[日本−弥生時代・古墳時代]
三国志の魏志東夷伝にある当時の日本では大きな国。
最初は男の王が君臨していたが治まらず、
巫女(シャーマン)の卑弥呼を女王に据えると治まった。
この頃中国の魏では明帝の代であったが、
使者を送って大陸でも存在が知られるようになった。
卑弥呼の死後男が王になったがやはり国が乱れ、
卑弥呼の親族の娘壱与を女王とすると再び治まったという。
ところで、その位置は長年疑問とされ、北九州だ、
いや大和だと議論されている。
それは史書の記述通りだと九州の南の海上になってしまうからであるが、
ちくま学芸文庫の正史三国志にはこんな記述がある。
「以前はあやまって条支は大秦の西にあると考えられていたが、現在、
実際に確かめられたところでは大秦の東にあるのである。」
「以前にはまたあやまって弱水は条支の西にあると考えられていたが、
現在では弱水は大秦の西にあることが知られている。」