いろいろな道

街道古道廃道道

名のある通りの所縁

鴎外ゆかりの地

森鷗外旧居 橘井堂森医院跡
東京都足立区千住1-30-8

森鷗外の父静男は明治11(1878)年南足立郡設置とともに東京府から郡医を委嘱されて千住に住んだ。同14年郡医を辞し、橘井堂森医院をこの地に開業した。明治17年ドイツ留学までの4年間を千住で過ごした。
千住の鴎外碑
東京都足立区千住1-30-8

「カズイステカ」より
森鷗外旧居
東京都墨田区向島3-37-25

文豪森鴎外は、文久2年(1862年)津和野に生まれ、明治5年(1872年)11歳の時に父静男に伴われて向島小梅村の津和野藩亀井家の屋敷内に上京しました。 その後、屋敷近くの小梅村87番に暮らすようになり、翌年家族全員も上京し、現在地である小梅村237番の質商の隠居所で庭のこった茅葺の家を購入して移り住みました。
森鴎外記念館
東京都文京区千駄木1-23-4

記念館が建つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。
観潮楼跡
東京都文京区千駄木1-23-4

大正11年7月9日60才で没するまでこの地に住み多くの名作を残した。
薮下通り
東京都文京区千駄木

鴎外の散歩道
森鴎外居住之跡
東京都台東区池之端3-3-21

ドイツ留学から帰国後、28歳の時に、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚し、上野花園町の赤松家の持家に居住した。ここで「舞姫」をはじめ、「うたかたの記」「於母影」などの作品が執筆された。
鴎外荘
東京都台東区池之端3-3-21

水月ホテル鴎外荘 2020年5月31日をもって80年近い歴史に幕を引いた。
大正記念道碑
現在、千住中居町公園へ移動している。
東京都足立区千住中居町24番7号

旧位置の住所 東京都足立区千住宮元町29
【建碑年】1916(大正5)年 森鷗外(1862〜1922)が文章を起草している。
鴎外の門
奈良県奈良市春日野町11

大正6年12月、鴎外は帝室博物館総長に任命された。
鴎外の門の石碑
奈良県奈良市春日野町11

猿の來し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり
鴎外墓地
東京都三鷹市下連雀4-18-20

禅林寺
鴎外石碑
三鷹市下連雀4-18-20

鴎外の遺言碑
森鷗外記念館
島根県鹿足郡津和野町町田イ238

「舞姫」「ヰタ・セクスアリス」などの著作で名声を高めた津和野町出身の文豪、森鷗外の生家に隣接する記念館です。

森鷗外旧宅
福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1丁目7−2

陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任した森鴎外が、1899年(明治32)から約1年半を過ごした家。書斎をはじめ、居間や台所など、当時の生活風景を再現している。
名のある通り
鴎外通り オーガイストリート 福岡県北九州市

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