。以前のように朝早く8時頃から「山車揃え」の二の丸集合から夕方まで行動する。或いは同日の「枇杷島祭」を見てから名古屋市役所オープニング式典「山車披露」栄交差点まで道行そして、どんてん、果ては「ひがし祭り」の建中寺公園までという「歩き」はもう過去の夢になりました。
今年は、午後2時から出掛け、納屋橋南の「唐子車収納庫」を通りました。山車披露を終えた「山車」は一週間前の土日の「柳橋神明社祭礼」に続いての行事なので何時も大変だという事です。山車蔵の前に居られた町頭の方とは馴染みなので15分くらい話し込んでいました。
折しも御園座では「恒例顔見世興行」夜の部開場前でしたが人が集まってきていました。「満員御礼」の看板が上がっていました。御園座は経営難が伝えられていますが、今回は団十郎・海老蔵・三津五郎などの出演で演目に「助六」が含まれています。興行事情はあるでしょうが、小林幸子や松平健の芝居と歌謡ショーなどで25日持たせるのは無理だと思います。考えてみれば、私の若い頃は「新国劇」「新派」など実力人気劇団が居ましたが歌舞伎以外で高額な劇場演劇興行を維持するのが難しい時代かとも思います。
歌舞伎役者は総てが上方役者も含めて東京住まい、地方(演奏者)も同じくです。経済・文化総てが東京集中です。名古屋が地方都市とは言いませんが現実は総勢大所帯の引っ越し興行です。立派な劇場を造るだけでは解決はしないのでしょうか。
そこから「大須大道町人まつり」開催中の大須商店街を通り抜け。「花魁道中」を見掛け、今年初めてという三英傑行列の終わった(信長・秀吉・家康)の大須道中にも出会う。出掛けたのが遅いので早々と通り抜けて、この日は、名古屋市施設(名古屋城など)が無料開放なので「ランの館」へ行く。「ハロウィンワンダー蘭ド」開催中で、特設ステージでは「モダン・フラ・ベリー・タンゴ」のダンスチームが2曲ほどずつ演舞。プロではないと思いますが都会だけあって色々な人が姿を見せます。ジャズバンドの出演も有ったようです。
久屋大通り公園では各地の武将隊のパフォーマンスの最中でしたが横目で見て「オアシス21」へ。
北海道から沖縄まで各地の特産展示をやっていましたから、東日本の被災地「陸前高田」の味噌を買って帰途へ。それでも名古屋駅からグルッと全部歩いていますから10Kは歩いています。今はそれくらいが限界です。
十一月三日「文化の日」第一回から殆ど毎年「ラリーウォーク」をやって来ましたが、だんだん増えて今年は25ポイント。昨年は22ポイント中18スタンプを押しました。9.00スタートして4.00頃で断念しました。これも今では考えられないタフでした。昨年末頃から体力バランスが大きく衰えた感じになりました。何しろ七十五才(後期高齢者)です。萎縮性慢性胃炎で、食べ過ぎないようにしているので一度の食事量が少なく、2〜3時間でガス欠状態になるので補給しないとフラフラになります。その前に何かを補給しないと「ヤバい」感じになるようになりました。
同じ日、午後2.00から名古屋市美術館で開催中の「日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌」に、琵琶奏者の北川鶴昇さんが「源平海戦絵巻」5点の特設展示室で「壇ノ浦」の弾き語り演奏をされる案内を頂いたので「文化のみち」の方は、まだ行っていなかった「百花百草(元岡谷邸」と、毎年この日に発行される「東区文化のみちあれこれ」(No1〜No8所有)を豊田佐助邸で購入と、今年初公開の「愛知県庁舎」を目的にして他は見送りました。県庁は講堂・知事室を見てその上は行きませんでした。TVニュースによると4000人見学者があったそうです。
風邪気味で体調今一つだったので、念の為、ハイキングステッキを持っていきましたが使う事はありませんでした。
来年の事はわかりませんが、昨年は「東海高校建物」や「徳源寺」の、開山堂(昇竜天井図・川合玉堂)という思いがけない遭遇があり大きなカルチャーショックを受けました。
「中村正義」については内容が大きいので改めてお伝えします。
十一月四日「セントラル愛知故郷楽団定期演奏会」が「しらかわホール」で開演。
中日新聞で、常任指揮者斉藤一郎さんが紹介された武満徹の「系図」(岩城弘之の小編成オーケストラに編曲)ナレーションの少女を公募の日比野眞子さんで演奏されました。
初めての試みとして「Ustream 」で中継という事で、夕方6.45分からインターネットで見ていました。カメラは最後部のロング固定一つでした。白っぽい画面でピントもはっきりせず少女の姿は溶け込んでしまって見えませんでした。6.00過ぎにリハーサルのテストを映しましたが姿が分らず録音なのかなと思いました。演奏後指揮者の傍にぼんやり姿が見えましたが白いワンピースのようでした。私は、小沢征璽指揮、サイトウキネンオーケストラ、遠野凪子の日本語初演を演奏をビデオで見ているのでそれを超えるものは無いと思います。
偶然、N響で見たインパクトが強烈でその後の経過は「音楽の輪」に書きました。
カルチャーショックのインパクトは、生涯、焼き付きます。これは多くの事に言えます。
二世尾上松緑「勧進帳」中村歌右衛門「娘道成寺・隅田川」歌舞伎囃子方小鼓「望月朴清」海外ではバレエの「モーリスベジャール」振付「ボレロ、ザ・カブキ」映画では、スピルバーグ監督「激突・シンドラーのリスト・プライベイトライアン」デビットリーン監督「アラビアのロレンス」ジーンケリーの一連の「ミュージカル」、リチャードロジャース作曲オスカーハマースタインによる数々のミュージカル。レナードバースタイン「ウエストサイドストーリー」大きな感動を若い時から数多く体験しました。
最近は見た目の派手さばかりでカルチャーショックを受ける事があまり無いのは残念な事です。
「中村正義展」(12.25まで)は、今まで全く知らなかった画家ですが北川鶴昇さんからの案内で、国立近代美術館所蔵の「源平海戦絵巻」全5図「紅白吐霓」「海戦」「玉楼炎上」「修羅」「龍城煉獄」を特設展示場で見て驚きました。描かれた「源平海戦絵巻」全5図「紅白吐霓」は150号ですが他の4点は500号という6畳に近い大作です。それぞれは改めて感想を書きます。
この絵は1965年、小林正樹監督が製作した映画「怪談」(小泉八雲原作)のオムニバス四話(160分)の第三話(耳なし芳一のはなし)の冒頭部分「壇ノ浦海戦」の場面に使う為、創作された不思議な描写の歴史画です。実写場面と構成され武満徹の音響と相まって素晴らしい映像になりました。
この後は改めて別文で |