4月3日、新勤評反対訴訟第2回法廷が開かれました。当日は原告26名をはじめ、傍聴席91席を一席も余すことのない傍聴者が駆けつけました。その中で16時30分開廷。
裁判長は原告、被告それぞれから提出された書面の確認の後、原告弁護人との間で、原告の昇級にいつどのような不利益が生ずるのかの確認を求めました。その上で6月に勤勉手当で、さらに来年1月に昇級等で差が出るならその差額を求める等の要求を出すのかどうか質問しました。そして仮に差額を求める訴えを出すのなら、その中でシステムの違法性を問うことができるのではないかと問いかけました。さらに自己申告票の提出義務のないことの確認をそれでもなお求めるのかと問いました。これら一連の質問は要するにこの裁判に「訴えの利益」があるのかを確認するものでした。こちら側は、実損についてはその保証を求めることは留保、申告票の提出について職務命令が出る可能性が常にある以上、提出義務不存在の確認は常に求めると答えました。さらに被告側に対してなお原告不適格の主張を続けるのか問うたことに対して被告側はなお検討すると答えました。
このやりとりの後、次回、次々回裁判の日程を、それぞれ6月28日16時30分から、8月28日16時からと決定して閉廷しました。
素人目から見ると、こんな短時間で裁判長はいわば金の問題だけに裁判を解消しようとしているのかというようにも見えました。しかし、後のまとめ集会で中島弁護士が言われたように、書面のやりとりだけに終始する裁判で、裁判長が語りかけることは全く異例なことだそうで、審理もあるんだぞという傍聴席に対するアピ-ルではないかというのは事実に思えます。被告側が出した準備書面からしても裁判は、システムの違法性を教育の条理に問う実質審議に一歩近づいたと言えます。
ことに義務制では新年度早々、担任決定等忙しい時期の設定だったこともあり、集会の最初は学校にすぐ戻らねばならない中学校原告の陳述書に対する報告から始まりました。
陳述を予定していた中学校教員は、陳述させてもらえなかったことは残念、その陳述書そのものを書くことを一旦は断念したというように話し始めました。趣旨は以下のようなものです。中学校現場のこの上ないしんどさを書き始めたが、弁護士からはしんどさはわかるが、それとシステムとのつながりは不明だと言われた。一旦あきらめたが、夜なべでうつうつ考えるうちにシステムに対する激しい怒りが起こってきた。何とか仕上げずにおくものかという気持ちが起こってきた。
中学校教育の総決算といえる進路指導に即して言いたい。進路指導は教職員の協力・協働の結果であり、個々の教員の成果ではない。この間わかったことは自己申告票を提出している人も決して納得して提出しているのではないということである。システムがなければそうではなかった校長に対する不信感も生じている。若い人がやめてほしいと言い始めている。総合評価で分断管理され、差別される。大阪の人権教育は何だったのかと言いたくなる。上から言われて従うだけの人間を作るのは間違いだ。どうか他の原告も一刻も早く陳述書を書き始めてほしい。
次に立った原告団長は、忙しい時期の結集に対する感謝の言葉から始めました。まどろっこしいように見える裁判であるが、一層粘り強い取り組みが必要であること、府教委の準備書面は行政的手続きのみを示すものであり、血の通った教育条理の一片さえないこと、これに対しては職場の実情、困難な実情をつきつけ、実質審理に進むしかないことを訴えました。
次いで冠木弁護士が裁判の進行の現状と今後の方向性について重要な問題を提起しました。
まず本日の法廷が、訴えの利益を確認するものだったこと、結論として却下するものではないことを具体的な事例でもって示しました。
第二に、裁判は今後中味に入っていくが、その際この裁判が権利侵害を問うと同時に今日の日本の教育政策全体を「敵に回す」性格のものであることを指摘しました。その上でこの裁判を進めるに三つのことを進めていくことを提起しました。一つは、裁判は何より「権利侵害」の問題として争われるが、まず「不当な侵害」などさらさらないという当局の主張に対し、システムが先行しその弊害を暴露している東京都教組の「黒書」をさらに分析し直し、東京都の方にも証人として立ってもらうこと。二つに、権利侵害の背景的事実を裁判所にも考えてもらう、発想を転換してもらう意味でもフィンランドの教育、とりわけ「教育は自由でなければならない」という発言から考えてもらうこと、さらに日本がモデルにしようとしているイギリスの教育政策の悪さの行き着いた先についても考えてもらう。さらに大内さんに意見書を書いてもらいたい。氏にはこの裁判が提起しているはずの「国民の教育権」をさらにつっこんだ教育論を展開してもらいたいということです。第三に、評価・育成システムそのものが教育現場になじまないという学者にも立ってもらいたいということです。冠木氏は師事した弁護士の「裁判やけどデモをする気で」という言葉で今後の支援を訴え発言を締めました。
本日の裁判で陳述を予定していた高校教員が次に思いを述べました。自己申告票を端から出す気がなかったものだから、今回改めて読んでみて、個々の教師の内心を縛る、とんでも無いものであることがわかったこと、しかし現場は段々元気がなくなっているなどの実情を含め書ききれていないこと、校長はじめ若年で辞める人が増え、辞めてもその理由も問わず、こんな時代に子どもには教師にならせたくないという人もあること、若い人に不利益になるこのようなシステムをつぶすことは年寄りの義務だ、という力強い言葉で締めくくりました。
事務局長からは次の法廷の準備に向け、自らの体を動かして、ことに東京とのつながりを深めていくことが訴えられました。ことに都が、君が代ピアノ伴奏拒否に関する最高裁判決を利用して新たな攻撃をかけようとしている時、一月半の間にこちらが内容的にどこまで深めることができるのか身が引き締まる思いである、との発言がありました。さらに、まだまだ現場の状況はつかみ切れていない、それぞれつながりのある人に裁判の事実を伝え拡大してほしいとの訴えがありました。
最後に会場から質問と新たな原告予定者からの発言がありました。
質問は、本日の法廷が長野勤評の判決を何で持ち出し、何をやりとりしていたのか、さらに府教委は自己申告票の提出については「職務の一環」として位置づけ、職務命令を出すとは一貫して言っていないのではないかというものでした。
冠木弁護士からはまず「訴えの利益」がこの裁判にはあるのであり、却下されるものでないことを確認したこと、さらに府教委は申告票の提出についてそのように言うが、職務命令を出す可能性は常にある、との答えがありました。
新たな原告予定者は次の二点について意見を表明しました。一つは、この裁判に加わった理由が、我々がやらねばならない教育とは何なのか改めて考えさせられるものであったこと、二つに今こそ組織・運動を立ててやっていくものの英知と寛容が必要であるということです。
裁判だけに、じれったい、まわりくどい進行ではあるが、システムの違法性を教育条理に問う審理に着実に前進していることを思わせる法廷およびまとめ集会でした。