[オスマン帝国]
オスマン帝国軍の中核を担った歩兵軍団。
事実上のスルタン親衛隊である。
元々オスマン帝国の母体は騎兵軍団であったが、
帝国の拡大に伴いそれらの騎兵とは別にスルタン直属の軍団としてイェニチェリ
(意訳すれば新兵団) は設立された。
当初はキリスト教徒の捕虜を奴隷として使っていたが、
後にキリスト教徒の子弟を強制徴集し、ムスリムに改宗させるデウシルメ制が生まれ、
ここから人材が提供されるようになった。
ちなみに異教徒を用いたのは奴隷すなわちスルタン個人の所有物として
扱うためである。
また奴隷をエリート部隊として扱うのはマムルークという先例があったため
イスラム教圏では自然な考えであったのだろう。
彼らは改宗後徹底的にエリート教育を施され、
生涯妻帯は許されないものの高給と特権を与えられ、
また新型の銃を装備したオスマン帝国の最精鋭部隊としてその名を轟かせた。
しかし帝国が最盛期を過ぎると、イェニチェリの規模は拡大されたが、
その分ムスリムや世襲の隊員が増え、軍紀が乱れるようになった。
また特権を悪用して無頼と化したり、政治に介入して内乱の元となったりした。
18世紀には装備も時代遅れとなり完全なお荷物集団となってしまったが、
これを改革しようとした有能なスルタンセリム3世はイェニチェリによって廃位され、
殺害されてしまった。
19世紀になってマフムト2世は西洋式の新軍団を設立し、
その軍事力で反乱を起こしたイェニチェリを壊滅させ、
イェニチェリの制度は廃止された。
設立当初のイェニチェリは今日の人道的観点からは問題があるものの
精鋭部隊としての役割を果たし、オスマン帝国の躍進に貢献していた。
しかし時代が下るにつれ特権を振りかざす単なる厄介者へと堕していった。
尤も同じようなことは世界中至る所で見られるのだが。